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(回答先: ニヒリズムからの再生 投稿者 如往 日時 2004 年 3 月 04 日 03:28:13)
如往さんへ
またまたおそレスすみません
書かなければ、と思いつつ、苦しんでいました。
けっして如往さんが、男性だから、というわけではないんです。
前段については、「ニヒリズム」という言葉がキーワードになると思うのですが、「この言葉に関する私の理解が共通なものなのか自信がないですし、以前も申し上げた通り、なるべく難しい言葉を使わずに、自分の納得できる範囲で考えていることを書く、というのが私のスタイルですので、やっぱりコメントは控えたいと思います。
< さて、そこで質問ですが、リーマンさんは日本(人)が自分の姿を冷静に認識するのが不得意な原因を何処に求められると思われるでしょうか。>
以前「鏡でわが身の姿を見ること」の重要性を書いたところで若干触れましたとおり、特に海外との関係で言えば、その弊害が目立つようになるのは明治時代からなのではないか、と思っています(私が現代につながるものとして天皇制や明治の成り立ちにこだわるのもそのような理由からです)。
一方で、真正面から「理由とは何か」と問題を立てて、「理論」や「史観」や「主義」や「解釈」を回答としてどこからか持ってきて手のひらにのせてみる、ということは好きではありません。そういうものに寄りかかって物を見ようとすることは、一種の気力の衰えであり、自分という存在がキチンと大地に立つことを出来にくくさせる、と思っています。(騙されるモトです。)
もし、「日本(人)が自分の姿を冷静に認識するのが不得意だ」という主張に共感いただける方がいらっしゃったとしたら、「理由」とか「背景」とか「説明」等の出来合いのものに頼らずに、それぞれがその事実をじっと見据えてしばらく付き合ってみる、ということが大事なんじゃないかと思っています。(そうしていれば、そのうちにそれらのことについて自然と自分の言葉で何かいいたくなるときがくるのではないか、と思うからです。或いはそのうちに自分の周りにある意見の中から共感できるものを選び取ると思います。そういう事が起きなければ、「分からない」と言い切ることも「強さ」のうちだと思います。)
今回韓国人の状況を持ち出したのは、「日本(人)が自分の姿を冷静に認識するのが不得意だ」という日本人特殊論・ユニーク論みたいなものに結び付けられるのがいやだったので、「自分を素直に見られないという点においては、韓国人も日本人も同じようなレベルじゃん。」という事実を指摘することによって、すぐに結論めいたものを導き出すことを避けたかったからでもあります。
<余談ですが、リーマンさんは麻雀を嗜んだことがありますでしょうか。私の学生時代は最も盛んで、労働組合活動の最中においても、特に専従組合員の間では卓を囲むことが多かった昔日でした。
そこで、麻雀の勝率を高める方法ですが、ランチェスター理論を援用すれば簡単です。すなわち、3人の相手の中で(技量的・運気的に見て)最も弱い者を徹底して叩くことによって、次に二番目に弱い者に向っていくといった戦略を堅持することです。>
マージャンは、並べ方程度は知っていますが、あまりに自分に向き過ぎているゲームだと思い、深入りしませんでした。また、私が大学のころはもうあまりはやっていなかったと思います。(中学から高校時代までは、学校が終わると友人と欠かさず夜までポーカー等の賭け事ゲームにはまり込み、その誘惑から逃れらないダメな奴でした。まるでサルの○○○ー状態。)
ランチェスター理論については知りませんので、レスがピントはずれでなければ良いのですが、以前投稿(体験的陰謀論その1)の中で、マーケットの格言として「ゲームが始まって20分たっても今日の「カモ」が誰なのか分からなかったら、おまえが今日の「カモ」なのだ。」という格言があり、常に日本人が「その日のカモ」扱いされていることをご紹介したことがあります。
イギリス人達があらゆる手段(八百長も大いにあり)を使ってゲームに勝とうとすること自体に異を唱えるつもりはありませんし、彼らが他のプレーヤーの精神力を痛めつけ自ら崩れていくように仕向けることによって勝利することに、より以上の勝利感・達成感を感じているであろうことも想像できます。
日本人がそのフランパンの中で彼らのゲームのルールの中でバタバタ踊るのも、或いはイギリス人の流儀はけしからん、と刀を抜いて切りかかろうとすることにも、どんなもんかいな、と思っているところです。
あまりまとまりのないレスですが、、、、これにて失礼します。