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(回答先: Re: 用済みスパイの末路 投稿者 竹中半兵衛 日時 2003 年 11 月 18 日 08:51:11)
世の中おかすなことがあるもんだ。
宮崎学さ非難ゴーゴーで、キツネの目もさぞかす弱り目に祟り目だべ。
んで、といってはなんだども、動労千葉の春闘がらみのストライキが3日か4日かけて打たれてるだな。これは去年もやってただ。今年のは春闘さイラク反戦ばかかげて戦われたんだ。「前進」に乗ってるだ。
んだどもようく考えてみると、動労千葉はJRの職員からなる。jR東日本の職員だ。それが堂々とストライキば打ってそのごも何のおとがめも聞かねべ。
んだらば、全国の労組がストさえ打てねえ条件の中で、党派の機関紙ば購読すとったJR総連はそれだけでも「革マルだ」っつわれて捜索受けて、すっかもだよん、去年の11月にJR総連傘下のJR東労組の組合員が7名もでっちあげ逮捕され1年近く投獄されてただ。ま、昔の思想犯狩りで特高なみの弾圧だで、7人さ転向(スパイ化)ば強要すいたんだべな。
この事情ば理解するのに、宮崎学スパイ説ば適用するとだな、納得がゆぐ。
別におらカクマルでもねえすい、中核嫌いでもねえんだが、ますいてや日共嫌いでもねんだども、おらは自ら安保闘争さかかわった人間とすいて彼らの意見ばおらのやわらかい頭さ取入れ、反芻すいて血肉となすような人間だ。ただすい、おらのおつむのキャパスイティが問題なだけだども。
んだから現在の反戦運動や日本労働運動ば理解する上では、やっぱすい、主張や運動さ目ば向けっと、宮崎が一役買ってんだな、とつくづく思っただ。
動労千葉は泳がせだな。官許のストだから誰も弾圧ば受けねすい、スト破りもねえ。
動労千葉がいっくら自己宣伝すいてもそれが他の組合せえ波及すいねえ。そりゃなぜか、2001年8月発行の「公安調査庁スパイ工作集」が効いてるだ。
左翼的感性とはなんだべ?
一番よく知ってるのは、「大衆」であるところの一般労働者が、日常持ち合わせている感覚だあ。
まして、「内ゲバに見る公安警察の犯罪」(玉川信明内。ゲバ事件の真相ば暴露)なる著書が出てからはなおさらだあ。
内ゲバの真っ最中は左翼知識人は身の安全ば考え一切沈黙。その中で宮崎率いるスパイ部隊の暗躍と中核派の操作。
宮崎問題はここまで左翼ば蝕んでいたんだ、とつくづくため息が出るだあ。
いまひとつ腑に落ちねえことだが、神戸少年事件さついて中核派は冤罪説ば否定(カクマル「謀略論」否定と銘打っても冤罪説そのものを否定)すてるだども、こりゃどう見ても権力情報さ依拠すてるだなと一発でわかるシロモノだ。中核派さよると、下山・三鷹・松川事件の戦後三大謀略すらねがったそうだ(三角忠がそう言ってるだどは、カクマルが白井明の説を紹介、カクマル「解放」の「謀略粉砕」欄参照 URLは www.jrcl.org)。
「真相を究明する会」はカクマルっていわれてるだが、少なくとも冤罪ば告発するための大衆的団体だったべな。んだから「神戸少年事件の真相」ってものすげえ資料が、あらゆる人の努力でできたんだあ。ほんで多くの人が「冤罪」ば唱えるに至ってるだ。これはカクマルだからって一蹴することのできねえ、知識人さとってかけがえのねえ地平ば築いた産物だ。
中核派はこれば頭ごなしに否定すた。すかも権力と一緒の論法だべ。
こら、おらも許せねえな。中核が嘘ついてるだ、とおら肌で感じてたたが、宮崎問題ばえぐるうちさ、だんだんと証明されてきただな。
ほんでもって、宮崎学の言動さ目ば通しなおすと、宮崎が中核派と接触ば始めたのは1990年代始めごろからだというべ。ばれたのが2001年だべ。この10年ばかすのあいだで、ナニが中核派さおこったか。
カクマルが謀略がらみの冤罪を唱えれば権力の意ば受けて中核派が否定するってなパターンができちまったんだな。
もう言わずと知れたこったな。
こら、宮崎ってのはたいすた玉だあ。戦前のスパイMの役割以上だなあ。日本の反動化と切っても切れねえ足跡ば残すたんだなあ、とつくづく思っただ。
まあ、大衆は、おらも含めていいべかな、そうそうばかじゃねえ。
ここでやましたさんのサイトば引用すときます。
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http://postx.at.infoseek.co.jp/koube/tyuukaku.html
中核派による「神戸謀略論」批判
〜中核派の雑誌から
中核派雑誌『共産主義者』第118号(1998年冬)から,「神戸事件が示したもの」という論文の前半部を紹介します。
革マル派が採用する「謀略論」というものの特質について,敵対会派の眼から見た観察眼でとらえていると思われます。
ただし,ここで「革マルの所業」とされているものの少なからぬもの,「革マルが文藝春秋に調書のコピーを売りつけた」「列車妨害を自作自演した」「革マルのテロルは警察権力が黙認している」等々は,具体的物証によって裏付けられたものではなく,あくまで中核派の推測で筆を走らせているに過ぎないことを考慮しておかねばなりません。
なお,ここに示されている「神戸事件そのもの」についての中核派の見解には私は批判的で,率直に言って革マル派のほうが事実に対する検証は的確だと思っています。
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前進社『共産主義者』第118号(1998年冬)
特集 現代のファシスト・カクマル批判
神戸事件が示したもの
石井良久
1ウソで固めた自作自演の卑劣な手口の数かず
昨年六月二八日、神戸市須磨区で発生した小学生殺害事件の容疑者として中学生のA少年が逮捕されたとき、そのあまりの衝撃に日本社会が根底から震憾した。この時すでに「解放社の前で『生首、バラバラ』と叫ぶ男が現れた。神戸事件はCIAによるドス黒い謀略だ」などとふれまわっていたカクマルは、「中学生逮捕」の事態に狼狽しながらも、このさい神戸事件の社会的衝撃力をむしろ徹底的にみずからのファシスト運動に利用しつくし「謀略論」を清展開すること、そこに一切をかけてファシスト党派としての延命をはかることを決断し、路線化してゆくのである。まさに反革命カクマルにしかできない発想だ!
カクマルがどんなに卑劣で汚い手口を使ってデマ運動にいそしんできたか、あらためてふりかえってみよう。
第一に、「神戸謀略論」はどこを取っても真実のカゲラもない、ウソとデタラメで構成された代物である。カクマルはこの殺害事件が「CIAの仕業」であり、「少年によって実行されたものではない」ことを示すため、さまざまな「証拠」をデッチあげて、一大キャンペーンを張ってきた。いわく、
殺されたB少年はA少年と親しくはなかったから、誘われてもついていくはずがない。
A少年がB少年と道で会ってから、タンク山に誘ってそこで殺害し、店で万引きをして遺体を隠し、その後に友人に会うまでの時間が、証言では二時間五〇分になっているが、その時間内では無理だ。
A少年とB少年は「くんずほぐれつの格闘になった」のにA少年の衣服は泥まみれになっていなかった。
「犯行声明」やその後に公開された「懲役13年」の文章は、一四歳のA少年には書けない。
A少年が取り調べで再現した「第一犯行声明」は、原文とは筆跡が異なっている。
A少年の「懲役13年」をパソコンで清書したC少年(A少年から暴行を受けて転校)の証言は、信用できない。C少年はCIAの筋書きにのせられ、利用された。……
どれもこれもが底の割れたデマとトリックである。カクマルは交際のあった両少年を「親しくなかった」と決めつけ、実際にはA少年の行動が時間内におさまるのに、手前勝手な計算をして「無理だ」と言い、コンクリートの現場での「泥だらけの格闘」をデッチあげる。そして、「犯行声明」とA少年が取り調べ中に書いたものとを比べて、実際には両者の筆跡が似ているという事実を無視できず、「おそらく、左横に『第一犯行声明』をおき、それを見ながら…腕が痛くなるほど何度も書き直させられても、A少年はなかなか『第一犯行声明』と同じ筆跡で書くことができず、また『第一犯行声明』の上をなぞるように書いても、これもまた同じ筆跡で書くことができなかったにちがいない」(『解放』三月三〇日付)などと、カクマルの空想上でしか成立しない状況を具体的に(?)再現してみせる。そしてなんの根拠もなく、A少年にはこれらの文章は書けない、C少年はCIAにあやつられているなどと「推断」してみせるのだ。
要するにカクマルは、A少年がこの事件の実行者ではありえないという証拠を何一つ提示できず、「疑問点」のようなものをあれこれ並べてみせるのだが、われわれがそれらに具体的批判の刃を突きつけるやいなや、たちまち崩壊してしまうような粗雑で見えすいた代物ばかりなのである。
ついでに言っておけば、これらに加えてカクマルは、「事件の一周年に第二の神戸事件を予告する怪文書が送られてきた」とか、「電車に乗っていたら不審な男が現れたので、『お前はCIAだろう!』と言ったらウッとつまった」などという話を反革命通信紙上で披露しているが、インチキ宗教の「神秘体験談」などと同レベルのストーリーのねつ造に熱中するカクマルの姿には哀れをもよおすものがある。
第二に、こうしたウソとデタラメの「神戸謀略論」を押し通すために、白色テロル部隊を全面的にこれに投入し、盗聴、盗撮、尾行、窃盗にいそしんできたのである。
カクマルは昨九七年九月に(まさにガイドライン情勢のそのときに!)、『解放』一四八五号の草刈論文において、黒田じきじきの号令で「神戸謀略論」デマ運動に大々的にのりだしてゆく。実践的にはそれは、白色テロルの実働部隊の全面投入であった。すなわち、A少年の両親宅をつきとめて電話盗聴、A少年の精神鑑定を担当した神戸市の県立光風病院に侵入し供述調書を窃盗、さらにA少年の身柄が移された府中市の関東医療少年院や殺されたB少年の司法解剖をおこなった神戸大学法医学部に侵入し盗聴器を設置、そうして政治ドロで手に入れた調書をマスコミ各社に送りつけ、ついに『文芸春秋』誌上での掲載にこぎつけるのである。
カクマルはこの掲載に、待ってましたとばかりに『解放』紙上で「神戸謀略論」デマのシリーズ連載を開始し、「公表された調書は検察官の稚拙な作文」などと大キャンペーンを展開する。革命家にたいする白色テロル攻撃を絶えず画策し、また最近では列車妨害テロルなどの反革命活動に手を染めてきたカクマルテロル部隊が、ここに総力動員されたのだ。みずから盗んだ調書をマスコミにバラまき、それを材料に「作文だ、デッチあけた、謀略だ」とわめきちらすという、おぞましいファシスト的デマ宣伝のために!
とくにA少年の両親にたいするカクマルの所業は、絶対に許せない。両親はまったく無防備の民間人であり、息子の逮捕に失意と動揺のただなかにあることは誰にでもわかる。カクマルはそこにつけ入り、引っ越し先を突き止めて家に侵入し盗聴器をしかけ、両親の動向を逐一監視していたのである。両親が十一月にA少年に面会するために上京することをつかんだカクマルは、新幹線の車両内で二人を待ち伏せして捕捉し、自分たちがあらかじめ席を用意していたグリーン車に拉致同然に連れ込み、「事件当時のA少年の様子についてお話をうかがう」と称して質問責めにした。そうして両親があたかも息子の冤罪を主張したかのようなインタビュー記事をデッチあげ、それを材料に「ご両親を激励し心が通じ合った」「犯人は息子ではないとご両親が訴えた」などと宣伝するのだ。一体全体、冤罪説を主張している団体が、当事者たる家族にたいし、盗聴、待ち伏せ、拉致などという白色テロル同然のやり口で襲いかかるなどと、誰が考えられようか。ファシスト的利害のためなら苦悩のどん底にある人につけこみ、あくどく利用し、踏みにじることになんの心の痛みも感じない、カクマルならではの行動だ。
第三に、この一連の「神戸謀略」デマ運動は、K=K連合(警察=カクマル連合)のもとに、警察の容認・黙認を期待して計画され実行されてきたということである。カクマルは「警察権力による神戸事件の謀略性隠蔽の構造を暴く」などと言いながら、じつは本質的にも現実的にも警察権力を頼りきり、その庇護のもとで活動する腐りきった集団なのだ。
九八年一月七日、練馬区豊玉のカクマル非公然アジトを警視庁が家宅捜索し、カギ一万四千本、合カギをつくる工具、偽造警察手帳、膨大な数にのぼるビデオテープ、オーディオテープ、フロッピーディスクなどを押収した。偽造手帳で警察をかたって人民をたぶらかし、盗聴、盗撮、空き巣、のぞきなど白色テロルと情報収集活動を実行する拠点としてこの豊玉アジトはあったのである。
事後の報道記事でカクマルは、「神戸事件の謀略性を実証する諸資料を手にして、公安デカどもは驚愕しながらも、しかし平静さを装って、なにひとつ押収しなかった」(『解放』一月二六日付)と報じていた。だが実際には、カクマルが盗み出した検事調書が入ったフロッピーが押収されていた。みずからの窃盗犯罪が明かるみに出ることを恐れたカクマルは、「見逃してくれ、何もなかったことにしてくれ」という哀願のシグナルとして先のようなウソ報道をしたのだ。ところが同月二一二日に警視庁は、調書フロッピーが豊玉アジトの押収物にあったことを発表してしまう。カクマルはその当日、各報道機関に「フレームアップだ」などとゴマカシの発表をしてはみたものの、シラを切りとおすことは無理だと覚悟し、二日後の二五日に記者会見を開いた。そこで一転してフロッピーの存在を認め、「不法な手段で入手したのではない、わが同盟の闘いに共鳴したであろう者から送られてきた」などと白々しい弁明をおこなったのである。
そしてさらに四月九日、千葉県浦安市の非公然アジトが警察に摘発されるなかで、ついにカクマルは盗人の居直りよろしく、「われわれ自身の知能と技術と協創力、まさにこのような力をわが同盟が貯えていることからして、いわゆる『供述調書のフロッピーディスク』なども当然のことながらひとりでに入手されることになる」(『解放』四月二〇日付)と、調書窃盗を公然と認めたのである。
「なにひとつ押収されていない」→「共鳴者から送られてきた」→「カクマルが知能と技術で手に入れた(盗んだ!)」このクルクルと変わる恥知らずな言動はどうだ!カクマルは、自分のついたウソが破産するたび、権力の容認と締めつけの案配を見ながら、さらに無節操なウソを重ねて事態をのりきろうとしてきたのだ。
警視庁によって浦安アジトからは、警察無線傍受の機器一二台、五千本のカセットテープなどが押収された。カクマルはここに一五年にもわたって住み、藍玉アジトの摘発後ものうのうと居すわりつづけていた。実際、K=K連合の「甘えの構造」にすっかり頼りきっていたカクマルは、予想外の警察権力のハードな踏み込みにすくみあがってしまった。そしてその組織的打撃をごまかすために、「わが同盟が開発した世界で無比のデジタル無線用受信機」だの「知能と技術と協創力」だのを自慢気にうちだし、あたかも権力とたたかっているかのようなポーズで虚勢を張っていた。だがそれは、「反権力」でもなんでもない。つまり、「無線の傍受は盗聴とは違う。罪にはならない。合法だから追及しないでくれ」という懇願なのだ。
その一方でカクマルは、盗聴、侵入、窃盗といった「非合法」活動をあえて開き直り、みずからが凶暴な反革命暴力を有していることを誇示し、権力との摩擦・緊張関係を生みだし「対立」も演じてみせ、民間反革命としての独自の利害と党派性を貫くファシスト党派である。だがその白色テロルの凶暴な威迫は、権力にたいしてではなく、たたかう党と人民にたいして向けられている。その桐喝力は権力の統制下でこそ最も「生かされる」ことを、誰よりもカクマル自身が重々自覚しているのである。まさに真性ファシスト反革命以外のなにものでもない。
2反米愛国主義に行き着いた『謀略論』の正体
なぜカクマルは、こんなことをやるのか。「神戸謀略論」デマ運動の最大の目的は、労働者階級人民の意識を撹乱し、現実から注意をそらさせ、第三次安保・沖縄闘争、新ガイドライン粉砕決戦の爆発を妨害し鎮圧すること、またファシスト組合・JR総連を防衛すること、これにつきる。今日、恐慌の危機が全世界をおおい日本帝国主義の支配秩序が大きな動揺を開始し、米日帝の朝鮮侵略戦争が切追しているなかで、日帝・小渕政権は戦争国家化への飛躍をかけて新ガイドライン関連法案を押し通そうとしている。労働者の生活は、首切り、合理化、賃下げなどの攻撃にさらされている。この重大情勢にさいし、労働者階級人民は資本攻勢とたたかい、階級としての意識と団結をとりもどし、排外主義に抗して侵略戦争への動員を拒否し、新安保ガイドライン粉砕−朝鮮侵略戦争阻止、日帝打倒のたたかいへと立ち上がることが問われている。
カクマルはそこに「左翼」の仮面をつけて現れ、「謀略攻撃が吹き荒れている、権力に逆らってもムダだ、今は冬の時代だからたたかうな、それでもたたかうというなら自分たちが粉砕してやる」と言って「神戸謀略論」をもちだす。疑似革命的な装いで、革命運動への絶望をふりまく思想と運動──まさにカクマルこそ現代におけるナチスそのものだ。国家権力・警察は革命運動、階級闘争を鎮圧するためにファシスト突撃隊としてのカクマルの白色テロルとその威圧力を大いに利用し、悪行の数かすを容認してきた。カクマルはそうした権力の意図にのっかり、権力がやりたくてもできないような革命党と人民への白色テロル攻撃を率先して体現し、みずからの利用価値を権力に売り込んできたのである。ところが「神戸謀略論」デマでのカクマルの自己運動の数かず、とくに病院侵入による検事調書の窃盗は権力の許容範囲を逸脱したものであり、権力はカクマルを階級闘争圧殺の先兵としてより「有効に」活用すべく、みずからの統制のもとに引き戻そうと制動を加えているのだ。
カクマルはこれまで、わが党の同志やたたかう人びとにたいし卑劣な反革命テロルを行使してきた。あるいは「ナーバス作戦」と称する脅迫、嫌がらせを常套手段とし、窃盗、盗聴、のぞき、デマ宣伝、スキャンダル暴き等々の活動にのめりこんできた。われわれはこの極悪のファシスト集団と内戦的死闘を、二十数年間全力でたたかい勝利してきたのだ。カクマルが「権力の謀略」を唱えだしたのは、一九七四年にさかのぼる。総反攻完遂をかけたわれわれの対カクマル赤色テロル戦闘の大攻勢にたいし、「中核派にはあんなことはできっこない、国家権力の謀略部隊がやったのだ」と言いだしたのが最初だ。つまり、今現に対時し戦っている相手の姿を直視できないおのれの脆弱さをごまかし、自己欺瞞をやってみずからを納得させなぐさめるために「謀略論」が唱えられはじめたのである。カクマルはわれわれに革命的鉄槌を浴びるたび、「国家権力が養成した特殊テロ部隊の仕業だ」などと大騒ぎしながら、一度として権力と直接たたかうことはなく、「謀略の追認者=中核派を粉砕することが謀略粉砕のたたかいだ」などとカクマル以外誰も信じない支離滅裂な理屈づけをおこなっていった。これが今日の「神戸謀略論」につながる「謀略論」の原型である。その「謀略論」が最もおぞましい形で表れたのが、あの「水本謀略」運動である。七六年、日大学生カクマル分子・潔がカクマルの未来に絶望して自殺し、あるいはカクマルの内部テロルで殺害され、その死体が江戸川に浮かび発見された。カクマルは人相が変わった水本の水死体写真を使って、「水本君は権力によって謀殺され別人と死体がすり替えられた、真相を究明しよう」などというキャンペーンを開始し、当時の動労組合員を引き回し、文化人をたぶらかして署名を集め、「一大国民運動」のようなものを展開しようとしたのだが、われわれの革命的批判にさらされてあえなくパンクしてしまった。
八〇年代以降、連続的に爆発したわが革命軍の対日帝ゲリラ戦闘についても、カクマルは実際にはその威力の前におびえながら「中核派がやったのではない、権力の謀略部隊の仕業だ。権力内諾グループの暗闘だ」などとわめき、革命的武装闘争の猛攻になんとか傷をつけようとあがいてきた。
そしてここ数年は、周知のとおりJR総連=カクマルの延命をかけて数かずの列車妨害テロルを引き起こしてはそれを「謀略事件」として宣伝したり、カクマル松崎を頭目とするJR東労組の実態を暴露した『JRの妖怪』の著者・小林峻一氏宅や国労幹部宅へ盗聴・窃盗のため侵入するなど数多くの悪行に手を染めてきた。その一方で、カクマルとは直接関係のない社会的事件にまで、「謀略」のレッテルを貼るようになったのである0157食中毒事件、オウム真理教による地下鉄サリン事件、そして神戸小学生連続殺傷事件──カクマルによれば、これらはみな「CIAのドス黒い陰謀」になってしまう。
なぜCIA(米中央情報局)なのか。カクマルがその具体的証拠を示したことは一度としてない。黒田寛一は反革命通信『解放』二月二日号における矢久安仁論文で、次のように言う。
「新ガイドラインこそは…日本をば、ハワイにつぐ『アメリカの第五十一番目の州』たらしめようとしているヤンキー権力者の意図を軍事的に露出させたことを意味する」またカクマルが出版したデマ満載の『神戸事件の謎』なる本のあとがきでは、次のように書かれている。
「世紀末の世界的構造の大変動のもとで、アメリカ帝国主義は、日本を『事実上の保護国』にするための策動を、CIAやFBIなどの謀略機関をも動かして、一気可成にしかけている。……神戸事件こそは、このヤンキー帝国主義の新たな対日工作の一端を告げ知らせたものというべきなのだ」
ここには、カクマル頭目・黒田の「CIAが意のままに謀略事件をおこし日本社会をコントロールしているしという驚くべき「社会観」が如実に表現されている。その底にある心情は、「米帝の日本制覇の野望とたたかえ」という右翼まがいの反米愛国主義そのものだ。何か事件が起きるたびに、あれも謀略、これも謀略と絶叫し、カクマルはますますその虚構と自己欺嚇の内的世界の構築におぼれていく。
今やカクマルにとって、「神戸謀略論」デマが党としての「基本路線」となってしまった。一切の基軸に「神戸謀略論」デマがあり、そこを中心に「反戦・反安保」などのインチキな政治活動が展開されている。この社会が「CIAの謀略攻撃にたえずさらされている」ことを証明するために、調書を盗みマスコミにばらまき「謀略事件」の自作自演にのめり込むカクマルの姿は、「教団が米軍から毒ガス攻撃を受けている」ことを証明するためにサリンをまくオウム真理教と、まさしくウリニつである。
真正ファシストとして完成されたカクマルの姿がそこにある。だが、この「神戸謀略論」デマを「荒唐無稽」の一言で片づけてはいけない。カクマルの主張は骨稽でさえあるが、「どうせこんな運動は破産する」というような構えはファシストの凶暴性にたいする致命的な過小評価であり、三〇年代的敗北を再現するだろう。黒田はこの「神戸謀略論」デマ運動に、カクマル組織の存亡をかけている。その反革命的凶暴性を上回る革命的執念で、このおぞましいデマ運動を徹底的に粉砕しようではないか。
3神戸事件が突き出した中学生・高校生の現実(略)
4帝国主義打倒の戦いに新しい世代を獲得しよう(略)
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(参考)
動労、国労、全逓、全軍労 −竹田誠著作集
http://www.h7.dion.ne.jp/~bir/
中でも次が圧巻だなあ
『日本労働運動史(1945〜2003)−スターリン主義、社会民主主義の凋落と反スターリン主義革命的左翼の闘い−』
http://www.h7.dion.ne.jp/~bir/roudou/h1.html
なお、宮崎問題ば理解するには、インターネットではここすかええかなって、思うサイトだな。
第4章 国家権力の謀略とネオ・ファシズム体制への傾斜−−−−−宮崎がらみだ
http://www.h7.dion.ne.jp/~bir/roudou/hd.html
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途方もねえ個人と集団がおったもんだ。
そういえば、宮崎も神戸少年事件や長崎事件は「少年の凶暴性」だけば論じてただなあ。
そろそろ時間がなくなります。
主観主義的分析かもすんねが、おらの感性、まだまだ若者なみだと思ってるだ。
んじゃ(とひろゆきよろすいく)。