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(回答先: 愛について 投稿者 白亜 日時 2004 年 5 月 02 日 12:50:51)
おはつです。真相ハンターKと言います。よろしく〜
私も「愛」を考える者なので少し意見を書かせて下さい。
結論から言えば「愛」とは「相手の存在を祝福し、存在を許す」という行為です。
勿論、言葉の定義の問題なので色々と難しい面もあるのですが、私の中でのイメージとしての「愛」を言葉で表現すると「許す」事がその本質だと思っています。
一般に使われる「愛」(本能から生まれる異性を好きになる感情)と言うのは、おそらくホルモン作用による幻想(錯覚)かもしれません。そこには好きと言う(正の)感情と嫌いと言う(負の)感情ももたらします。ですから、この場での「愛」の定義からは除外(別のものと認定)させて頂きます。
「愛」=「慈愛」=「神の意識」と言うイメージだけ言葉に表しがたいものは本当の意味での「愛」とは言えないかもしれません。何故なら「愛」は広めなければならないからです。個々の人が自分の中で納得して広めなければたちまちの内に世界は「愛」の無い(愛を言う概念の隠し持つ人はいるが)世界になってしまうのです。
つまり「愛」という概念は他の人に分かるように抽象的な言葉に置き換えてはじめて意味を持つ事になるのですが(そうしなければ、いけないのです)、これは非常に困難です。かってそれを何得た人が何人いるでしょうか?現在の世界を見ると気が付いた人はいたかもしれませんが、広める事には失敗したと言うべきでしょう。
人間が意見の違う人に真実を伝える時、そこには摩擦が起こります。それは争いの元であり、場合によっては殺し合い、戦争にまで発展します。ならば、聖人は隠棲すべきか?
私は違うと思います。それは試練です。そこを乗り越えた時に「愛」は広まり意味をもつのです。
人間は自分の想いを他人に伝える時、その考えに至った過程、その考えの正当性の半分も伝える事はできません、受ける方はその人と違う考え方を持ちますのでその人の言葉(もしくは文章)の半分も理解できないでしょう。場合によっては悪意に取る事すらあります。
おそらく、ほとんど全ての人は自分の中に「愛」を持っています。それは「正義」とか「真理」とか「信念」とか思っているかもしれませんが、優しさのある感情ならばそれは「愛」の一種です。ただ、ほとんどの人が誤った認識も併せ持っています。そこで誤解と対立が生まれるのです。
相手の言葉や文章から相手の表現しきれない意図を汲み取り、相手の立場に立って相手の存在を祝福し、すべてを「許す」事が「愛」と気付いたならば争いは無くなります。
最後にもう一度書きましょう「愛」とは「相手の存在を祝福し、存在を許す」という行為です。
う〜ん、伝わるのだろうか?伝わらないのなら白亜さんの「愛」が足りません(笑)