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(回答先: Re: 愛と死 (横レス失礼します) 投稿者 白亜 日時 2004 年 5 月 04 日 03:26:02)
おはようございます。
白亜さんが寝不足になってはいけませんよ。これは、勝負でもなんでもありません。
これが目指すところはこれを見ている人、触れている人、書いている人に気付きのチャンスを与えるものであって、白亜さんが苦しむことであるのでしたらいつでも私は負けますよ。(白亜さんは、充分に役目を務めました。あなたは勝利者です)
白亜さんが、言われようとしている事は、前から知っておりますよ。(話す機会を与えて頂いて感謝しております)
多くの人が勘違いをするといけないので、なるべくはっきりと書かせてもらいます。
また、ここに辿り着かれた皆様もなんらかの縁であり、良識ある方だと認識しております。
さて、まず私の世界感から考えるオウム真理教のポア(殺人)は、これが「愛」だとするなら、狂っているとしかいいようがありませんし、白亜さんもそう考えていることでしょうし、皆さんもそうだと思います。
愛 = 生命 = 無制限 = 自由 = 永遠 = 神 = 魂
「生命」とは、全ての人が生きることを祝福し、全ての人の生きる権利が保証されること。
「自由」とは、すべての人の選択が自由に行われること。
「無制限」とは、上記選択にすべての制限を設けないこと
「永遠」とは、始まりもなければ、終わりもないこと。要するに本当の意味においての死もないこと
「神」とは、全体であり、すべてであり、在るものすべてを受け入れているということ
「魂」とは、神が分割したものであり、それゆえ全てであり、全体を認めていること
と考えております。
ですから神=愛であり、「愛」を限定している宗教はすべて神を語っていない宗教であります。それらは純粋な意味で、宗教(神を語るという意味においての。以下同)ではありません。オウム真理教も人の生きる権利、自由に制限(罰)を与えてしまっている以上、宗教ではない。「愛」も語っていない。
「愛」を説いていても叫んでいても、それはいつわりの「愛」であり、「愛」ではありません。(ですから、多くの人が「愛」を勘違いしてしまったのです。ほぼすべての宗教においてそれは言えることです)
ただ、(ここからが大事です)「愛」=「神」はこの「愛」からはずれた(狂ってしまった)オウム真理教ですらも否定しませんし、肯定もしません。
「愛」は自由だからです。「愛」は人を裁かないからです。「愛」はすべてをありのままに受け入れているからです。
(勘違いしないでくださいよ。)
それから、白亜さんが勘違いされているだろうと思われることのひとつには、私の世界感と、神の世界感とが混同されているということです。
神(全体・無)は、すべてを受け入れ、すべてを認めている。肯定も否定もしないし、裁かない。自分を知ること、創造することができない。
私(個・有)は、すべてを受け入れつつも、より良い世界が作れるように妥協点、改善点を探り、より良くなるような基準となるものを作りたい。自分が何ものであるかを知りたいし、創造したい。
ということです。
これは、白亜さんへの反論でもなく、議論を求めているものでもありません。
白亜さんの信じた道を創造してもらいたいし、ゆっくり休んでもらいたいと思っています。そして、私もゆっくりとさせていただきます。もうじきすこしの間、この掲示板を所用で去ります。しかし、また来ます。私がいなくても、他の誰かが答えるでしょう。白亜さんがいなくても他の誰かが答えるでしょう。だから共に安心して、焦らず、参加していきましょう。