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(回答先: Re: 更なる問い 投稿者 白亜 日時 2004 年 5 月 04 日 11:53:18)
これ以上は単なる自己主張の為の強弁と受け取られるかもしれません
人間には時間も制限もあり、白亜さんもこれ以上の議論を望むとも思えません。
私は私の考える「愛」を定義として書いているので、それが伝われば、それが白亜さんの「愛」と違っていても構わないのです。そこには勝者も敗者もないのです。しかし、それが伝わっていないならば、もう少し書きましょう。
>何故、見殺しにしても「愛」なのですか?
これは、相手の「存在を慈しみ許す」行為ではないので「愛」ではありません
ただし、その「見殺し」に至った経緯、事情、背景を考慮した時には「愛をもって許す」のです。しかし、法による裁きは受けるのです。
>何故、オウムはポアを「愛」と言ったのですか?
これは、私の言った事ではありませんが、上を理解した上で、人間は間違いを犯すものだと考えたならば、人を憎んではいけないかもしれません。ただし「ポア」自体は罪です。罪は罰を受けるのです。「罪」を許せとは言っていません。
犯人は法によって裁かれるでしょう。しかし、彼らがそこに至ったには間違いかもしれませんが、何らかの理由があるはずです。その上で彼らを「人並み外れた非道な悪魔」と感じるならば、そこには「愛」の不足があります。おそらくは「彼らには彼らにしか理解できない間違った正義」があったと思います。
私が見たところ、オーム全体は「悪」そのものですが、個々の人は今の若者の中では比較的、誠実で真面目な印象すら受けます。(教祖は除きます)
彼らはどこかで間違ったのです。場合によっては明日には私は間違うかもしれません
白亜さんが間違えるかもしれません、「愛」を知っていても間違える時はあるのです。
尚、私の定義する「愛」は調和人さんとは違います。
「愛」は「相手を慈しみ、祝福し、全ての存在を許す行為」というのが私の定義です。
それには正悪は関係ありません。社会的には極悪非道な殺人鬼の処刑でも「愛」のある親族知人は悲しむでしょう。「あいつはそんなに悪い奴」ではなかった。と証言するでしょう。その「愛」は場合によっては「悪」を増長する結果になるかもしれませんが、それも「愛」なのです。
つまり、私の定義する「愛」は正悪とは別です。
しかし調和人さんの言う「愛」が見違っている訳でもありません、単に調和人さんの定義が、私の定義と違うと言うだけです。
>ひとつだけ答えを
>3つのうちどれを選んでも「愛」ではありません。
>どれを選んだにしても「罪」だ、と認識し、それを抱えて生きていかなくてはならな
>い。
>「愛」という言葉でごまかしてはいけない。ということです。
>余計なお世話をしました。謝罪します。
謝罪は必要ありません。
どうも白亜さんの「愛」は「真理」に近いもので、「厳しいもの」のようですが
私の定義とはほぼ正反対かもしれません、
「愛」は「理性」とは無関係です。正しい一つなど無いのです。ごまかしは必要ないでしょう。
「正も悪も」無関係です。「理屈、理論」でもありません。
「罪を憎んで人を憎まず」と言う言葉を使うのはあまり私の趣味ではないのですが
どれを選んでも「罪」なのではなく、どれを選んでも「愛」なのです。
しかし、白亜さんの愛もまた、正しいのでしょう。「憎み罰する愛」もあるのかもしれません。私の考えではそれは「規律の尊守、自己への戒め」と言う「抑制重視」(欲望を抑える理性)の「愛」と思いますが・・・
最後に老婆心として、やっぱり、少しマンガでも読んだ方が良いでしょうと言っておきます。先の「トーマの心臓」に加えて三原順さんの「はみだしっ子」を追加しておきます。自分に厳し過ぎる人は、少し息を抜いた方が良いです。
それでは〜、さようなら〜