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今回は、反面教師として「共産主義国家」(ソ連をイメージ)の人々はなぜ豊かになれなかったのかという問題を考えてみたい。
「共産主義国家」の国民が豊かになれなかった説明としては、存続当時から、中央集権的計画経済・軍事大国化・政治的抑圧状況・党官僚特権階級といった種々の弊害が繰り返し提示されてきた。
(今では、そのような問いそのものが何をいまさらという感じになり、左翼もいつもながらの“思考怠惰”で失敗して当然だったとこの問題を切り捨てているようである)
戦後日本の総体的生活が豊かになったのは生産性の上昇を享受したからという経済論理は、「自由主義国家」には適用できるが「共産主義国家」には適用できないというものではない。
(生産性の上昇が人々を豊かにするという論理は歴史を超えた<可能>的事実である。<可能>的事実というのは、使い方によっては逆に人々を貧しくすることもあるからである)
逆に、利潤獲得を経済的活動の目的とせず“搾取”もない「共産主義国家」のほうが、豊かになる論理の通用性は「自由主義国家」よりも高いはずである。
(念のため、ソ連や北朝鮮の特権階級が享受している贅沢は、欧米や日本の“特権階級”に較べればたいしたものではなかった)
天然資源に恵まれ平均教育レベルも高いソ連なら、生産性の上昇で余剰労働力(活動力)が発生すれば、不足している財を増産したり、求められている新しい財を開発し生産することに問題はない。
(有人衛星の打ち上げや軍需関連の技術レベルを考えれば、ソ連の科学技術レベルが欧米や日本と較べてそれほど劣っていたわけでないことがわかる)
ソ連国民が豊かになれなかった理由は、ずばり、北朝鮮と同じように“先軍思想”にあった。
レーガン政権が「悪の帝国」と呼び対ソ軍拡路線に走り、ソ連崩壊後に米国の識者が「ソ連は軍拡競争のなかで疲弊して崩壊した」と説明したのは正しい。
ソ連が国民を豊かにできなかったのは、国内革命戦争・日本を含む先進国との対革命干渉戦争・対フィンランド戦争・対ポーランド戦争・対ナチスドイツ戦争と「熱戦」を繰り返し、1920年代中期から1930年代中期までの平和期も次の戦争準備に追われ、戦後も、「冷戦」のなかで軍備拡張に邁進したことがほとんどの要因だと言える。
ソ連支配層は、望むと望まざるに関わらず軍備充実に追われ、その遂行を国策の根幹に置くようになった。
このため、平時は何も生み出さず戦時は膨大な活動成果を浪費する常備軍を膨大に抱え、敵対的な自由主義諸国家の兵器水準に負けないよう優秀な科学者や技術者をその開発に振り向け、産業活動も、兵器製造を優先する構造とした。
加えて、いわゆる優秀な人たちは、党官僚や行政官僚といったこれも何も財を生み出さない支配層に登用されたのだから、民生品向けの産業発展が停滞するのは自然である。
先行する支配者の眼鏡に適う“有能”な人々は党・行政・軍事という国家機構でこぞって活動し、そのような彼らの活動力を膨大な庶民が働いて支えていたというのが「共産主義国家」の実相だった。
ソ連は食糧不足で米国などから穀物を輸入していたが、軍事関連に活動力を投じていた“ただ飯食い”の人たちが農業や農業向け産業の活動に従事していれば、その問題も解消できたはずである。
国家(支配層)の存続のために軍備を整えることは理解できるとしても、消費もできなければ生産手段としても利用できない兵器類に膨大な原材料・機械装置・活動力(すべてが活動力に還元できる)を投じなければならない軍備拡張を自己目的にしてしまえば、近代産業の発展において遅れていたソ連があのような歴史過程をたどるのは明白である。
(おまけに、国威発揚及び共産主義の優越性を示すために、宇宙開発に精を出したり、親ソ諸国に軍事・経済援助を行ったり、教育や医療を充実させ、スポーツエリートや芸術エリートの育成にも励んだ。軍事を別にすれば、身体や感性をないがしろにし、価値観の体現を優先した“理想主義国家”と言える)
日本はともかく、戦前の米英仏独は、近代的産業を発展させており、だぶついた貨幣を国家が吸い上げ(借り上げ)軍備拡張に投じなければ、国民経済の産業連関的循環がうまく動かない状況だった。
戦後米国が軍備拡張に狂奔しその在庫処理的浪費のための戦争を繰り返しているのは、まさにその象徴である。
先進国は、“公共投資”として軍需産業にお金を回す余裕があったが、遅れた近代国家ソ連は、まず、近代的産業そのものを確立し発展させなければならなかった状況にあったにも関わらず、ある時期以降は現実的にも「壮大なムダ」であった軍備拡充に狂奔し続けたために、国民生活は惨憺たる状態が続いた。
自由主義諸国の最大の非難の的であったソ連圏諸国・中国・北朝鮮の政治的抑圧や“自由の制限”も、理念主義的な共産党支配の不様な醜態というだけではなく、それらの国が「政治体制」にあったことでも要請されたものである。
(国家による「経済社会と国家の統合」を達成したことが“諸悪”の根源であるが、それは別途に説明する)
スターリン主義者ではなくても、あのような国際環境に置かれた国家を統治(維持)しようとすれば、民主主義的手続きを経ないで政策を決定し、国民の動きを統制するはずである。
戦時や戦争到来を予測しているときの支配者が、政策決定に民主主義的な手続きを踏んだり、国民を好き勝手にさせるとしたら、自分たちの支配に執着していない証である。(良し悪しが別として、ソ連共産党その他の共産主義党が、大義と信じ革命まで起こして手に入れた権力を手離そうと思うはずはない)
それは、第一次世界大戦と第二次世界大戦のときに「自由主義諸国」が行った国民統制や、今回の「対テロ戦争」でブッシュ政権が行っている権利制限を考えればわかることである。平時は好きなことを言っても見逃しても、戦時では許さないというのが国家支配層の常である。
ソ連支配層の決定的な誤りは、「冷戦」時代とりわけ核弾頭ICBMを配備した後も軍備拡張を“国是”とし続けたことである。
核弾頭ICBMを配備した後のソ連は、外国に軍事侵攻するつもりがないのなら、「ソ連及び同盟諸国に軍事侵攻した国には無条件に核弾頭ICBMを撃ち込む」と宣言し、軍備拡充は続けるとしても国策の主力を民生品増産に移すべきだったのである。
そう宣言したソ連及び同盟諸国に軍事侵攻するような非合理思考の国家は米国を含めて存在しない。
(それができなかったのが、支配層の無能のせいなのか、キューバ危機で見せたような核兵器恐怖症(やさしさから悲惨な核兵器は使いたくない)によるものなのか、膨大な数の軍事関連者の抵抗を恐れたものなのか、はたまた、“米ソ同盟”のなせるわざなのかはわからない。是非とも、どういう理屈で、国民生活を犠牲にして崩壊まで無用な軍備拡張路線を突っ走ったのか知りたい)
ソ連が、量的な拡張をやめ戦争抑止力の維持に限定した軍事政策を採っていたら、日本ほどとは言わないがけっこう高い民生用産業力を手にしていたはずである。(軍事政策のために投入した人的・資源的浪費は計り知れないものがある)
「戦時共産主義国家」であったことがソ連国民を豊かにしなかったほとんどの要因だとしても、それだけが要因ではない。
軍備拡張に励んでも、それに投じる活動力がほぼ一定ならば、国民に豊かにする方法はある。
要は、民生品を生産している産業の生産性を上昇させればいいのである。
それまですべての民生品を2000万人で生産していたとして、同じ量の民生品を1700万人で生産できるようにすれば、300万人が、別の新しい民生品や不足している民生品の生産に従事できるようになる。
生産性の上昇は、基本的に、生産手段の革新すなわち新しい機械設備によって達成できるものである。
(ウォッカで酔いつぶれて休暇をとる労働者がきちんと働けば生産性は上昇するが、その割合がほぼ同率であれば、それを考慮してなお設備投資で生産性は上昇する。逆に、労働者が精勤に励んでも、機械設備が後進されなければ生産性の上昇はそこで頭打ちである)
このとき問題になるのは、民生品を効率よく生産するための機械設備を開発し生産する余剰の活動力がないことである。(米国並みの機械設備を開発するには長い期間と大量の人員を必要とする。これが、「後進国問題」にもつながっている)
自国で製造できなくても輸入すれば、機械設備が手に入り、それを利用することで機械設備の開発ノウハウも身に付いていく。ソ連は、原油から金まで天然資源に恵まれているから、輸入代金の現金決済はともかく、国際借り入れは可能な経済条件を有していた。
さすがに米国(世界)支配層は利口で、そのようにしてソ連が経済発展することがないよう厳しい「禁輸措置」を講じた。
国際借り入れで先端機械設備を輸入すれば、その債務を履行するために輸出を増加しなければならない。それは、経済成長をめざしている国々が同じような状況にあり対米輸出に依存しているのだから、必然的に「世界の需要者」である米国向け輸出の増加を意味する。
米国支配層がソ連を経済的に発展させてもいいと思わない限り、ソ連が交易を通じて経済成長(国民生活の向上)を遂げることができない関係性に置かれていたのである。
「中央集権的計画経済」がソ連経済の発展を阻害したという説明は虚妄である。
なぜなら、戦後日本の高度成長は、まさに「中央集権的計画経済」によって成し遂げられたからである。
「中央集権的計画経済」のソ連も、企業単位の独立採算制(利潤分配)を導入したりしており、増産意欲を高める工夫をしている。
ソ連が、戦後日本と同じように、保護主義を認められながら米国を中心とした「自由主義諸国」と交易できる条件にあったら、今のソ連の人々(仮想)の豊かさは日本を凌駕していた可能性もある。
なぜなら、利潤獲得を目的にしないのだから、生産性上昇の成果は勤労者により多く還元され、この間の日本のように利潤をなんとか手に入れようとしてもがいている事象である「長期不況」にも陥ることもないからである。
(これが、自由主義経済に改変することで旧ソ連諸国が「西側諸国」とパートナーシップを結べた“裏事情”だと思っている。「共産主義国家」のままでパートナーシップを結ぶと、あくまで財的豊かさを基準としたものだが、庶民にとってどちらの体制のほうが好ましいかが見えてしまうからである。ソ連崩壊を演出したゴルバチョフとエリツェンは“彼ら”の“お仲間”だということ(笑)。“彼ら”は、ナチスドイツや日本に大災厄を伴う敗北を与えることで「右翼思想」をゴミ箱に捨て、ソ連に軍備拡張脅迫と「禁輸措置」を与え国民生活を疲弊させることで「左翼思想」をゴミ箱に捨てるよう、世界の人々を誘導したのである)
ソ連という「共産主義国家」の壮大な歴史的実験は、マルクスの剰余価値説(不払い労働:搾取)が勤労者が豊かになれない理由でないことを実証したのである。