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(回答先: 売る側は優位か 投稿者 ぷち熟女 日時 2004 年 6 月 15 日 18:44:47)
ぷち熟女さん、お久しぶりです。
ちょっと前まで、軽い「雅子さん病」に罹っていました。(自己診断ですが..)
そのリハビリも兼ねて書き込みをしています。(ひと迷惑な話かもしれませんが、思考が緩やか(鈍)に感じるのでかえっていいかもしれません)
突き付けられた問いですが、買う方は「醜」で「悪」だと答えたいのですが、「醜」は個別的に判断すべきだし、「悪」に近いが「悪」とは言えないと思っています。
(どうも、こういう結論を書くと、「男性優位思考だ!」という罵声が飛んで来そうで怖いのですが..(笑)実は、それを危惧して、「醜悪」という結論で考え始めたのですが、非力のせいかその論証ができませんでした)
最初にお断りさせてもらうと、現在の「欲望」・「自己実現形態」・「美意識」などは「悪」に規定されているという考えのもと、現実を踏まえた考え方です。
(「供給→需要」という考え方も、買う方に関する評価に影響を与えています。強姦は明確に「悪」です)
「悪」であるのは、そうでなくても可能なのにお金を媒介にしなければセックスできないのかとか、関係的過程で高まったものではなく抽象的なものでしかない性的欲求を満たすための相手とセックスしても心地良いもんじゃないだろうといった根拠です。
(これも、「もてないからそうだ」と言われたり、「会ってその気にならなかったらしない」と言われると根拠がなくなります(笑))
“援助交際”は「悪」であるという結論を提示しているのですから、「悪」を成立させる行為は「悪」であるというのが最後の拠り所になりそうです。
もちろん、こちらも「善」であるという強弁はできます。
「セックスさせて効率良く稼ぎたいと考えている人の願いを叶えてあげた。俺のおかげで楽しい旅行に行けるそうだ」という理屈です。
(「それなら、話だけして小遣い渡せばいいじゃない」という声もかかりそうですが、「それは甘えを誘発する。きちんとした経済取引だからこそ善だ」と反論できます)
買う方が「醜」になるのは、限定的な性的関係にいい加減な気持ち(やればいいという身構え)で取り組んだときだと思っています。
相手がお金のためにセックスをさせているだけという思いのときに、限られた時間でいいセックスまでもっていけるのかという難問があるので、「美」になるのはそれを達成したときです(笑)
お金がきっかけとしても、それ以降の男と女の関係がお互いいいものだったと思えるものになれば(すれば)いいじゃないかという考えがベースにあります。
>私服だとOLに見えちゃうような娘なんですが、かといって老け顔ではありませんでした。
>当時からヤンキー系統の茶髪は多数おりましたが、その娘はそんな野暮ったい真似し
>ませんでしたね。
>眉をいつもきっちり整えていたこと、輪郭のはっきりした形のきれいな唇をしていた
>ことを憶えております。
スパルタコスさんが上で「少女趣味」云々を書かれていますが、電車や街中で見かける女子高生や“援助交際”をするであろうタイプを勝手に想像すると、「おとなの女」とセックスしている感じになっている人も少なくないのだろうと思っています。
ただきちんと眉を整え化粧もばっちりしているというだけではなく、表情や雰囲気が“おとな”の子が増えています。
制服ではなくおとなっぽいワンピースを着ていれば、どう見てもハタチは超えていると見える子が...
(話や挙動は“おとな”ではないのですが、実際の“おとな”も似たような話や挙動をしているようにも思えます。このような意味で、スパルタコスさんの言われるように、“おとな”と“少女”の境目が両側からの変化で年齢的に下がってしまったと言えるかもしれません)
ぱっと見だけだと、どきっとさせるほどの色香を放っている女子高生もいますよ(笑:陰や憂いを漂わせ、男を下目でみるような..)
>あたくしが少女の頃に援助交際をやっていた娘たちがいたら、
>かーわいそー、お小遣い欲しさで相手も選べないんだ、と思ったと思います。
>おじさまがた、ショック?
どう考えても“援助交際”の相手といいセックスはできそうにはないので、経験もなければ、求めてもいません。(売春はいいセックスができる可能性があります。経験的に..(笑))
「かーわいそー、お小遣い欲しさで相手も選べないんだ」と“援助交際”をしている子に言ったら、「好きな子ともしてるよ。空いた時間を使ってバイトよりも効率良く稼いでいるだけ。稼いだお金で好きな子と楽しいこともできるしね。あんたはいっぱい小遣いもらえるか我慢強いからしないで済んでいるだけじゃないの」と反論するかもしれませんね。
>あたくしは二十代半ばくらいまでは、大体同年代の男としか交際していませんでした
>かねえ。
>おじさまは猫も杓子も怖い、が払拭されたのはそれ以降のことでございました。
>ただし、現在でも『あのタイプのおぢは怖い』というのはございますよ。
>今は、美老人も素敵だな、と思いもします(憧)。
>なかなかいないんだけどね。
私もそろそろ老人の域に達そうとしていますが、醜悪老人であることを晒してしまっているのであきらめています(笑)
「美」や「善」を好む人には、自分が持っている「醜」や「悪」をできるだけ見せない(感じさせない)ようにするのが肝要です。
「醜」や「悪」を好む人には、無思慮にではなく、実は「美」である「醜」や実は「善」である「悪」を好んでいることを察知して、それに当たる「醜」や「悪」を見せるようにしなければなりません。
「美醜」や「善悪」の基準が近い人をパートナーに選べば、気楽にいい関係を持続できるはずです。
いずれにしても、抱えている「美醜」や「善悪」をぜんぶ晒してしまったら、相手の思いは冷めてしまうおそれがあります。
「すべてを知りたい」という甘言に騙されて、自分をさらしてしまってはダメです。とくに「醜」は、いったん見せてしまうととり返しがつきません(笑:理屈で説明して払拭するのはムリです)
逆に言えば、崩壊を望んでいないのなら、「すべてを知りたい」などと思ってはダメです。
自分をさらしていい相手は自分だけです。
もちろん、共同生活者と割り切った関係であれば、全部をさらけ出しても無問題です(笑:それはそれで良い関係だと思っています)
● 汗をかきかき書いてしまいました(笑)
※ 「竹中さん問題」はもう放っておけばいいと思いますよ(笑)