現在地 HOME > 掲示板 > 議論18 > 200.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
宮台氏の言説に関するやり取りもあったことから、「善悪」に関する持論をご理解いただくため、“援助交際”は悪か?という問いを提示したい。
(念のため、「善悪」観念の要・不要やその意味性を含め「善悪」を考えることが目的であり、ある事柄の善悪を決定することを目的としているわけではないことをご理解ください)
“援助交際”の概念規定:生業としてではないが、金銭ないし財の享受を目的に不特定多数にセックスをさせること。
※ 同じ行為であっても生業であれば売春とし、特定の相手だけであれば愛人関係とする。また、経済的利益を手にしない不特定多数とのセックスは対象外である。
私の結論:“援助交際”は、「悪」であるが、権力的な規制や罰を加えることには反対。
[考察]
「悪」とする最大の根拠は、“援助交際”が目的=「自己実現」ではなく「自己実現」のための過程的手段でしかないことにある。
「自己実現」のために使われるべき生きる時間を過程的手段のためにムダに使っていることが「悪」という見方である。
これは、“援助交際”が小遣いや給料では購えない洋服を手に入れたり遊びや旅行を実現するための手段として使われているという認識に基づく。
(洋服を手に入れたり遊ぶことが主要な「自己実現」であっていいのか、という問題はここでは問わない。永遠に問わないかも(笑))
“援助交際”が「悪」なら、当然のように、やりたいわけではないのにお金を稼ぐためにいやいや働くのも「悪」ではないかという問いを提出できる。
それに対しても、“援助交際”が「悪」であると同じように、「悪」だと答える。
(そうでなければ、親権に基づく強制的禁止か親権の「善」に頼る「悪」の説明しかなくなり、“援助交際”が「悪」であるという論証は成立しないと思われる)
さらには、やりたくないことをするのが「悪」なら、「悪」を為さない限り、人は生きていけないし、社会は維持できないではないかという疑念が生まれる。
それについては、人々が生きていくために必要な活動が“強制”されることについては「悪」ではないが、必要な活動時間を超えた強制的活動は「悪」とすることで回避できる。
(人には根源的な実存的選択が常に付きまとっており、根源的な実存的選択は「善悪」を超越するとも考えている。生きることを選択したら、いやなことでもしなければならない時空間がある。いやなら、死や社会からの離脱を選択しなければならない)
“援助交際”を忌まわしいことだと思いながらも「悪」だと納得させられない情況の根源には、現実社会に普遍的な「悪」と同質の「悪」が潜んでいるからだと思われる。
そのため、未婚のセックスは「悪」、“愛”が伴わないセックスは「悪」、不特定多数の相手とのセックスは「悪」などとセックス行為そのものを問題視したり、見知らぬ相手に傷付けられたり殺される危険性や妊娠や性的関係で感染する病気の危険性を指摘する対応になる。
心地よいセックスは極めて重要な「自己実現」だと思っており、未婚のセックス・“愛”が伴わないセックス・不特定多数の相手とのセックスは、「善」ではないが「悪」とは言えないと考えている。
乱脈的セックスが「悪」でないとしたら、“援助交際”の正当性を主張する人たちが「社会人と同じように、欲しい物を買うためにセックスという労働をしてお金をもらってどこが悪いのよ。より良い給料を手にするために職業を選ぶように、コンビニのバイトよりも割がいいセックス労働を選んでいるの」といった反駁をしたとき、答えにくい社会状況がある。
乱脈的セックスを「悪」とし本気で取り締まったら、現在の社会は崩壊してしまう気がする(笑)
(実際には、このようなやり取りだと、おうおうにして「へ理屈を言うな!」という罵倒が返されるはずだ。「へ理屈を言うな!」は禁句だと思っている。宮台氏にケチを付けている教師のような「ある程度のモラルと原則は誰であれ破ることができない」といった論も、「へ理屈を言うな!」をマイルドにした物言いでしかないか、宗教家に転身しすべての若者を信者にするしかないと言えるものである)
「そんなことしていたらまともに結婚できないぞ」と言ったところで、“援助交際”をしたこともない人が少なからず自ら非婚を選択して生きている現実があるのだから、「私はうまく騙して結婚するもん」とか「自分で稼いで楽しく生きるからいいの」といった答えが返ってくるのがオチだ。
(まともに結婚しても、離婚し苦労の日々をおくっている人もすくなくないのだから、これに反論するのは至難である)
「セックスは神聖なもので愛が伴うものなのよ」と説得しても、「じゃあ、お金のためだけにいやいやながら働くことはどうなの、自分の心や身体は神聖じゃないの?セックスも労働も同じじゃん」と言われたら返答に困るだろう。
(コンビニで8時間働いて7200円稼ぐのと、1時間セックスさせて2万円稼ぐのどちらが“神聖な身心”を保護したり「自由」を確保していると言えるかを考えて欲しい)
見知らぬ相手に傷付けられたり殺される危険性や妊娠や性的関係で感染する病気の危険性は、それなりに“援助交際”が「悪」であることを説明できるネタである。
しかし、それらの危険性は“通常の交際”でもあることだから、「覚悟の上です」と言われたら「慎重にね」と言うか、相手(子どもなど)に“援助交際”で得られるであろうお金に相当するお金をあげて断念させるしかなくなる。
(“援助交際”でお金を稼ぐことは悪くないと考えている人に“援助交際”をやめさせるためには、相当のお金を上げなければならないという奇妙奇天烈な話になってしまう。注:男の子だと妊娠の心配は不要)
このように、ここまでに至った「近代世界」で“援助交際”が「悪」であることを納得させるのは至難のワザなのである。
雑誌・TV・ショップそして周辺の“金持ち”が欲望を煽りまくり、どんな手段で得たお金もお金であることに変わりなく、それをより多く手に入れようとしている人たちが跋扈している現実で、どうやって...
最後に、私が“援助交際”を正当化するのなら、それが「善」であることを言い募る。
「若い子とセックスしたくてうずいている人たちに、割安のお金でセックスさせて喜びを与えているの。私は観音サマよ」....と。
それを受けて、「あなたが善のために身を汚すことはないのよ。あなたは好きなことをしていなさい」か、「それなら、無償でセックスさせなさい」という大人(親)はいない..??(笑)
(冗談ではなく、古代ペルシアや古代バビロニアでは、貴族の娘が結婚前に神殿で淫売をするのが慣わしであったとされている)
「善悪の彼岸」ではなく「善悪の此岸」としたのは、善悪の判断はこれほど悩み多きことで、その彼岸に到達するの無理だと思っているからである(笑)
------------------------------------------------------------------------------------------------
★ 今回の書き込みは、以下の「善悪論」の基礎にある私の考え方をご理解いただくために役に立てばという思いで行いました。
「悪と善の序列」
http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/962.html
※ レスのかたちで内容が進行しています。
「ひとの文章を勝手にコラージュしないでください!」
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/193.html