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(回答先: どうとでも説明できることを「私物化意識」という概念で語っているだけですね。 投稿者 あっしら 日時 2004 年 7 月 03 日 18:35:45)
あっしらさんこんばんは。
▼あっしらさん
【あなたは、物理的世界観(科学理論)と同じように、どうとでも説明できることを「私物化意識」という概念(言葉)で説明しているだけです。
お示しの図式であれば、“「人々の活動原理」のある不満足な結末に至る過程”を説明したものと言うことができます。
少し考えればわかることですが、図式化されたあなたの「私物化意識」なるものは、「物」の部分を「人(他者)・物」に広げ、「所有」の部分を「占有・支配・管理下・協働・所有」と拡張し、「自分の思い通りにならない」を「自分の思い通りにならないときとなったときの分岐」に置き換え、「廃棄処分、殺人」の部分を「消費・関係継続・再思考・再加工・廃棄処分・殺処分」と拡張すれば、普遍的なものである人々の対象活動(労働)の過程の一側面を説明できる図式です。】
「物」を「人」に変えるのは、最初からその設定なので問題はありませんが、「所有」を「占有・支配・管理下・協働」に変えるともとの意味が違ってきます。
私は「所有化」が問題だと言っているのに、なぜそれが「占有」等になるのですか?
例えば他者からレンタルした車なら自分の思い通りにならないからと言って、自分の判断で廃棄処分(殺人)という行為をしないでしょ。
人を自己の「所有」と認識するから「殺人」とうの行為となるのではないですか。
▼あっしらさん
【それは、あなたのように「私物化意識」と言うより、「人々の活動原理」といったほうがふさわしいものでしょう。
これは、あなたの言う「私物化意識」なるものが示された図式で概念規定されるものであるのなら、消滅させることは原理的に不能であることを示唆します。
(自然や他者をどこまで「私物化意識」=「人々の活動原理」で気ままに使っていいかは別として、人々が生存しようとする限り、「私物化意識」=「人々の活動原理」を容認しなければなりません)】
何度も言うようですが、殺人や幼児虐待の基となる原因を探っているのですよ。「私物化意識」を無くすことができるか云々の段階ではないですよね。
それが「人々の活動原理」の一側面であったとしてもそれが原因なのかどうかの問題でしょ。
「私物化意識」が問題の原因と確定した後に、「私物化意識」がなければ生きていけないのかどうかと議論したり、どうすれば部分的(例えば人にのみ)に「私物化意識」を無くすことが可能かどうかとか、すべての「私物化意識」無くした場合どうなるのかなどと話合うのではないですか?
固定概念に縛られると、真実の発想ができなくなりますよ。
▼あっしらさん
【指摘したいのは、「自分の思い通りにしたい」→「自分の思い通りになるはず」の対象は、「物」だけではなく「人」も含まれるということです。
人々は関係的活動を支えに生きているのですから、他者を支配的に使うか説得的に協働するかは別として、「自分の思い通りにしたい」と欲求し、「自分の思い通りになるはず」の方法を思いついたら、物だけではなく人も「占有・支配・管理下・協働・所有」の対象になります。
「自分の思い通りにしたい」事柄の多くが、他者(ひと)を必要とし、他者と一緒にうまく活動できるかどうかで実現の可否も強く規定されます。】
「物」でも「人」でも「所有」という概念が入れば、それは「私物化意識」と言っております。(何度でも言いますが)
また「必要とする」という行為は何も「所有」という概念がなくても可能なはずです。
▼あっしらさん
【「それ以外の概念は考えられません」と心底思っているのなら、幼児虐待を消滅のために人類の滅亡を願うか、よその家族の内側は放っておくことをお勧めします。】
「所有」という概念がなくなることが、なぜ人類滅亡するのかさっぱり解りませんね。
解りやすく再度ご説明ください。ちなみに何度もいいますが「所有」ですよ。
▼あっしらさん
【家電や自動車の処分と同じ感覚で我が子(ないし家族内の子ども)を虐待したり殺したりしているとほんとうに思っているのですか?
心底そう思っているなら、あなたは、世間の親たちをバカにしているし、物事もあまり見えていないと断言します。
どちらかと言えば、上述の「自分の思い通りにしたい」→「自分の思い通りになるはず」の一つの対象である「人」に関する意識で行われていると考えたほうがまともです。】
心底そう思っているから問題にしているのです。相手の意思に反して人を殺すことは「家電や自動車の処分と同じ感覚」だと言っているのですよ。
あなたが断言すると言うのなら、違う感覚で相手の意思に反して人を殺している事例があれば何卒ご提示して下さい。(前から言っております)
また「物」が「人」になってもそれが「所有」となれば「私物化意識」です。
▼あっしらさん
【あなたが言うように、動物以外の物(人も含む概念)は「やめて壊さないで」等といった意思表示もしなければ、自分の意志で動き出すこともしません。】
ですから動物以外の物は気軽に廃棄処分が可能で、誰も文句は言わないでしょ。その感覚を人間に適用し「やめて壊さないで」等の相手の気持ちを“ないもの”とし(もしくは尊重せず)、相手を殺す行為が問題であり、それを「私物化(所有化)意識」と定義しているのではないですか。
▼あっしらさん
【ペットの犬猫や家畜類は、「やめて壊さないで」等といった意思表示もすれば、自分の意志で動いたりします。
だからこそ、やさしく取り扱ったり、情を感じたりする一方で、躾をしたり、囲いを造ったり、つないだりするわけです。】
ペットの犬猫や家畜類を「物」とせず、相手の気持ちを尊重し、情を感じ、自分の都合で相手の意に反しない行動をとれば、それは「私物化(所有化)意識」にはなりません。
躾をしたり、囲いを造ったり、つないだりするのは、相手を社会に適応させるために教育したり安全に快適に生活できる為であるなどの意味あいがあれば、相手の思いを汲んだものとなるのでしょうし、その場合は「私物化(所有化)意識」にはあたらないと考えることもできるでしょう。
ただペットや家畜等に人間の場合と同じような「私物化(所有化)意識」を無くすことが必要かどうかは議論すべきことでしょうし、先の議論です。
▼あっしらさん
【ペットの犬猫に関しても、「自分の思い通りにしたい」内容は飼い主によって様々で、「自分の思い通りになるはず」の手法も様々考えるはずです。
それでも「自分の思い通りにならない」ことは数多くあるはずで、そのときには、叩いたり蹴ったり飼い主もいれば、放っておく飼い主もいれば、捨ててしまう飼い主もいるはずです。】
相手の意に反して行う一方的な行為(殺人・虐待等)を「私物化(所有化)意識」と言っております。
叩いたり蹴ったりする行為も教育的な意味あいのあるもの以外は概ね「私物化(所有化)意識」によるものだとも考えられます。
放っておく、捨ててしまう行為はそれが相手を死に至らしめたりするものや虐待等にあたるものは「私物化(所有化)意識」によるものと考えます。
▼あっしらさん
【もちろん、すべては「自分の思い通りにならない」としても、思い通りにならないことも含めてそのペットとともに生活することを大きな喜びとしている飼い主も多くいるはずです。】
思いどおりにならないことがあるから、思いどおりになることが素晴らしいものになり、どちらも欠けるものではないと思っております。
ただし、思い通りにならないからと利己的に思い通りにさせようと行動し、それが相手の生きる権利を剥奪する行為等になるのならば「私物化(所有化)意識」になるのでしょう。
▼あっしらさん
【子どもに対するあなたの「思い通りにしたい」は、“子供の意思、自主性を尊重したい”ということでしょう。あなたがそうすること、そして、そうであるべきとあなたが世に訴えることはまったく問題ありません。
しかし、子どもに対して「思い通りにしたい」と思う内容は、あなたのような抽象的なものばかりではなく、“ひとに迷惑をかけないようにしたい”・“勉強ができるようになってもらいたい”・“わずかな休息時間を邪魔されたくない”などひと(親)によって違います。】
親が子に対してこういうふうになってもらいたいという願望はあるでしょう。しかしそれを子の意に反して押し付けるものであってはなりません。(「私物化(所有化)意識」)
ただ社会に適応していくためや、良好な人間関係を保つための生きる知恵は教育されるべきであり、その子の為でもあります。
だからと言って押し付けるのもよくはありませんが、「私物化(所有化)意識」がなくなった社会であれば、自主的にそれを子供が受け入れることが可能であるとも思われます。
ただ教育することにおいてその子の為に怒ることもひとつの方法になることもあります。
これは虐待することや殺すこととは意味あいが違ってくると考えます。
▼あっしらさん
【そして、「思い通りにしたい」と思う内容に子どもが逆らって行動したとき、言葉でなぜそうしたらいけないか(しなければならないか)と説く場合(親)もあれば、うまく説明できないために子どもに反抗されて手を出す場合(親)もあります。
自己中心的で手が早い人なら、休息やお楽しみを幼児や子どもに邪魔されたときガツンとやることもあるでしょう。】
子供にうまく説くことができないなら、うまく説くことができる人(適任者)に説いてもらえばいい。
ガツン(暴力)とやらなくても教育はできます。自己中心的なものをやめねばなりません。
また自己中心的にガツン(暴力)とやる行為(罰)からは何も学べません。
なぜ子供が反抗するのか、何が子供にとって問題となったのかという結果を認識し、それを無くすにはどうしたらいいのかということを親は考えるべきです。
また、「私物化(所有化)意識」の無くなった社会を想像することはあなたには難しいかもしれません。現在の社会が良好と考えるなら、到底受け入れられないものだからです。
ただし、「思い通りにならないこと」→「罰を与える」、「思い通りにならないこと」→「罰を与える」・・・と繰り返しているのが我々です。何度も何度も同じ行動を繰り返しながら、違う結果を期待しているのが我々の社会です。
早く「結果」に目を向けて「結果」を改善するように自らを変革しなければならないではないでしょうか。
▼あっしらさん
【論理的な関係(貨幣を通じた交換など)にある者同士が罵り合ったり殴り合ったりすることはしません(できません)が、生々しく密接な関係にある者同士は、一方的である場合も多いのですが、相手の振る舞いにプッツンして手を出すこともあります。】
相手に対して「私物化(所有化)意識」が出れば、プッツンして手を出すことになるのでしょうね。
▼あっしらさん
【あなたの「思い通りにしたい」であろう“子供の意思、自主性を尊重したい”は、あなたがそうすること、そして、そうであるべきとあなたが世に訴える範囲にとどめるべきだと思っています。 】
もちろん世に訴える、提案する範囲にとどめるべきであり、それをゴリ押しして、世間に押し付けるつもりはさらさら無いです。それをする行為は「私物化(所有化)意識」の概念だとも言っております。ただし、世間がどうすれば自主的に「私物化(所有化)意識」を受け入れることができるかは段階的に考えていくことで、提案していくことでしょう。
▼あっしらさん
【私もあなたも、ひとは、他の誰一人として救済することもできなければ幸せにすることもできないのです。
私もあなたも、家族を基本単位とした人々ができるだけそれぞれの「思い通りに生きていける」外的条件を整えることに自己規制したほうがいいと思いますよ。】
あなたがその様に考えている時点で、あなたの中では自己完結してしまい、それ以上は前に進むことすらできないのかもしれませんね。
そして、少しでも世間を良くしようとするあなたの論すらもあなた自身の中で空虚なものになっているのでしょう。
そもそもあなたの論(世界感)は人を救済したい、幸福にしたいというものではないのですか?
また、あなたは以前こう言っておりましたね、「思いは自然と伝わる」と。別に人を救済することができなくても幸せにすることができなくとも、その思いだけで充分ではないですか?そしてそれをなるべく世間に聞いてもらい提案するだけでも伝わるものではないですか?
ただ、人が受け入れ易いように社会の状況に合わせ段階的に枝葉をつけていくことが大切であり、あきらめなければその発想も出てくることでしょう。(ただし根本の方向性からそれずに)
また人を救済することは自分を救済しているのと結果、一緒のことだとも考えております。
また今回議論していることの多くは、幼児虐待や、殺人等が「私物化(所有化)意識」に原因があるかどうかの議論ではなく、「私物化(所有化)意識」が社会に適応できるかどうか?物やペットや家畜や虫はどうか?個々の人間の生活における諸行動はどこまでが「私物化(所有化)意識」にあたるのか?「私物化(所有化)意識」のない社会とは?といった本筋から反れた議論をしております。(あなたの理解を深めるのと、あなたに合わせているために)
従ってその部分においてはおいおい詰めていくとしても、今は幼児虐待や、殺人等が「私物化(所有化)意識」に原因があるかどうかを早くあなたに理解し、気づいてもらうことが議論の流れだと思っております。
このままの流れが続く場合は、また強引に本筋に戻すことになるのかもしれません。
つまり私物化(所有化)が幼児虐待死の根本の原因であると認めるのか、私が納得する根本の原因をあなたが提示するかをして下さいということです。(早くご提示してください!!)
あなたの理解の助けになるならと思いつつも本筋の議論に戻っていただけることを切に願っております。
ではまた明日。