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如往さんへ
http://www.asyura.com/0401/idletalk7/msg/844.html
へのレスです。
私から質問しておきながら、お返事が遅くなり申し訳ございません。
<<逆に如往さんに質問させてください。
仮に自分が「日本を管理運営するCIA現場最高責任者」に就任したと仮定して、国務省の上司から「今後の日本におけるアメリカの国益の長期的確保という観点から、現在の状況を踏まえ、これからの日本の天皇制のあり方および皇室の管理・運営のあり方について、要点をレポート用紙2枚くらいで提出せよ」と言われたらどんなことを書かれます? >
おそらく、「我が国の長期戦略を完遂するためには、米国にたいする反旗の象徴になるのを回避しつつ、天皇(制)を日本国民懐柔の有用なスキームたるべく保持していくことが肝要である。」といった骨子になるかと思います。それには、一般の日本人は政府官僚や上部組織から分断されていても、天皇(制)との親和性が確保されている限り為政者にたいし従順な国民性を示すとの認識が下敷きになるでしょう。つまり、米国に比肩するほどに国民主権の意識を涵養することは日本を懐柔する上で決して得策ではなく、さりとて日本人をバラバラにしておくと極端な右傾化や左傾化に誘導されないともかぎらないとの判断から、彌縫策として引き続き天皇(制)を容認するというが常識的な落し処になると考えます。(あまりにも教科書的で、ガッカリでしょう?)
>
今の「日本の現状を維持させておくことでよい」、とアメリカが思っているのであれば、今「皇室を活用する方策」は確かにあまりないですよね。
しかし、アメリカとして日本の進路をあるアメリカが望む方向へ舵を切っていく必要がある、と思っているのであれば、方向転換させるためのエネルギーの起爆剤として「活用」できる、と思っているのではないでしょうか。
例えば、「憲法改正」を例にとりますと、日本の「今」の現状を前提として考えれば「2/3の国民投票を確保することなどとても無理だ」という判断が常識になります。
しかしここで、起爆剤として「天皇或いは皇室」を活用できないだろうか、と考えてみるとしたらどうでしょうか。
(日本人に日露戦争をやらせる際に、いやいややらせるのではなく、国民の総意として進んでやらせるためにはどんな仕掛けを用意してやれば日本人はその気になるだろうか?〜と考えたイギリス人の問題意識と同じように考える、といったイメージです。)
我々凡人でもアメリカ人の立場になって考えてみると、それぞれに「活用案」が思い浮かんでくるのではないでしょうか?
<それにしても、日本人にたいする英国人の見方を覆すのは並大抵のことではないようですね。>
「見方を覆す」、という表現は、「本当はそうではないのに、そのようにやや誤って見られているところがあり、そのような誤解を解いていかないといけない」といったニュアンスを感じますが、いかがでしょうか?
前回私が書いたことは、誇張はなく本気なんです。
「自分達には自然に見えるのに、どうして海外の人達からは天皇だけではなく、各業界のえらいさんも珍獣に見えるのだろう」という発想を持つことが需要だと思います。
話は若干それますが、
日本人にとって、「自分たちの歴史を客観的に理解できていない人達」と心の中で感じている韓国の人達から「日本こそは、歴史認識が間違っている」と言われ続けるという事実も、お互い他人の「自己認識」の滑稽さにはすぐ気が付くのに、自分の「自己認識」の滑稽さにはなかなか気付かない、ということからくるのではないかと思います。
以前、「自分の姿を冷静に認識するのが不得意な日本」、というテーマで投稿いたしましたが、この弱点は、日本だけではなく、韓国、あるときは中国人にも共通するテーマだと思います。
このようなことから、第三者である欧米人からは、「韓国人・中国人・日本人を車座に座らせて、会話をさせてみると面白いよね」と内心思われています。
もし意外にも仲良くしそうになったら、「誰が一番なのかな?」と第三者が周りからささやいてやれば、「俺です。俺です。」と仲たがいしながら、はげしく欧米人に主張したがる(認められたがる)ところを見物するのも一興と彼らは思っています。
「三者をケンカ(戦争?)させてみるのも面白いよね」という発想もこのあたりから
生まれてきます。
アメリカやイギリスが太鼓をたたいても踊らないことが重要だと思っています。
そういったことから、如往さんの「何時になったら日本は(政治的に)英国を超えられるのでしょう」というお言葉に若干違和感を感じてしまうんです。
私の感覚を申し上げれば、
「長いこと世界をご指導なさってきた英国なんぞを(政治的に)越えんでもええやないか。
我々は、しょせん物作りの職人や。人間もって生まれた得手不得手っちゅうもんがある。
いいもの作って世界の皆さんに喜んでもらえたら、それが我々日本人の喜びとするところ、と思い定めることがそんなにあかんことなんかいな。」という感じになります。