現在地 HOME > 掲示板 > 議論18 > 773.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: 「産業資本主義」の終焉:「共産主義国家」の人々はなぜ豊かになれなかったのか? 投稿者 あっしら 日時 2004 年 7 月 15 日 18:05:30)
あっしらさん、こんばんわ。
今回のあっしらさんの書き込みの内容とは、あまり関係ないことかもしれませんが、
それを、きっかけとして、「豊かさ」とは何か?って、少し考えてしまいました。
今の日本って、物質欲の強い人間は、確かに昔と比べたら豊かになったよなぁと
実感できる世の中になったのかもしれませんが、わたしのように物質欲が
それほどない人間にとっては、モノは豊かな国であることは認めますが、
総合的に「豊か」かどうかは、大いに疑問です。
高級車に乗りたいから、一生懸命働く。それはそれで、その人の価値観だから
良いのですが、日本は、そういう傾向の人が多くて、そうじゃない、あえて
「精神快楽至上主義者」と名づけさせて頂きますが、その趣向者にとっては
非常に生きにくく、豊かさが実感できない。
わたしは、高級車に乗るために、死に者狂いで働くぐらいなら、軽自動車でいいから
そこそこの労働で済ませたい。
モノなんか、たくさん買いたくもないから、労働時間を減らしてくれ。
そういう趣向の人間にとっては、物質欲の強い・ある意味上昇志向の強い
日本人の体質って、うっとうしい限りなんですよね。
そう考えると、当時のソ連って、「豊か」ではなかったとは言えないのではないか?と
思ってしまいます。まぁ、当時のソ連に住んだことはないので、耐えがたい不便さも
多々あったであろうこともあるとは思いますが、少なくとも、今の日本のように
「馬車馬のように働くか?」or「失業するか?」という極端な不合理選択肢な
悩みはなかったんだろうなと想像できます。
皆、そこそこ働き、そこそこのモノを購買する。
毎年、そこそこ生産性を上昇させ、そこそこモノの購買量(質)が増える or そこそこ時短する。
そういう世の中が一番「豊か」なのではないか?
このところの暑さと過重労働で疲弊した「精神」と「肉体」を、ふり絞って、書き込みしてみました。