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(回答先: 「私物化」意識をどうこう言っても現在進行形の幼児虐待はなくならないと言っているのです。 投稿者 あっしら 日時 2004 年 7 月 02 日 23:42:46)
あっしらさん、どうもです。
▼あっしらさん
【「私物化」意識をどうやって消滅させるのですか?
「私物化」意識をなくせというのは、「世界が平和であるますように」とか、「世界は一家、人類は皆兄弟」と同じような空虚な論で、幼児虐待を減少させることに現実的効果はないと言っているのです。
「私物化」意識が問題と言いながら、子育てを忌避したり問題を起こす親の子どもを社会や国家が面倒を見ればいいと言うだけで、その意識を消滅させる方法をあなたはまったく説明していません。
だから、あなたは、一軒一軒の家を回って、どういう価値観を持っているのかチェックし、「私物化」意識を持っているかどうかをあなたが判断してそうであれば、子どもをその親から引き離すような処置をとれと言いいたいのですかと訊ねたのです。】
「私物化」(所有化)意識をどうやって消滅させるかを論じるには、それが幼児虐待の基になるかどうかをしっかり認識することからはじめるべきでしょう。私なりに「私物化」(所有化)意識を消滅させる方法は考えておりますが、それを論じる前に、基となる原因を探るのが本筋ではないですか?
例えば「世界が平和でありますように」と願い、それに基づいて行動を論議していくのはできるが、そもそも「世界が平和でありますように」と思っていないのでしたら、枝葉の議論をしても意味のないものではないですか?
方法論を議論するよりも先に基になる原因の共有が不可欠だと私は思います。
また、あなたの論がダメだとも言ってはおりませんよ。(一側面としては有効な枝葉であると言っています)
▼あっしらさん
【私に言わせれば、あなたの言う「私物化」意識が親にあるとしても、世の中の論調にはそれを否定するものが少なからずあり、親に問えば、「子どもの人権は大切」・「子どもの自主性を尊重したい」という回答が過半数で返ってくるものなのです。】
私の言う「私物化」(所有化)をなくす意識は「子どもの人権は大切」・「子どもの自主性を尊重したい」という概念を尊重し、守るものです。(何度も説明済。)
▼あっしらさん
【何度か書いたように、自分(たち)が生んだ子どもに対する責任が法的に親に課せられていていること、自分(たち)が生んだ子どもはそばにいて欲しいと思っていること、自分(たち)が生んだ子どもがちゃんひとり立ちして欲しいと願っていること、そして、よその家族の子どもとの競争関係にあるなかでなんとかうちの子はうまく生き抜いていって欲しいと思わざるをえない現実があるなかで、あなたの言う「私物化」意識をなくせと叫んでも、まずほとんど効果がないのです。
「私物化」意識をなくすためには、政治社会革命に相当する根底的な社会構造変化が起きなければならないのです。
あなたが現実の問題として深刻に考えなんとかなくしたいと思っている幼児虐待を、そのような歴史的変革に期待することでいいのですか?と言っているのです。
私は、幼児虐待もわずかしか減らせないかもしれないし「私物化」意識もなくせないけど、幼児虐待が確実に少しは減ると思っている現実的な施策を提示しているのです】
そんなことは解っておりますよ。「はい皆さん今日から私物化を止めましょう」といって誰が私物化を止めますか?あなたの論もそうでしょう「はい今日から過酷な生活条件をやめましょう」と言って止めれますか?
それをこの社会に適応させていくには時間もかかりますし、それについての段階的な方法論もあるでしょう。あなたの論が幼児虐待の原因となるもののその段階的な枝葉にあることぐらいは把握しております。ですから否定はしておりません。しかし、それが根本の原因ではないため(あくまでも枝葉のため)、まずはその根本となることの共有を計ろうと持ちかけているのです。
▼あっしらさん
【親が過酷な生活条件に置かれていることが最大の要因だと思っています。
(過酷な生活条件は、収入の多寡だけではなく、外での関係性から受ける精神的ダメージも含めたものです。収入や将来不安以外の精神的ダメージは私の提案では解消できないものです)】
過酷な生活条件下に置かれて、なぜ子供を虐待死させるということができるのですか?
それは、親が子供を自分の思い通りになると考えるからではないですか。思いどおりになるから邪魔な存在の場合は子供を殺すという発想になるのではないですか?
そこに子供の意志は感じられますか?これが親の私物化(所有化)以外の何があてはまるのか、考えてみてください。
▼あっしらさん
【親が養育の義務を背負っているから、否応なしに濃密な関係を持っているからだとも言えます。
(同じクラスの子同士が喧嘩をしたり、恋人同士が言い合いをしたり、夫婦喧嘩があったり、同じ会社の人同士が罵り合いをするのも同じです)】
ただ単に養育の義務を背負っているから幼児虐待の関係性が生まれるのではなく、「親のみ」が養育の義務を背負っているとすることにより、親のものという「私物化」の概念が生まれてくるのではないですか?その私物化の概念により「殺し」という発想になるのではないですか?
喧嘩をしたり罵り合うのはまだかわいい方ですが、相手の意に反して自分の行動を押し通そうとする行為(殺人等)は「私物化」(所有化)の概念ではないですか?
▼あっしらさん
【虐待や子殺しがあっても仕方がないとずっと言っています。
あなたが言うところの「責任ある態度」がない親でも、子育てをやってもらうことになります。たとえ、そこで虐待や子殺しが発生するとしても...
そのような事件に対しては、事後的に罰を与えるしかないと考えています。】
罰を与えることが幼児虐待の問題を解決しているとは思えません。幼児虐待という結果から学ぶことは可能ですが、罰からは問題を解決することはできないと思っております。
(「死刑」のある国が「死刑」となる犯罪の一番少ない国ではないように。)
まずは、その根本となる原因を探り、その原因を知ったならば次はどうしたらいいかと話あうことが有意義ではないですか。
「運命」とか「罰」とか「裁き」とかでは、前に進めないと考えます。
▼あっしらさん
【上記の説明はすべて、これまでの書き込みのなかで書いた内容です。
あなたが理解できていないだけです。だから、アホだの、カスだの言っています。】
そんなことは知っています。ですから私も何度も同じことを反論しているのではないですか?あなたが理解しようとしてくれないから。
今日は寝ます・・・。