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(回答先: 自由の敵に自由を許すな(by 寺山修司) 投稿者 Q太郎 日時 2003 年 11 月 18 日 11:10:08)
Q太郎さん、横レスを読んでくれてありがとう。
多分、一連の話は、1960年代後半から1980年代後半までのいつかに、民青と三派全学連ないし全共闘が巣くう大学で、サークル活動をやった経験がないと、体感的に、直感が働かないと思う。
2000件近い内ゲバで、死者=100人以上、負傷者=4600人以上を出した、一連の悲惨な過程については、知らない人達がどんな会話をしていようと、ずうっと黙っていようかと思った。
しかし、いつの時代にも普遍性を持つと思える部分があるので、前回は、一部のエピソードを書いてみた。
追加で、今時肝要な反戦自衛官の例を挙げる:
「中核派vs反戦自衛官」中核派議長・清水丈夫の徹底批判 小西誠 著
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/shakai/top/50-6.htm
「良心的兵役拒否の潮流」日本と世界の非戦の系譜 稲垣真美 著
http://miyazaki_kyusatsu.tripod.com/
「自衛隊の対テロ作戦」資料と解説 小西誠 著
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/shakai/top/49-2.htm
反戦自衛官を増やすことが如何に大切か?
それは、最近、パレスチナ空爆を拒否する声明を出した、イスラエルの空軍兵士のような存在だ(出撃するイスラエル軍機が減れば、それだけパレスチナ側の死者も減る)。
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★1969年秋、70年安保闘争に対して自衛隊は全国的に治安出動態勢に突入した。
このとき、航空自衛隊佐渡レーダーサイトの中から、一人の青年空曹が起った。
同分屯基地所属の小西誠三曹(20歳)である。
★小西三曹は、同年9月から同分屯基地内に「治安出動訓練拒否」「自衛隊に自由を、
民主主義を」などと書かれたビラ百数十枚を張り出すと共に、同年10月18日に
分屯基地の営内で始まった治安出動訓練を全隊員の前で拒否した。
★この結果、小西三曹は、11月1日、自衛隊警務隊に逮捕され、11月22日、自
衛隊法第64条違反「政府の活動能率を低下させるサボタージュを煽動した」とし
て新潟地裁に起訴された。
★裁判は70年7月から第一回公判が開始され、75年3月、新潟地裁は「検察官の
証明不十分」という理由で無罪を宣告した。憲法判断を回避したのだ。
そして、控訴審・東京高裁では「審理不十分」として差し戻し判決が下され、さら に差し戻し審の新潟地裁では、81年、再び小西誠三曹に無罪判決が言い渡された。
★この判決に検察は、控訴をしなかったため、判決は確定した。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/shakai/top/hansen-koni-syasin.htm
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そういう反戦自衛官を、誰よりも潰したいと体制側が思うのは当然だが、自衛隊退職後の彼への誹謗中傷に、新左翼のある党派幹部が加担していた。その党派幹部は誰とリンクしていたのか?
「スターリン主義を乗り越える、日本共産党を乗り越える」と言いながら、実際には、これを乗り越えることが出来なかった新左翼運動は、平行して、体制側の仕掛けた陥穽にも嵌まっていった。