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(回答先: 如往さんへの遅レス 投稿者 リーマン 日時 2004 年 3 月 03 日 03:14:43)
リーマンさん、今晩は、レスを有り難うございます。
少し前のこととは云え、年齢のためか記憶と感覚を取り戻すのにやや時間が掛かってしまいます。今回は思考を重ねたものと云うよりも、一方的な雑感めいたものになってしまいましたことをお詫びします。
ところで、我々の業界でよく語られる問題解決に際しての心得に、cool head, worm heartがあります。しかし、私はこの心情の基底にはシニシズムに陥らぬためのニヒリズムの存在が重要であると見ていますが、果たして日本人は明治期、大正期、昭和期を通じて価値観の全否定を伴なうようなニヒリズムに至ったことがあるだろうかと、そんな疑念が浮んで来ます。さらに、ニヒリズムの起源を求めるならば、日本人は否定されるに堪え得るような価値観を有し得たか、大東亜共栄圏構想という価値観は真実広汎に国民に共有されていただろうか、そんな疑問が惹起されます。仮に萌芽が見られたとしても、この処の英国を発地とする歴史展望を敷衍すればその脆弱さに関してはリーマンさんが指摘されている通りではないかと感じています。
神との訣別あるいは神との切断を起因とするニヒリズムの介在、この西欧的なニヒリズムの到来を日本に期待することはできないのは言うまでもありません。しかしながら、日本人が世界を確固として捉えきれないのは、一つにはこのニヒリズムの不在があると考えています。
>しかし、アメリカとして日本の進路をあるアメリカが望む方向へ舵を切っていく必要がある、と思っているのであれば、方向転換させるためのエネルギーの起爆剤として「活用」できる、と思っているのではないでしょうか。
セオドア・ローズベルト以来、米国が日本や天皇(制)をどのように捉えどのように扱おうとして来たのか、さらなる検証が重要であると思いますし、同時並行的にアメリカ(アングロサクソン・アメリカン&国際金融家)の動向を具に観察し、アメリカが望む方向を推測して対処していく必要があるとは思っています。ですが、今後我々が天皇(制)を逆手にとってアメリカと対峙していけるどうか、あるいはアメリカの策謀に充分対置していけるようなオルタナティヴやドライビング・フォースを構築できるだろうか、遺憾ながら現状は悲観的な観測をしています。
>「見方を覆す」、という表現は、「本当はそうではないのに、そのようにやや誤って見られているところがあり、そのような誤解を解いていかないといけない」といったニュアンスを感じますが、いかがでしょうか?
「見方を覆す」のが容易でないとは、覆せるような標し換えを含む価値観の定立の困難性を指摘したもので、不理解さを嘆いたものではありません。ですから、先ずは『「自分達には自然に見えるのに、どうして海外の人達からは天皇だけではなく、各業界のえらいさんも珍獣に見えるのだろう」という発想を持つことが重要だと思います。』(リーマンさん)との認識に立つべきだと痛感しています。
>以前、「自分の姿を冷静に認識するのが不得意な日本」、というテーマで投稿いたしましたが、この弱点は、日本だけではなく、韓国、あるときは中国人にも共通するテーマだと思います。
おそらく韓国に関しては同等に扱うことが可能かも知れませんが、中国に関しては一括することは難しいのではないでしょうか。何しろ、20世紀で最も傑出したテクノクラートである彼の周恩来を生んだ国でありますから。
さて、そこで質問ですが、リーマンさんは日本(人)が自分の姿を冷静に認識するのが不得意な原因を何処に求められると思われるでしょうか。
>アメリカやイギリスが太鼓をたたいても踊らないことが重要だと思っています。そういったことから、如往さんの「何時になったら日本は(政治的に)英国を超えられるのでしょう」というお言葉に若干違和感を感じてしまうんです。
批評家めいた物言いのように聞こえるかも知れませんが、旧来的な価値観への安易な回帰にたいする警鐘を鳴らすといった意味を込めています。これは、『私の感覚を申し上げれば、「長いこと世界をご指導なさってきた英国なんぞを(政治的に)越えんでもええやないか。我々は、しょせん物作りの職人や。人間もって生まれた得手不得手っちゅうもんがある。いいもの作って世界の皆さんに喜んでもらえたら、それが我々日本人の喜びとするところ、と思い定めることがそんなにあかんことなんかいな。」という感じになります。』(リーマンさん)と同じような感慨とともに、何度も臍を噛む思いをしたことか、 そうした経験を十分踏まえてのことです。
余談ですが、リーマンさんは麻雀を嗜んだことがありますでしょうか。私の学生時代は最も盛んで、労働組合活動の最中においても、特に専従組合員の間では卓を囲むことが多かった昔日でした。
そこで、麻雀の勝率を高める方法ですが、ランチェスター理論を援用すれば簡単です。すなわち、3人の相手の中で(技量的・運気的に見て)最も弱い者を徹底して叩くことによって、次に二番目に弱い者に向っていくといった戦略を堅持することです。最初から最も強い相手に対して向ってゆくのは、当人にとっての美学の開示ならば仕方がありませんが、無謀なことには変りなくお決まりのように無惨な結末が待っています。
この種の美学を英国人らしい英国人は持ち合わせてはいないのではと、私も数少ないビジネス上の接触から感じているのですが、リーマンさんの感触では如何なものでしょうか。また、アングロサクソン・アメリカンの場合は圧倒的に有利な情勢にないと戦闘に及ばない性向があると見て、その要因を建国過程のどの辺りに求められるのか探索したい気持ちはあるのですが、未だに手をつけていない状態です。
以上がリーマンさんの意を汲んだ回答になっているかどうか甚だ心許なく感じています。それでも、「らしきもの」を求めていこうとするリーマンさんの真情については感受しているつもりですし、私自身も幾許か世間を斜めに眺望しながらも探究心だけは失わないでいたいと考えています。
また、会いましょう。