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(回答先: 自己認識ができないようですね 投稿者 あっしら 日時 2003 年 11 月 05 日 14:52:02)
再三再四の回答ありがとうございます。
>悪質な “戦術主義者”とはどんな意味でしょう。
あっしらさんの意見
「犯人と名指しされた父親には気の毒ですが、無窮の少年は、もっと気の毒です」と考え、それを解決するためなら、戦術=手段を選ばないという意味です。
私の立場
まさかこんな基本を述べなくてはならないとは、不確かな知識の分野は刑事訴訟手続だけではなさそうですね。正当性判断の基礎を述べておきます。
実現しょうとする利益とそれによって損なわれる利益との利益考量によって、その戦術手段の正当性が判断されます。
当初から
「土師さんの人格侵害と少年開放目的との利益考量によります。目的との優劣を論じることなく戦術の相違だけで、批判するのは、結果的に活動に反対していることになります。」
と私は主張していますよ。
だから目的のためには手段を選ばない人には該当しません。
あなたはどのような判断をして、どのような結果になったのですか。
どこがどのように異なるのか、鮮明ではありません。
>少なくとも、悪質には値しません。なぜならば、すくなくとも、正義とか善意とか社
>会正義とかの方向性が、価値判断の基底としているからです。
あっしらさんの意見
このような考え方に基づき悪を為す人を理念主義者だと思っています。
そして、上述の意味で、それに加えて、悪質な“戦術主義者”だと考えています。
私の立場
戦術主義者の次は、理念主義者ですか。
そういえば“理念主義者”の末路 − 想像力(思考力)の大いなる欠如 −これが議論の発端ですね。挑発的なスローガンです。 ホォーラムを知らなかった私の琴線に響きました。
××主義者とは悪口に使うと知りました。理念主義者も、その具体的内容が記載されていないので次にいきます。
>家畜の糞の処分に追いまくられている私にふさわしい命名とは思えません。
あっしらさんの意見
ある事柄に関する見方について命名しているのであって、あなたの人格や生活について云々しているわけではありません。
私の立場
戦術主義とは「目的のためには手段を選ばない人」という意味だと理解しました。
私は利益考量を優先しているから、それには該当しないのは明らかです。
>そんなレッテルを貼り付けてどうするのですか。
あっしらさんの意見
あなたの考え方をわかりやすく表現できると思って書いています。
あなたが、最初の書き込みで「口先ヒュウマニストが批判するのは醜くさえ思えます」と書かれたので、レッテルを貼り付けることにこだわりがないのだろうと判断しました。
私の立場
わたしの考え方を分かりやすく表現できるレッテルであれば、歓迎しますが。
不確かな素養と対象を充分把握しない段階での、レツテル張は的外れになります。
あっしらさんの意見
私は、ヒューマニストでもなければ、ヒューマニズムを尊重しているわけではありません。
誰かがA少年を非合法手段で奪還しようとして、防御側に怪我人が出たとしても一概に
は非難はしません。また、テロリズムも一概には非難していません。
私の立場
本物の社会活動家に対して“理念主義者”の末路 − 想像力(思考力)の大いなる欠如と誹謗するようではヒューマニストではないでしょう。
だからこそ、わたしは、口先ヒューマニストと表現させてもらったのです。
あっしらさんの意見
目的を達成するために、合理的な行動なのか、妥当性があるのかなどを判断の基準にしています。
私の立場
「合理的な行動なのか」「妥当性があるか」この判断基準は融通無碍です。
経済活動の自由の違憲判断基準として活躍しています。目的と合理的関連があれば、合理性ありです。こんな基準はまじない同然です。目盛りのない巻尺です。
>「現実認識のブレを強く感じます」とか私には理解できないような、高度の語彙とフ
>レーズは私の知的レベルでは消化できません。
あっしらさんの意見
これも既にいろいろ書いているように、権力の実態をご存知でありながら、戦術の有効性を信じられていることを指すもので、別段、「高度の語彙とフレーズ」というわけではないと思っています。
私の立場
「現実認識のブレを強く感じます」とは「権力は磐石だから、反権力闘争はどんな戦術・手段でも効果がない」ということを意味するのですか。
分かりやすい言葉と文章で表現してください。
あっしらさんの意見
「A名誉毀損の告訴があれば刑事裁判で、その刑事裁判で少年無実を審理対象に持ち込む可能性がある」は、あなたと私で見方が違うということで終わりにします。
私の立場
「あなたと私で見方が違う」そんな奇麗ごとではありません。
指摘したように、あなたは刑事訴訟手続について、基本的知識がないのです。だから、間違っているか、間違っていないかさえ判断できないと思います。
確かな知識、不確かな知識、知らない知識を分けて使わねばなりません。
すべての分野について、確か知識があるわけがありません。