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(回答先: Re: 愛について 投稿者 白亜 日時 2004 年 5 月 03 日 19:39:47)
白亜さん、どうもです。
大まかには理解されたようですが、やはり、十分に伝わってはいませんね
これは、白亜さんが悪いのでは無く、私の書き方が悪いのです。(誤字、脱字も多いし)
少し、具体例を挙げましょう。
あかちゃんは、ほとんどの場合「困ったちゃん」です。善悪の区別が付かないというか
強いて言えば、悪い事しかしません
でも、親なら笑って許します。それが「愛」です。
酔いどれの父さんは「困ったちゃん」です。酔っぱらって帰ってきた上、無理難題を喚き散らします。しかし「愛」があれば苦笑して許せます。無ければ喧嘩です。
今回、日本人が三人イラクで人質になりました。「愛」があれば彼らは許されます。
(責任有る派の私が言っても説得力有りませんが、笑)
彼らを批判する人がいます。「愛」があれば、それも許せるのです。
もしも、許し合う「愛」にみんなが気が付いたならば、この世に戦争などのあらゆる紛争は無くなるのです。相手の思想や考えに敬意と祝福を持って受け入れたならばそこに争いはおきないのです。
>「愛」を広める・・・ではなく、それぞれの教育環境や社会環境を整備する!だとおも>います。
この辺が理解されていない点です。上記は「許す」のではなく(国の考え)を「押しつける」もしくは「教える」と言う事なのです。
どこが違うのか?「愛」の広めは「愛」によってなされねばならないのです。
親の育児・子育てには「愛」があります。教育にも教える者によってはあるのですが、仕事になった瞬間にそこには「愛」が無くなり、変わって「罰」によるしつけが生まれます。
同じ「怒られた」でもそこに「愛」を感じれば、例え殴られてもそこに「恨み」は発生しません。「愛」の無い場合、言葉による注意でも「恨み」が発生します。それでも、怒られた方が「愛」を持って許せば争いは起こりません。争いが起こるのは双方に「愛」が無い時なのです。
>人間は完全ではないし、完全を求めてもいけないからです。
>全てを「許す」・・・あなたはできますか?
できません、私は人並み外れて不完全な人間です。ですからできる訳がありません
>不完全な人間には無理です。
そうです。そのとおりです。しかし・・・
>もしできたとしたら、完全な「自己否定」につながるからです。滅私です。
は違うのです。不完全な人間同士だからこそ「許し合う」のです。
完全な「愛」の持ち主ばかりならば「許す愛」は必要ないのです。
>それを求めるならば、あなたは死ななければなりません。あなたが生きている以上、誰>かしらに迷惑をかけているからです。
ここが「愛」を理解していないのです。
「愛」とは相手に対して行うものと同時に相手から受けるものなのです。
不完全な人間は間違いを犯すのです(あかちゃんは、いっぱい悪い事するでしょう?)。それは許されるのです。誰かに迷惑をかけるのも「愛」の広めなのです。人によっては「苦笑」しながらも助けてくれるでしょう。その恩はい連れ返すのです。その人に返すのでなく他の誰かに返しても良いのです。
>自分の出来る範囲内で「許す」なのです。
ではなく、相手から「許される」のです。そして「許す心」を広めるのです。
今日私は「許す愛」を語りました。不完全な私は数日後には自己矛盾の行動をしていると思います。そこで「言動不一致じゃないか」と怒ってはいけません。「知ってても実践出来ないアホが騒いでる」と笑って許してもらえれば争いにならないのです(笑)
では、白亜さんが私の言う「許す愛」を理解して下さる事を祈りつつ・・・
追伸:これは私の考えなのであまり真剣に考えないで下さい。人はそれぞれ自分の「愛」を持っています。多分、それも「本当の愛」です。「愛」は人によって違うのです。それを認め合うのが「許す愛」です。白亜さんは白亜さんの「愛」を大切にして下さい。私の考えは参考としてもらえれば十分です。