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(回答先: 選択肢なし 本音のコラム宮崎学 投稿者 エンセン 日時 2003 年 11 月 15 日 06:57:02)
エンセンさん、こんにちわ。
彼の言う「選択肢がなかった」という話は
根っこでは同意しています。
エンセンさんもそうなのかな、だからこの記事を転載したのかな、
とも思っています。
自分自身がどういう選択をしたのかについては
読まれたかもしれませんがここで書きました。
まあ、本当にどうにもならない微々たるものだと思いますが、
自分の気持ちを大事にしたいと思って、行動に移しました。
「選択肢がない」という思いは
二十歳になって選挙権をいただいてからずっと続いてきた思いですので、
結局ノンポリ・無党派で選挙にもいっていませんでした。
今回は私が今できる最大限ましな選択をしました。
私の場合は思春期から横たわる「アイデンティティ」の問題がありましたので、
「結局どこにも属していない」「属さない」という気分でずっと過ごしてきました。
そういう意味では一時期「個」としてものをいっているとおぼしき人には
シンパシーを感じていたのですが、
ある時期から困ったことにそうしたものも受けつけなくなりました。
そこにある「匂い」を嗅ぎ取ったからだと思いますが。
まだその本が存在する事しかわかってないのですが
宝島社から「同和利権」について書かれた本が出ていて
(3冊のシリーズになっています 題名失念)、
そこに宮崎学 小林よしのり 鎌田慧という著名な方々の発言が
いかにして同和の問題についての現場の問題をややこしくしたのか
という話がジャーナリストによって紹介されているというのを
先日本屋で見かけました。
同和利権の問題はものすごくたくさんのややこしい利権が横たわっているという話を
私は関西にいた時に(元々は関西出身)直に聞く機会がありましたので、
全部を理解しているとはいえませんが、少しだけ知っています。
で、私はこの宮崎学氏個人に関して著作を読んだり、
講演を聴きにいったり、個人的に話などした事がない
(なかなか機会はなさそうだけど)
ので、まだ判断を保留しています。
私の中ではなんとなく「変な匂い」がする人なのです。
彼個人のいいたい事や意志に関わらず、
ある部分で彼のあり方が別の所から高みの見物をしている人間にとっては
目障りな「なにか」を潰すのに間接的に
「使いやすい」存在になっているのではないかと思います。
それをうまく、実証的に証明する事はできませんが、
彼にも別の所から見た時にある「権力性」が発生して、
それをうまくなにかに使っている人間いがいる
であろうということを感じています。
私の考えすぎかもしれないのですが。
そして、ひょっとしたらエンセンさんもそれを折込済みで
投稿しているのかも、ですけれども。
追伸
別板で転載されていた長野県の佐久の診療所の話は面白かったです。
以前、市民出資で立ち上げた零細映画館でアルバイトしていたのですが、
そこで映画館の支配人のつてで
佐久の診療所のドキュメントを上映した事があります。
ひょっとしたらご紹介をされていた所かも知れません。
確認のしようがないので確かな事はいえませんが
1998年ぐらいに上映したドキュメントです。
その頃の事を懐かしく思い出しました。