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(回答先: Re: “援助交際”は「悪」ではなく「醜」である 投稿者 NUE 日時 2004 年 6 月 15 日 02:29:03)
NUEさん、こんばんわ。
読み終わって、“援助交際”は「醜」ではなく「美」という印象を受けてしまいました(笑)
>あっしらさんの問いである「善と悪」に対して
>「美と醜」を持ち出すのは反則かなあとも思いますが
>哲学の基本的なテーマは「真・善・美」だそうですから、
>それもありではないかとも思います。
美学も哲学のカテゴリーらしいですから反則ではなく変則技ということで...
>もちろん、ここでの醜というのは
>「セックスをお金に替えることは汚い」という意味ではありません。
>生き方としての美・醜というニュアンスです。
>A・親が資産家なので仕事なんかしないでもブランドに囲まれて暮らせるお嬢様
>B・家が貧乏で仕方なく身を売って必死に生活費を得ているフーゾク嬢
>「どっちを選ぶか」と言われたらBを選ぶというような
>ニュアンスというか価値観です。
>「どちらがより悪か」ではなく「どちらがより醜か」と考えるわけです。
A.親が資産家なので仕事なんかしないでもブランドに囲まれて暮らせるお嬢様
C.親が普通のサラリーマンなので少ない小遣いを補うために援助交際で効率よく稼いでいる女の子
D.親が普通のサラリーマンなので少ない小遣いを補うためにコンビで長時間バイトし授業中寝ている娘
E.親が普通のサラリーマンなので小遣いが少ないのは当然だと欲しいものも我慢し勉学に励んでいるお嬢さん
なんか、C.の子が、おしゃれで世知にも長けていてい活発なので、男の子たちにちばんモテそうな感じがしたりして...(笑)
人の美は、類型化できない生きている個の問題ですから、あくまでもおちゃらけです。
>で、なぜ美・醜という話を持ち出したかというと
>「美・醜」は<客観性>において「善・悪」に劣るからです。
>・・・・これじゃ何のことだかわかりませんが(笑)。
「美・醜」は論証しにくく普遍性で同意を得にくいいから、誰もがあれこれ言いやすく相対化しやすい。
それに、「美・醜」はけっこう「善・悪」に結びついているような感じもあります。
(末尾を参照してください)
>あと「善・悪」は宗教(というよりは教団・宗教組織)が利用しやすい
>という別の問題もあります。
>思考停止することなく考え続けたい・選択し続けたいのであれば
>「善・悪」ではなく「美・醜」を軸にしたほうがいいのではないかなぁと。
書き込み予定タイトルに、「「悪の宗教」=ユダヤ教・イスラム、「善の宗教」=キリスト教」があります(笑:この間の書き込みを読まれている人なら、私がどちらを評価するかそれとなくわかると思っています)
ご指摘のように考えているので、「悪」のみを対象にして、「善」を排除したいと思っています。
ただ、悪はレベルによっては罰が加えられるものだと思っているので、「美・醜」にしてしまうと、ブス(美学的論証によるものです(笑))は懲役刑にもなりかねないのです...
機会を改めて、「善なるものの醜」とか「悪の美」といった観点から、それがどのレベルまで行けば、善悪の転倒を引き起こすのかといったことを考えてみるのもおもしろいかもしれませんね。
(あんなにきれいで可愛い子は何やってもいい(善)という判断がけっこうありますからね(笑))