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(回答先: 「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」の活動 1:事件及びA君に対する立場表明 投稿者 あっしら 日時 2003 年 10 月 31 日 17:32:25)
*0022 〜真実を求める市民フォーラム [01/09/28(金)-21:47]
個人宛ての手紙の公開について
この後は、事件関係者である何人かの個人宛ての手紙が多くなります。
それぞれの方には、資料として公開することをお知らせしてあります。
当然、微妙な問題をはらんでいることは承知しています。
しかし、これだけ大きな疑問が提示されているにもかかわらず、ジャーナリズムをはじめ、事件関係者は極めて不自然な形で、口を閉ざしたままです。
後藤弁護士らの抗告に対する、裁判所の対応も理不尽を通り越して、不誠実そのものです。
「人権」とは、人としての尊厳を尊重するための言葉であると認識しています。「法」もまた然りです。
その「人権や法」という言葉を隠れ蓑にして、偽りのなかに人としての尊厳を踏みにじられ、人生の全てを奪われている人たちがいるとしたら・・・。
私たちは、隠れ蓑の向こうにある真実を明らかにしていかねばなりません。
関係者の方々が、私たちの疑問に答え、「真実」を語ってくださることを切望いたします。
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*0020 〜真実を求める市民フォーラム [01/09/28(金)-13:39]
2000・8、A君の弁護団への手紙
前略にて失礼致します。
「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」の飯沼と申します。
私たちは、この事件の「解決」について、どうしても疑問を拭いきることができません。むしろ、さまざまな資料や情報を検討すればする程、「A少年は犯人ではありえない」という思いが強くなります。決して偏った情報に流されているわけではなく、報道関係者等の話を聞いても、やはり疑問は深まる一方です。
同じ思いをもつ者たちが集まり、同封のパンフを作りました。その後、消印問題については、私たちの照合により、警察発表の通り「須磨北」であることがほぼ判明しました。(この部分を訂正したパンフを作成中です。)
しかしそうであっても、A少年の犯行ということには全くなりません。依然として、彼を犯人とするには、あまりにも無理がありすぎます。
「A少年が犯行を認めていた」というのは判断の根拠にはなりませんし、そのことは、97年10月頃までの羽柴先生の御発言をみても明らかです。
いずれにしても、彼の犯行であるという確かな証拠が、私たちにはどうしても見えてこないのです。しかし、もしも公表されていないところに、確かな証拠があれば、これから運動を展開していくことによって、多くの人たちに混乱をもたらすだけになってしまいます。
彼の弁護を担当なさった先生方ならば、動かぬ証拠について、何か御存じかもしれないと思い、お手紙を書かせて頂きました。お忙しいところ誠に恐縮ですが、動かぬ証拠について、どうかお教え頂きたく、お願い申し上げます。
私たちは皆様方を糾弾するつもりは全くありません。あの異常な状況、雰囲気は私たちもよく知っています。私たちの行動は、ただ真実を求める一心からのことです。どうか気分を害さず、御協力をお願い致します。
(なお、「真相」や、「真相を究明する会」のパンフによって明らかにされている疑問点、矛盾点をお踏まえのうえ、御返事を頂ければ、重ねてお手をわずらわせずに済みます。)
草々
2000年8月
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2000・11・28医療少年院院長先生へ
関東医療少年院 院長様
前略で失礼致します。
私たちは「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」と申します。発足からわずか4ヵ月の市民グループです。
突然にお便りを差し上げる不躾はお許しください。
どうか最後までこの手紙をお読みくださるよう、お願い致します。
私たちはふとしたことがきっかけで、そちらに収監されているA少年は無実なのだ、という話を知りました。初めは多くの人々同様、何を以てそう結論づけられるのか、その筋道や、事実関係を検討するまで“確信”を持てませんでした。しかし、報道された検事調書等、ひとつひとつの事柄をつぶさに見てみると、どこをとっても「彼にはできない」「彼ではない」というところに行き着くのです。次第に“情報”が増すなかで(現地で取材にあたった記者の話、新聞社の責任ある立場の人の話、等)ますます「彼は無実」との確信は深まりました。
当時のあの状況は現地にいた者は肌で覚えています。不信感や猜疑心の渦巻く息苦しい雰囲気や恐怖心、そしてあせり…。この異様な空気は現地だけでなく、日本全国へも広がりました。
どうしても“犯人逮捕”が必要でした。事態を収拾し、社会の不安を取り除くために。「犯人の条件」に叶う者として、A少年が選ばれてしまったのです。たとえ彼でなかったとしても条件を満たしさえすれば他の子供、他の大人、誰でもよかったのです。
少年を御覧になって、どう思われたでしょうか。(今は事件から3年が経ち、彼も少年から青年へと変わってきたとは思います。)3年前、移送されてきた彼の姿、彼の様子を見て、本当に彼が犯人なのだという納得や確信をお持ちになりましたか。
「自白したのだから彼はやったのだろう」「やっていないのに、自白するはずがない」大抵の人々はそう言います。しかし、そうでしょうか。今までの冤罪事件に共通なのは、自白の強要や巧みな(巧妙な)誘導です。多くの“大人たち”ですら、やってもいないことを「自白」しているのです。彼はその時、わずか14歳の“子供”でした。
警察に連れて行かれる場面を想像してください。少年も親も、全く何も知らされぬまま別々にされ、そのまま会えなくなったのです。
取調を少年が受ける場面を想像してください。初めから「お前がやった」と決めつけられたなかで、尋問は続くのです。誰ひとり味方のない、たったひとりの彼に、一体何ができたのでしょう。どうやって自分の無実を主張しようというのでしょう。人は極度のプレッシャーのなかでは、ありもしないことを記憶や事実として自分の意識に作り出してしまうことがあります。実際にアメリカであったことです。信頼厚い町の保安官が、やってもいない犯罪を次々と「自白」しました。後にそれは全く違うこと、彼は何もしていないことが捜査によって検証されました。しかし彼は「自分がやった」という作り出した記憶から解放されず、やったと思い込んだまま現在も服役しています。
同じような状況がA少年の意識で起こっていたとしたら、彼が「無実であることを忘れ、自分がやったと思い込んでいる」としても何の不思議もないのです。
パンフレットを御一読ください。そうすれば、現実的に彼が実行するのは無理だとお分かりになりますし、たとえ彼でなかったとしても、「そんなふうにはやれない」ということばかりです。
そのうえで改めて彼を見て頂きたいのです。
寂しがりで、気弱で、けれども優しい少年は、まわりにはなじみきれなかっただけなのです。強がったり悪ぶったりはしてみても、そうはなりきれなかったのです。
彼を信頼したり分かろうとしたりする者がもっといてくれたのなら、彼は今、そこにはいなかったでしょう。
おそらく彼は落ち着きを取り戻し、時折笑顔を見せているでしょう。しかし、希望や喜びを持つことはできていません。何かに熱中したり、“思いっきり”やったり、という心の動きは見せているでしょうか。
彼の「自白」は「絶望」「あきらめ」「孤独」から出ています。そのうえに積み上げられた罪は彼のものではない。なのに背負って立っているのです。それが取り除かれない限り、希望へ向かって歩き出すことなどできません。背負わされた重い「罪」、それに耐え続けているのです。
私たちはそういう彼を放っておくことができないのです。政治的な目的や売名、そのほかの不純な動機は一切ありません。ただ事実を明らかにし、彼を救い出したい。それだけです。そのためには自分たちのできることは何でもしようと集まった者たちです。
先日は、内閣総理大臣をはじめとして、検事総長、法務大臣など政府の責任ある方々、そして新聞社社長等、事件から少年の逮捕、その後の扱いに至るまで、関係した各分野の最終的な責任者に内容証明郵便を送付しました。これは、再び事件とその“結果”に目を向け、再検討・再調査をお願いしたものです。その意志さえあれば、そうできる権限や力・能力をお持ちの方々だからです。
そこで私たちはお願いしたいのです。院長先生をはじめとして皆様方が、彼を見る目を少し変えて頂けないか、と。彼には「犯人」の衣が着せられたままです。その衣を通して彼を見るのではなく、ひとりの18歳の少年として、彼を見て頂きたいのです。18歳にしては〜だ、18歳なのに〜だといった感じを持たれるはずです。犯人にしては〜だ、犯人なのに〜だ、ではなく、です。
彼の心には今、一体どんな「求め」があるのでしょう。18歳の青年らしい思いや欲求の芽生え、あるいは復活はうかがえるのでしょうか。
人から向けられる眼差しは、向けられる者にはどんなものか分かります。今まで、「犯人」と決めつけられ、前提とされていたものがはずれ、彼をひとりの青年として見る目が向けられれば、彼は自分を守ったり閉ざしたりする必要がずっと薄くなるでしょう。もちろん自分に罪を着せた大人たちへの警戒心や不信感を全くなくすには時間が必要でしょうが。この3年で彼と関わっている皆様との間には、少しずつ信頼関係が築かれてきたのでしょうが、それを取り戻す過程で、支えてあげてほしいのです。極度のプレッシャーのなかで失ってしまった「自分の心」、それが彼に戻らなければ、彼は彼として生きていくこと、意志し、発言し、行動していくことができません。
抵抗感がおありなのは分かります。私たちの主張していることを、あり得ないことと思われるかもしれません。しかし、これには、彼の人生、彼の家族・親族の人生がかかっているのです。彼がもし自分の子供だったら…そういった気持ちで、ぜひ御理解と御協力をお願い致します。
私たちは、彼のために直接何かができるわけではありません。日々触れあい、言葉を交わし、表情を見ることのできる皆様方だからこそのお願いなのです。
どうか、彼への“心の扱い”をよろしくお願い致します。
私たちはこれからも運動を続けていきます。しかし、それは誰かを糾弾したり、個人的な迷惑をかけることとは違います。その点は、どうぞ御信頼くださいますように。
失礼致しました。
草々
2000年11月28日
神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム
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*0023 〜真実を求める市民フォーラム [01/09/28(金)-22:17]
2000・10・16 淳君のお母さんへ
2000.10.16 淳君のお母さんへ
突然の手紙、失礼致します。全く何の縁もないところからこのような手紙ですが、どうか御気分を悪くせずに読んで頂きたいと思います。
私たちは、「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」と申します。あなたにとっては、思い出すことさえ苦しい、この事件の「真実」を求めていこうとしている者の集まりです。とは言っても、まず私たちが今、しようとしていることは、「事実」をひとりでも多くの人に知ってもらうという段階です。そしてそのなかには、被害者の家族の方々も含まれます。
「A君は犯人ではない、無実である」というのが、今私たちが伝えていることの柱です。手に入る限りの資料、明らかにされている情報をつぶさに検討し、あるいは、実際にこのようなことができるのかという視点に立ってみた時に、導き出される結論は、「A君は犯人ではない」のひとつになるのです。
あなたにとってこの言葉は、「何を言っているの?」「そんなことが本当にあるの?」「嘘でしょう」「だったら犯人は一体誰なの?」という気持ちにさせるものでしょう。受け入れ難い、信じ難いものでしょう。????しかし、そうなのです。
信じられないようなことが実際に行われてしまったのです。A君は、無実の罪を着せられ、誰ひとり信じてくれる者もないままに、今も孤独と希望のなさのなかに置かれています。そしてその御家族も、全てを失い、身を縮め、社会の片隅に追いやられるしかありませんでした。このままでは彼らも、心を失ったまま、ただ日々を生きているだけになってしまいます。
突然に我が子を失った悲しみは、私たちには想像もできないほどの傷として、今もあなたを苦しめていると思います。そしてそれ以上に、何も知らされていないことの苦しさは決して解消できぬ辛さでしょう。「何で、どうしてそうなったの、」と叫びそうになりながら、それを涙に変えているであろうあなたが、本当にお気の毒です。
そのあなたに「A君は犯人ではない」という事実を示せば、あなたがどんなに混乱されるか。さらに心を痛められるか、それを思うと、さらに私たちの気持ちも痛みます。
しかし、ここにはあなたの求めていた「本当のこと」があるのです。真犯人は?の答えはないにしろ、A君ではない、という事実の証と、真犯人像の提示はあります。
勇気をもって手にとり、情報に、事実に触れて頂けば、必ず納得・理解して頂けるものと確信致します。
私たちの目的は、A君を救い出すことであり、真実を明らかにしていくことです。誰かを糾弾したり、攻撃したり、責め立てていくようなことは絶対にありません。
また、無理矢理あなたの心を荒らそうなどとは致しません。ただただ、「事実」に触れて頂きたい、その一心です。
今後も私たちはこの運動を展開していきます。そのなかで新たな事実も明らかになっていくはずです。
あなたに対して私たちがどんなに力になれるかは分かりません。ですが、ひたすら「真実」を求めていくことこそが、最も大きな力となるのだと思います。
重ねてお願い致します。どうか勇気をもって、同封のパンフレットをお読みくださいますように。失礼致します。
草々
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*0024 〜真実を求める市民フォーラム [01/09/28(金)-22:20]
2000・10・31 淳君のお母さんへ
2000.10.31
前略で失礼致します。
先日、パンフレットをお届けした「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」の者です。
あの手紙とパンフレットがあなたの手に渡ったのかどうか、また、目を通してくださったのかどうか、私たちは確かめる術はありません。そうであることを祈るばかりです。
あなたにとって、事件にまつわる諸々のものに触れることは、深い心の傷をさわられるようで、とても辛いものだろうと私たちは思っています。
しかし、あの事件をめぐってたくさんの虚偽があふれ返り、「決着」は真の解決にはなっていないことをあなたが知れば、必ず「本当のこと」を求めずにはいられないはずだとも思うのです。親ならば、「本当のこと」を求めずにはいられないと思うのです。
あなたはおそらく、“守られたなか”でこの3年を過ごしてこられたでしょう。辛い思いをこれ以上しないために。ですから、たくさんの心痛む記事や情報に触れなかっただけでなく、たくさんの「真実につながるもの」に触れることもなかったと思うのです。
あなたの御主人のもとには、実にさまざまな情報・記事・手紙の類が届いたはずです。そのなかにはもちろん、「少年は犯人ではない」というものもあったはずです。もし、それに目が留まれば、「真実を明らかにしてほしい」と願う御主人の気持ちが動かされないはずはないと思うのですが、どう思われますか。少なくとも、どういうことなのか、あるいはその可能性があるのかは確かめようとなさるでしょう。そしてあなたにもその話はなさるのではないでしょうか。
私たちからの手紙やパンフレットがあなた宛だとしても御主人も目を通してくださったのではないでしょうか。もしかすると、あなたを守るために、御主人のみが読まれたかもしれません。しかしたとえそうであっても、あなた方おふたりの間でそれらのことが話題となったのであれば、私たちはお届けした甲斐があったと思います。ほんの少しでも「事件の結末」に疑問を持ってくれさえすれば、必ず、「少年が犯人でないこと」は分かって頂けると確信しているからです。ひとつの疑問は、次なる疑問を引き寄せ、やがて真実を求めずにはいられなくなるからです。
ただ、あなたの心の傷の深さを思うと、そこまで踏み込めずにいたとしても、無理はないと思います。
それでも私たちはあなたに、ぜひ、勇気をもって“目を向けて”頂きたいのです。今でも流れてしまう涙を拭って、「真実」を見ようとして頂きたいのです。
見ず知らずの者を信用できないお気持ちは分かります。
しかし、私たちは、何のためでもない、ただ「真実を明らかにするため」にのみ動いているのだということだけは、どうぞ御理解ください。
できればお話を伺いたいのです。
あなたの心に土足で踏み入るようなことはしません。
あなたがそうしてもいいと思ってくださることを、心からお待ちしています。
今回パンフレットをまたお届けするのは、いくつもの活字の誤りがあったからです。決してしつこく、「読ませよう」としているのではありません。それを分かってくださいますように。
また同封のパンフレット(「警察・検察の不正の告発を支援する会」によるもの)は、同じように、少年の無実を信じ、何とかして救おうと動く人々が確かにいることを知って頂くためと、いかに少年の取り調べが「不的確・不適正であったか」を知って頂くためです。司法という公の場でも、その動きがあることを知って頂きたいのです。
一般の人々、ごく普通の暮らしにいる人々は、「少年の無実」について聞かされると、一様に「そんなことがあるのか」と反応します。しかし、事実を知っていくにつれて「何とかしてあげなくては」という気持ちになってくれます。「真実」はそうやって人々の間に広まり、人々を動かしていくのでしょう。
あなたにも、(でき得るならば)その流れのなかに、ともに入って頂きたいと思うのです。お待ちしています。
草々
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*0025 〜真実を求める市民フォーラム [01/09/30(日)-21:01]
2000・10・31
2000.10.31
野口弁護団長へ
前略で失礼致します。
先日お便り致しました「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」の者です。
あなたが、あの事件に関わる以前より、もっと“青少年のために”心を砕いていて働いているのはなぜでしょうか。あなたのなかに、釈然としない「何か」がずっとあるからではないでしょうか。
時折、ふとA少年のことが頭に浮かび、思いを巡らすことがあるはずです。なぜなら、「やれるだけのことを全部やった」という爽快感も、「彼のためにはこうするのが最も良かったのだ」という納得も、そして「事実・真実は全て明らかになったのだ」という確信・自信も、あなたのなかには湧いてはこなかったからです。
「一応の決着」というあの結末が、あなたにとっては、実はやりきれないものなのです。あなたの求めていたものは、「少年の救い」だったはずです。どうすることが、この子を救うことになるのか、と。
あなたには理解し難いことだらけだったでしょう。少年の言葉・態度、事態の推移、圧力、世間からの目・・・。不可解なことばかりのなかで事実を求めていくためには余程の力と意志が必要だったでしょう。そして、あなたのまわりの誰もが同様の苦しさのなかにいましたし、逆に、事実を明らかにするまいとする者すらいたのでしょうから。
あなた方は、自分の言葉で訴えることのできない者に成り代わって、“訴えてくれる人”なのです。力のない者たち、知らない者たちにとっては頼みの綱なのです。それを信じてすがることしか道のない者たちにとって、その綱が引きあげられてしまうことは、絶望を意味します。
少年は誰でもいいから助けてほしかったのです。自分の無実を信じてくれる人を待ったのです。けれども大勢の大人たちの力の前には、自白という形で屈してしまうほか、逃れる道がなくなっていたのです。ただただ逃げたい、助けほしい、もう耐えられない、恐い、・・・・。それだけだったのです。
もしも彼の心に再び希望の灯をともすことができたとすれば。それはあなた方の「自分たちは君を信じているよ。本当のことを明らかにするんだ。」という言葉だったに違いありません。その力強く支える言葉の力で、彼はようやく自分の心に立ち戻れる・・・それほど「自分の心」を失った状態にあったのではないかと思うのです。
あなた方の、特にリーダーとしてのあなたの大変さは誰もが知るところです。どうして自分がこんな目に遭わねばならなかったのか、と“運の悪さ”を思われたことでしょう。
しかし、私たちは思うのです。きっとそれにふさわしい人が配されたのだと。「決着済み」とされてしまったことに対しても、それに向き合い直す良心と正義感の持ち主だからこそ、その任を負うことになったのだろうと、と。しかしそれには大きな勇気と強い意志が求められることも私たちは知っていますし、あなたにとっても、この点を越えられるかどうかが分かれ道なのだと思います。
あなた方の働きは、訴えを代弁するだけではありません。隠された真実を明らかにすることでもあります。いずれは明らかになるものではあっても、それは一刻でも早い方がいいのです。そして、そうあるべきだと私たちは考えます。なぜなら、少年の、その家族の人生がかかっているのですし、その親類の生活が影響を受けているからです。
あなた方がさまざまな制約のなかで、存分な働き方、あるいは十分な働きができなかったことはあなた方がよくお分かりでしょう。しかし、それを補い、正し、本当の働きを果たす機会はずっと与えられているのです。どうか一日も早く、その働きを始めてくださいますように。
大人たちの手で犯人とされてしまった少年を、大人たちの手で救おうではありませんか。彼とその家族に、安心や安定や笑顔を取り戻してもらおうではありませんか。
私たちはずっと、あなたの、人としての良心と正義感に期待しています。できる限りの方法で、さまざまな働きかけを、あらゆる方面にしながらも、あなたへの期待は持ち続けています。
どうか改めて事件に心を向け、目を向けてくださいますように。
この手紙と先日お送りしたパンフレットをどうぞ御家族の方たちにお見せください。「その子が無実だったらどうするの。」とあなたに言った娘さんの信頼に、胸を張って応えられますか。手紙とパンフレットを読んだ方たちに、あなたはどんな話をするのでしょうか。自信をもって言葉を出せますか。
あなたが私たちからの働きかけに、そして、このお願いに何の反応も示す気がないのだとしたら、それはそれで仕方のないことです。けれども、本当にそれでよいのでしょうか。
あとはあなたの心を信ずるのみです。あなたの人としての心にお任せして、この手紙は終わらせて頂きます。
草々
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*0026 〜真実を求める市民フォーラム [01/10/01(月)-23:28]
2000・11・18 土師守様 奥様
2000・11・18
土師守様 奥様
前略で失礼致します。
先日来、パンフレットをお届けしている市民フォーラムです。お届けして以降、目を通して頂けましたでしょうか。
今回は、ぜひにお願いしたいことがあり、お手紙を差し上げました。
土師様には、おつらい話でしょうが、どうか読んで頂きたいと思います。
私たちは、あの事件の犯人はA君ではないことを確信しています。(それについては、パンフレットにある通りです。)それを多くの人たちに知ってもらい、無実の彼を救い出すために活動を始めました。自分たちにできることは何でもしようという気持で、さまざまな形の働きかけをしています。そのなかで、報道関係者(直接現地で取材した人)の話を聞く機会もありました。ありのままを語る時期ではないにしろ、彼の話からは、少年の無実がより確かだと分かるだけでなく、犯人像に迫る部分もうかがえました。どうやら、報道に携る人たちの間には、共通の認識(少年の無実、真犯人のこと)があるにもかかわらず、それを明らかにできず、触れまいとするところがあるようです。真実に近い人ほど、苦しく辛い心を抱えていると私たちには思えてなりません。それはおそらく、捜査に携った人であれ、弁護に関わった人であれ、同じなのでしょう。そして、きっと真犯人こそが最も苦しさを抱えているはずです。
真実が明らかにされないが故に苦しんでいるのは、少年やその家族のみならず、実に多くの人々なのです。もしもその全ての人たちを救うことができるとすれば、それは真犯人を置いてはいないでしょう。しかもそれは彼自身の救いにもなることです。現行の刑事訴訟法において、今の状況(物証がない)から言えば、真犯人の告白だけでは、有罪を立証するどころか起訴に至ることはできないからです。これは、「罪に問われないことがいいことだ。」と言っているのではありません。自らの罪を告白したうえで、真犯人はその残りの人生を、「人々への貢献――自分の持つ能力を人々に捧げること――」のなかで生きる、あがないによって自らの犯した過ちを埋め合わせることができる、というところです。それが“救い”だと思うのです。奪ってしまった生命を蘇えらせることはできません。しかし、残された人生の全てを人々のために捧げ尽くすことで、許しと救いとがもたらされると私たちは思います。
そこでお願いです。
事件の被害者の御遺族として、事件の真実を明らかにするよう、求めて頂きたいのです。私たちが求める以上に「本当のこと」をあなた方は求められたはずです。敢えて損害賠償請求という手段に訴えたのは、そのためだと明言されていました。事実や真実が明らかにされない限り、あなた方の不安も、疑問も、悲しみも、全く解消されないはずです。あなた方こそが、事実や真実を強く求めるにふさわしいと思うのです。(もちろんそのなかで明らかにされる内容を、見聞きするのは辛すぎる、というお気持は分かります。)
私たちに限らず、いくつものグループが事件の真実を求めようとしています。そこからの手紙や資料は、そちらにも届けられていたと聞いています。当然、この事件は冤罪だとの主張は、すでに御存知だったでしょうし、それを証明するためのいくつもの論理的な事柄も御存知だったと思います。しかしそれでも土師様(たち)が声を上げずに来られたのにも、何かしらの理由がおありだったのでしょう。
ですが、再びお願いしたいのです。無実の少年を救うための道を開いてください。一市民にすぎない私たちよりも、あなた方の声は、直接、関係者や一般の人々を動かす力を持っているのです。あなた方にとっても、真実を明らかにすることは喜びと慰めのはずだと思います。
疑問があればどうぞお尋ねください。御意見があれば喜んで伺います。
どうかお力を貸してくださるよう、お願い申し上げます。
草々
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*0027 〜真実を求める市民フォーラム [01/10/01(月)-23:31]
2000・12・3 土師守様 奥様
2000・12・3
土師守様 奥様
前略で失礼致します。
先日来、何度かお手紙を差し上げております「市民フォーラム」の者です。前回のお願いの手紙は読んで頂けましたでしょうか。伺った折に、お子さんがドアを開けてくれるとは全く思いもしていませんでした。その前の時のように、インターホン越しのやりとりすら望めないのでは、と思っておりました。とても繊細で優しいお子さんだと私たちは思いました。と同時に、事件がいかに彼の心に深く影を落としたかを感じずにはいられませんでした。
さて、今回は重ねて同じお願いをするために、また、こうしてペンを取っています。
先日、土師様の“インタビュー”をニュース番組の中で拝見しました。「これからは、できるだけ人に優しく接したい。」「それをあの子は天国で喜んでいてくれる。」「天国で会った時、胸を張っていられるように。」とおっしゃっていました。
何度もお伝えしているように、逮捕されたA君は犯人ではありません。(パンフレットもおそらくは読んで頂けたであろうと、私たちは思っています。)土師様にとっても、天国の淳君にとっても、何より真実こそが本当に求めるものではないのでしょうか。「人に優しくしたい。」と明言された土師様にとって、今のところ最も優しくし難い相手であるA君にこそ、「優しさ」を向けて頂きたいと思うのです。それが彼が本当に犯人なのかどうかを再検討することであり、それを求めていくことだと思うのです。優しい言葉をかけてあげることや支援していくことは他の者にもできることではあります。
しかし、「彼の犯行」についての再調査を公に求めるという形での“優しさ”を発揮できるのは、土師様を置いて他にはありません。それがかなえば、大勢の人の心が動かされるでしょう。少年が犯人だという決めつけが薄らぎ、土師様と同じように優しさを少年に向けていける人が増えるに違いありません。それだけの発言力と影響力をお持ちなのです。その力をぜひとも少年への優しさとして使って頂きたい、と思います。もちろんそれは、天国の淳君も喜んでくれることでしょうし、いずれ再会できた時には、きっと、もっと喜んでもらえるはずです。偽りや嘘のない、真実という光の世界で生きている淳君にとって、おふたりが真実を求めてくださることは、何より嬉しいことだと思います。
当フォーラムでは、各分野の最高責任者という立場にある方々に再調査の要請を致しました。それぞれに担っている責任を、本当の意味で全うして頂くためです。内容証明郵便の形をとり、パンフレットと共に読んで頂いたことになっています。
また、その内容と送付先を記載したチラシとパンフレット、そして手紙を添えて、いわゆる著名人の方々にも理解と協力、発言、行動等をお願いしていきます。
私たちはこれからもあらゆる方法で、人々に働きかけていきます。真実を伝え広め、また求め、行動と発言を重ねていきます。
どうか御協力をお願い致します。「真実を知りたい」と著され、「優しくしたい」と発言される土師様に、改めてお力添えをお願い致します。
奥様には、私たちの来訪が、苦痛だったり、気持ちが乱れたり、ということとして影響していなければいいと思っています。もしも、不愉快な思いをさせてしまっているのであれば、どうぞそうおっしゃってください。もとより奥様のお気持ちを乱すことが本意ではありませんので、その場合は、お手紙等をお届けする方法を別に考えて参ります。けれども、できれば直接言葉を交わしたり、お渡しできたりすれば私たちはとても嬉しいのです。(もちろん、これはあくまでも、私たちの気持ちにすぎません。)
どうか勇気を出して御主人と共に「本当のこと」に目を向けていってくださいますように。それがどんなものであったとしても、私たちは皆様御家族の力になり、支えていきたいと思っております。
草々
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*0028 〜真実を求める市民フォーラム [01/10/05(金)-21:45]
2001・1・25 土師守氏の代理人(井関弁護士)への内容証明
前略 「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」です。
私たちは、ふとしたことがきっかけで「A君の無実」について知り、自分たちがそれを検証していくなかで確信を持つに至り、今はそのために、自分たちのできることを全てしていこうと運動する市民グループです。今回の事件ではいくつもの団体が運動を展開していますが、それらのグループいずれとも関係はありません。まずそれを御承知おきください。何より私たちは「真実を求める」ことだけのために動きます。
なぜ私たちが事件の“被害者”である土師氏に働きかけをするのか。あなたからの「警告書」を頂いてもやめないのか。何のためにそうするのか。
あなたが抱いているであろういくつもの疑問への答えは全て、私たちが土師氏へ届けた手紙のなかにあります。お読みになればよく分かって頂けるはずです。どうぞ、あなたの目でそれをお確かめください。
弁護士とは依頼人を守り、依頼人の利益のために働くもの、と私たちは心得ています。しかしその奥に、さらに大きな「真実」あるいは「虚偽」があったとしたら。そこでは「真実」に添い、正義のために動くべきと思います。法と正義が人々のうえに“公平に”“公正に”なされるために、あなた方弁護士は働くのだと思います。事実・真実に従ってこそ、それが可能だとも思います。
やがて真実は必ず明らかになります。その時に、あなたが弁護士本来の役割を果たしたかどうかが問われます。「事実・真実に触れる機会を持ちながら、依頼人の利益、依頼人からの報酬、自分の立場を優先させ、真実による救いを求める人々を無視し、事実・真実をないがしろにしてしまった」。そういうことになるのです。そうなればあなたは、弁護士としての資質・資格を問われます。
私たちは「法的措置を取る」という警告よりも、事実・真実を明らかにするために動くことを優先させました。たとえ何らかの危険や不利益をこうむったとしても、です。
あなたも弁護士としての誇りにかけて、人としての良心に基いて、今回のことをぜひ見直して頂きたい。必ず今まで全く思いもしなかったものを目にするでしょう。その時は、本当の意味での「救い」や「手助け」を彼にもたらさなくてはなりません。私たちは、それを用意することができると断言致します。
どうか、共に、事実・真実を求めてくださいますよう。
今回の件では土師氏は「被害者の立場」に逃げ込むことは許されないのです。
安易なやりとりや口裏合わせによって「真実の隠蔽」がなされた時は、必ず責任を負って頂きます。弁護士生命を賭けてこの件に関わってくださいますよう、重ねてお願い申し上げます。
二度の電話のやりとりだけでしたが、人間として信頼できる方だと私たちは確信し、このような手紙をお送り致しました。不躾はどうぞお許しください。 草々
2001年1月25日
「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」
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*0030 〜真実を求める市民フォーラム [01/10/03(水)-14:20]
2000・12・21 土師守様 奥様
2000・12・21 手紙
土師守様 奥様
前略で失礼致します。
市民フォーラムの飯沼・堀江です。
先日伺った際に、手紙を読んでくださった、とのお返事を頂きました。そのうえで今日、また、この手紙を書いています。
土師さん、どうして私たちからの問いかけに何の反応も示されないのですか? 答えであれ、否定であれ、拒絶であれ、何らかの心の動きがあるはずなのに、どうして一言も発されないのか。できることならお会いして直接お聞きしたい位です。
私たちがA君の無実を訴え、「肯定できないまでもその可能性がある」と知って、あなたは何も思わないのでしょうか。彼とその御両親についての違和感や疑念を著書のなかで何度も繰り返したこと、多額の賠償金を得たこと、そのふたつを考えた時、前提は「A君が犯人」です。しかし、それが違っているとしたら、あなたはどうするのでしょう。当然生じてくる道義的な責任について、全く考えないのでしょうか。警察や家裁のしたこととして知らぬふりができるはずはありません。被害者側として訴え、コメントしてきたさまざまなことの前提がくつがえるのです。それなのに、その可能性(私たちは事実と確信していますが)を無視できるのですか? 人としてそれは許されることなのでしょうか。
私たちは、A君の無実を訴えただけではありません。被害者の土師さん、としてだけではなく、あなたの言動について、質問もしました。不審な言動、理解し難い言動としてです。あくまでも“被害者側の心情”を主張するあなたに対して、それだけではない目を向けています。「A君の無実」に関しても、「あなた自身のこと」についても、あなたが表明してきたこと、見せてきた姿とは異なるものを私たちは提示しました。それでもまだ、無視の姿勢を保とうとされるのでしょうか。私たちの求めるものは「真実」以外の何ものでもありません。そのこと以外、ないのです。偽りや作り事に関わっている時間もありません。一日一日がA君にとって、御両親にとって、重いものです。そしてそれは、同じように、あなたにとっても、奥様にとっても苦しいものだと思います。どちらの夫婦、どちらの家族にとっても、救いをもたらすのは「真実」以外ありません。
同じように私たちからの手紙を読まれ、資料に目を通されたであろう奥様は、どのようにお考えなのでしょうか。初めの頃の「関心がありませんので」というお気持ちでないことは確かだと思っています。犯人とされてしまったA君のことも、そのお母さんのことも奥様は御存知です。見ず知らずの人たちをそう思っていたのではなく、おつき合いのあった人たちに対して、(知らなかったとは言え)そういう目を向け続けてしまったのです。そして、それだけでなく、本のなかでの非難、賠償金の受け取りという「形」も成してしまいました。
犯人とされた時A君はわずか十四歳です。そんな男の子が世の中の人たちのほとんどから非難や攻撃の眼差しを向けられ、そう扱われたのです。御両親、特にお母さんは、凶悪犯に育ててしまった者として見られ、否定されました。偏りはあったとしても精一杯子供を育てたその人に、世間の仕打ちはあまりに酷いものでした。ほかの二人の弟たちも、自分たちの喜び、楽しみ、友だち、暮らしを奪われたままです。共に暮らしていた家族のひとりが、ある日突然「犯人」とされた時、残された家族は一体、何をどう思えばいいのでしょうか。彼らが何をしたと言うのでしょう。何も知らない彼らが背負わされたものはあまりに大きすぎます。何の関係もないのに、子供たちの将来、彼らの暮らしに希望はありません。死んで詫びたいほどの痛みを、なぜ彼らが味わわねばならなかったのか。答えはひとつ。少年が犯人に仕立て上げられたから、です。
母親として、A君のお母さんの気持ちが、奥様にはお分かりになるはずです。愛情を注いで育てた息子が「とんでもない殺人犯だ」とされてしまった時、あなたはどうなるか。何も分からず、何も考えられず、何も信じられない。失意、絶望、喪失感、真白な頭の中…。彼女もまさしくそうだったのです。失ってしまった自分の心は、いまだに取り戻すことはできない状態です。そんなふうにできるはずもありません。育てた自分が悪かったのだと思い込み、世間からもそう責められているのですから。自分の息子の優しさや、良いと思っていたところすら、その子の心の輝きとして見ることができない、それは母親としてどんなに悲しいことでしょう。我が子の心を信じられないことほど辛いものはないはずです。
どうか彼ら家族を救ってやってください。
それができるのは、奥様と土師さんしかいないのです。
無実の罪を着せられた少年とその家族の人生は、あなた方の気持ち次第で、大きく変わるのです。
何度もお伝えしてきたように、私たちは真実を求め、許しと和解をもたらし、真犯人に対しては糾弾よりも貢献によるあがないの道を開きます。真犯人を罰することが目的ではないからです。全ての者が救われることが目的です。そこにはもちろん真犯人とその家族も含まれます。
私たちは真犯人こそが救われるべき者であると思っています。犯行に至るにはそれだけの経緯があったはずです。彼が犯人だと明らかになれば、激しい攻撃、抗議、非難が集中するのは予想できます。しかし今回の事件で、そうできる「資格」のあるのは、A君とその家族のみです。あとの者たち――警察はもちろん、報道関係者も一般市民も全て――は、そうできる資格はありません。するべきことをせず、過ちを認めず、訂正せず、無実の証明のために何もしなかった者たちに、何も言うことはできません。A君とその家族に関しては、彼らが真犯人への許しを思えるように、そして真犯人との和解にまで至るよう、私たちが彼らの心に働きかけ、必ずそうします。私たちにはそれができると確信します。
真犯人とその家族、特に子供に関しては、その子の心が倒れてしまわないよう、力を失わないよう、支えていくつもりです。真犯人が自らの罪を認め、詫び、多くのいのちと関わっていく時、その支援もしていくつもりです。一生をそのあがないに捧げ、胸を張って地上を去ることができるよう、力添えします。
どうか私たちを信頼してください。A君とその御家族にも、土師さん御家族にも、何の関係もない者たちですが、私たちは、ただ、「何とかしたい」。それだけなのです。ほかのどんな人たちであっても、権威や経済力、人脈、社会的地位など、力を持つ人たちであっても、今回は何もできません。どうか私たちに任せてください。必ずお力になります。
これまでのように「黙ったまま」では、もう、済まされないのです。時が過ぎるのをじっと待てば何とかなる、そんな状況ではありません。忘れられていく、ということもあり得ません。
「A君は無実だった」という認識が広まり、声が高まって、それを“力のある者”が無視できなくなってからでは、遅いのです。
今こそ勇気を出す時です。今しか、そうできないのです。それをどうしても分かって頂きたい。
連絡をお待ちします。早急に。
草々
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*0031 〜真実を求める市民フォーラム [01/10/03(水)-14:24]
2000・12・22 土師氏の代理人からの警告書
2000・12・22 警告書(内容証明郵便)
神戸須磨事件の真実を求める市民フォーラムへ
差出人 弁護士 井関勇司 乗鞍良彦
警告書
前略。当職らは、神戸・須磨事件の被害者遺族である土師守氏の代理人として、以下のとおり警告します。
貴殿らは、「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」と称し、土師氏にとっては極めて不愉快な内容の手紙を執拗に同氏宅に送りつけるばかりか、最近では、突如として同氏宅を訪れてはインターフォンを鳴らす行為を繰り返し、応答がないとみるや、同氏宅のドアを強く叩くといった行為にまで及んでいます。
土師氏及びその家族は、最近に至って、ようやくそれなりに平穏な生活を取り戻しつつありましたが、これらの貴殿らの行為により、再びこれを失ってしまい、極めて不安定な精神状態に陥っております。
よって、今後は上記のような行為を繰り返さないことを強く求めるとともに、万一こういった行為が続くようであれば、断固とした法的措置をとりますので、この旨警告します。
草々
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*0032 〜真実を求める市民フォーラム [01/10/03(水)-14:46]
2000・12・25 土師氏の代理人への返事
2000・12・25 手紙(土師氏の弁護士へ)
前略
先日頂きました警告書に関して、私たちの見解をお伝え致したく、お手紙をお届けすることに致しました。
まず、土師さんと奥さんへの手紙についてです。
先生方はその手紙を実際に読まれましたでしょうか。何通か差し上げた手紙のなかで、私たちは、もし、気分を害されたり、気持ちが揺らされ、不愉快ならば、どうかおっしゃって下さい、と申し上げました。もとより、私たちには、土師さんたちに嫌な思いをさせようなどという気は毛頭なく、また、あの方たちのためにも真実を求めたい、というのが本意だからです。もちろん、真実を求めていくのは、何より、A君とその家族のためです。
この「真実を求める」ことについては、土師さんのお心と全く重なるもの、共通のもの、と私たちは思っています。なぜなら、土師さん御自身が「損害賠償請求の訴訟を起こしたのは、そのなかで真実を明らかにしていくため、それを知りたいから、」とおっしゃっています。
また、土師さんが発したコメントに「冤罪は、事実の積み重ねによって防げるもの」というのがあり、冤罪についての認識も十分お持ちだと分かります。私たち以外からでも、A君は無実だとの訴えが土師さんのところにも寄せられたことを私たちは聞いています。
少年に無実の可能性があると知った時、いくつもの理由で、それについての関心(あるいは反応であっても)が生まれるのはごく当たり前のことではないでしょうか。真実が知りたいという思いがあり、多額の賠償金を受け取り、少年の母親への疑念まで「淳」に書いている…。その前提は、あくまでも「犯人はA君」です。それが崩れ去る可能性を知った時、平然としていられるのでしょうか。たとえ、法的に判断が下っていたとしても…。
話が多少それました。
土師さん宅に伺ったのは、どうしてもお力を借りたいという気持ちからですが、伺った以上、インターホンを鳴らすのは当然のことですし、伺うたびごとに、二回、三回と鳴らしたにすぎません。それは実際に御在宅だった奥様が、誰よりよく御存知のはずです。
はっきりと、いらっしゃることが分かり、たとえ短い間でも言葉を交わしたい、とドアをたたいたことは認めます。ただ、そこでも、「やめるように」との意思表示は受けておりません。私たちは、「取材はお断り」との(インターホン越しの)言葉は頂きました。しかし、私たちが“取材のために”伺っているのでないことは、奥様も土師さんも、手紙によってよくお分かりです。手紙はお二人とも読んでくださったのは確かです。インターホンで名乗った時に、名前でお分かり頂けました。(封筒には記入してありませんでしたので、)
以上、警告書に関して申し上げました。
私たちの申し上げたことについて、何かお聞きになりたいことがおありでしたらば、どうぞ御連絡ください。お話させて頂きます。
(これは土師さんへの手紙にも繰り返し書いていることですが、)私たちは、誰かを苦しめたり傷つけたりしたいのではありません。興味本位や売名で関わろうとしているのでもありません。無実の罪で自由と人生を奪われた少年とその家族の汚名を晴らし、ごく普通の暮らしを取り戻してもらいたい。それだけのために運動を始めたのです。そしてさらに、真犯人についても、A君とその家族が味わったようなものを背負わせずに、償いの道が用意されるよう、力を尽くしたいと思っています。
そのために、どういう言われ方をしようとも、あきらめることなく、真実を求めていきます。これは私たちの変わらぬ決意なのです。
草々
*当フォーラムからの補足・・・この後の電話でのやり取りで、井関弁護士は、これまでの私達からの手紙の一切を読んでいないことを認めました。そればかりか、フォーラム発行のパンフレット(このHPとほぼ同じ内容です)も読んでいませんでした。さらに、「土師氏も読んでいないそうだ」とおっしゃるので、「では誰が読んで、警告書を書いたのですか?」と問うと、いきなり電話を切られてしまいました。井関弁護士は、とても善良そうな方で、それだけに苦しそうでお気の毒に感じました。立場は違っていても、人間として信頼できる人だという印象を持ちました。蛇足ながら、補足しておきます。
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0033 〜真実を求める市民フォーラム [01/10/04(木)-16:45]
2000・12・26 土師守様 奥様
2000・12・26 手紙
土師守様 奥様
前略で失礼致します。
先日、土師さんの代理人である弁護士の方から警告書を頂き、それに対するこちらの見解をファックスにてお送り致しました。
私たちが伺った日(12/23)にはすでに発送された後だったようですが、その時点で私たちの手元にその文書は届いておりませんでした。あの日、インターホンでのやりとりからは、土師さんがそのような対応を講じられたとは全く分かりませんでした。「弁護士を通してにしてください。取材はお断りしています。」という言葉しか私たちは伺っていないからです。どうしてもお話をしたい、という私たちの、その「話」が取材でないことは、今までの手紙から、十分お分かりのはずです。
ドアの外で大きな声で、「お願い致します。」「Aさんを救ってあげてください。」「短い時間で結構です。お話をさせてください。」「私たちの質問に答えてください。」「本当のことを明らかにしてください。」…と、くり返し訴えたのは、嫌がらせでも何でもなく、“分かっていらっしゃるはずの”土師さんに、どうしてもお会いしたかったからです。しかしそれが土師さんにとって、とても不愉快であり、精神的な負担となったのであるならば、お詫び申し上げます。ああいう行動に出たことそのものは、申し訳なかったと思っております。
しかし、何度も繰り返しますが、土師さんには大きな責任の発生する可能性が高いのだということをしっかりと認識して頂きたいのです。それは、A君の冤罪の可能性が高い(あるという程度でも)からです。
私たちは、「被害者の家族としての土師さん」に何も言うつもりもありません。むしろ、ああいった酷い形でお子さんを亡くされたことには、心からいたわりの気持ちを向けたいと思います。その悲しみや悔しさを同じように実感できなくともお察し致します。
ただ、私たちが働きかけ、訴えている土師さんは、それ以外のところで「A君が犯人」を前提として発言し、行動している土師さんです。
「真実を求める」という点に関しては、私たちの目的と全く一致するところです。
A君の母親に対する疑念や違和感を何度も述べている点では、道義的責任がおありと思います。また、損害賠償請求の訴訟に関しても、です。 いずれも「A君が犯人」を前提としているからです。そのほか、さまざまな場面で出されるコメントは、「A君が犯人」であることに基いたものだったのですから、そこでも重大な責任がおありと思います。
そしてさらに、公にされたことがら(本で述べていること等)について私たちは質問を致しましたが、それについては全く何の返答も頂いておりません。
私たちのパンフレットを読んで頂き、手紙に目を通されたのであれば、見識もあり論理的な土師さんならば、冤罪の可能性が高いことは、すぐにお分かりになったはず。なのに、それに関して何の反応もないのが不思議でなりません。前に挙げたように、全ての「前提」が崩れるほどの、大変な話ではありませんか。世間一般の、事件とは何の関係もない人々ですら、冤罪の可能性を耳にしただけで「ええっ?」と驚き、即座に「もしそうなら、A君がかわいそう。」と反応します。これが普通の感覚です。たとえ、「だったら、どうして自白したの、」と続いたにしても。事件の当事者の土師さんが、無反応なはずはないと思い
ます。
それは奥様に関しても同じです。おつき合いのあった人たちに無実の罪が着せられた、その可能性がある、と知って、何の関心も驚きも持たれないはずがないと思うのです。
「真実」を求めるために、私たちはあらゆる手を尽くすつもりです。それは、当フォーラムの代表をはじめとするメンバーの気持ちでもあります。まして「本当のことが知りたくて」訴訟にまで踏み切った土師さんならば、できること、するはずのことがたくさんあるのです。しかし、それらをされたのでしょうか? 検事調書は読まれましたか。私たちですら何度も何度も読みました。「挑戦文」の文字とA君が取調中に書いた(書かされた)ものの文字を見比べてみましたか。パンフレットの表紙を見ただけでも、その違いは歴然としています。犯人の書いたものは一定の法則に基づいたレタリング調のものであり、A君のかいたものはそれを真似ているだけです。鑑定結果も「一致」ではありません。
そもそも、家庭裁判所においては、警察調書は証拠として不採用になっています。それが疑わしいものだからです。それは御存知なかったのですか? 御存知なら「おかしい」とは思わなかったのですか。それらのことがありながらも、A君は犯人とされ、事態は進んでいきました。同じように男の子を殺害された父親で、捜査資料の閲覧を請求して、事件について知ろうとした人もいます。(実現しましたね。)
土師さんさえその気になれば、真実を明らかにするためにできることはいくらでもあったはずです。訴訟によるだけでなく、事実に基き、事実の積み重ねによって、本当のことを知っていくことができたのではないでしょうか。土師さん御自身は、「事実の積み重ねによって、冤罪は防げると思う。」とコメントされていますね。その通りです。何より事実を知っていくことが真実につながっていくことなのです。そのために、何をされたのでしょう。
土師さんは「取材」を断わり、マスコミの前に姿を現すことをせずにこられました。被害者の家族の心情を理由に。ならば、なぜ、淳君の遺体発見の当日、共同記者会見に臨もうとされたのか。それができたのなら、その後、一変してそうできなくなってしまった理由があるのか。その会見は流れましたが、無礼な新聞記者が「五月二十四日のアリバイは?」と質問した、そのことと何か関係があるのでしょうか。
また、五月二十七日の朝、何の知らせも受けていないのに、淳君のお兄ちゃんが「淳が見つかった」と泣きながら言えたのはどうしてなのか。知らないはずなのに、それを言えるのは、そう聞かされたからでしかなく、お兄ちゃんがそれを聞くとしたら、自分の家族からではないのか。なぜ遺体で見つかったと分かったのですか。前日の深夜、そのあたりは何度も繰り返し見て回った、と「淳」にはあるのですが。
土師さんのところにはたくさんの手紙や資料などが送られています。(目を通されていることは、「淳」の内容にも書かれてあります。)そのなかにはA少年の冤罪について、論理的に確かな情報も含まれていたはずです。実際に、そういうパンフレットは地域で配られたり、あるいは訴えがあったり、と聞いています。それは九十七年の時点ですでに出されていた“冤罪の可能性”です。被害者の父親としても、もうひとりの子供を持つ父親としても、それに無反応なのはおかしくありませんか。「少年は無実で、ほかに真犯人がいる。」「まだつかまっていない。」それを聞いただけでも「確かめよう」とするはずです。じっとしていられないはずです。許し難さと不安と心配とで、警察なり、弁護士なり、可能性を訴える者なりに「冤罪なのか」と問いたくなるはずです。けれども、この三年、土師さんはそうはされていません。どうしてなのか、私たちには分かりません。普通の、親の心情から考えて、おかしいと思うのです。
土師さんの代理人から警告書を送られた後、私たちは改めて、真実を求めていくことについての確認と話し合いを致しました。A君の無実の証明、救い出すこと、家族の幸せ、それだけでなく、真犯人を支えること、真犯人の家族を攻撃から守ることまで。そのためには、再び世間の目が関心がこの事件に向く、という意味において、公の場に出ることになろうと、どんな言われ方をしようと、目的達成のために力を尽くそう、と。それがたとえ“捨て石”となることであってもそれは構わない。それで真実が明るみに出るきっかけとなるならば。それが私たちの共通の決意です。
“何らかの法的措置”をとるおつもりなら、どうぞなさってください。こちらではそれを受けるだけの準備は整っています。心構えもできております。
しかし、できるならば直接お会いしてお話を伺いたい、質問に答えて頂きたい。そしてそれだけでなく「今後のこと」について話し合いたいと思うのです。これは私たちの願いでもあります。どうか、お考えください。時間がありません。
お待ちしております。 草々
追伸
土師さんが被害者の家族であるのと同様に、A君とその家族も今回の事件の被害者である可能性が非常に高いのだということを重ねてお伝えします。そして、それに関しては、土師さんにも道義的責任があるのだということをくれぐれもお忘れになりませんように。
私たちは、被害者としての土師さんにコメントを求めているのではありません。責任ある立場にある土師さんに対してなのです。
いずれ必ず、どんなことがあっても真実とは明らかになるのもなのです。しかし、人が自らそれを明らかにすることが人々の心を動かし、共感や感動、そして支援や協力が寄せられるのです。なぜなら、人は皆、心の奥底で真実を求めているからです。たとえ、最も「真実」から遠い「真犯人」であっても。
御決断をお願いします。真実を求めるために。A君とその家族のために。何より、淳君のために。
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*0034 〜真実を求める市民フォーラム [01/10/05(金)-21:27]
2000・12・27 関東医療少年院院長先生へ
2000・12・27 院長先生へ
前略で失礼致します。
先日は突然の来訪とパンフレットの配布でお騒がせ致しました。宿舎の方が不安がられていたので、説明致しましたが、御迷惑をおかけしたのであれば、ここでお詫び申し上げます。
今回はA君への手紙を同封致しました。
ぜひ彼に渡して頂きたいのですが、それが無理ならば、せめて御両親には目を通して頂きたいと思っております。非常に厚かましいお願いですが、どうぞ御高配くださいますように。
さてAの君の様子はいかがなものでしょうか?
私たちは全くうかがい知ることもできませんが、先日伺った折のYさんの御様子から、とても穏やかで受容的なそちらの施設の雰囲気を感じました。
A君は、きっと“彼”として尊重され、大事に看て頂いているものと確信致しました。今後ともよろしくお願い致します。
非常に肯定し難い内容でしょうが「A君について」という資料について、A君を理解するうえでの一助となればと願っております。
彼とその家族が本当に嬉しい「正月」を迎えられるよう、私たちも力を尽くしていくつもりでおります。
では、手紙の件、くれぐれもよろしくお願いいたします。
草々
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*0035 〜真実を求める市民フォーラム [01/10/05(金)-21:33]
2000・12・27 A君への手紙
2000・12・27 A君へ
突然に手紙を受け取っても、あなたは私たちのことをまったく知りませんね。
はじめまして。私たちは、「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」の者です。もちろん、あなたとは知り合いでもなければ、会ったこともありません。
日本中のほとんどの人たちは、あなたが事件の犯人だと思っています。私たちも初めはそうでした。しかし、今は、まったく逆です。あなたは犯人じゃない。無実だ、と思っています。間違いなくそうだと信じています。
検事調書というものを、私たちは何度も何度も読みました。あなたが取り調べのなかで言ったとされる内容が書いてあるものです。
読んでみて驚きました。あまりにも内容が現実離れしているからです。「こんなこと、誰にもできっこない」と思うものばかり。いい加減すぎる、と正直思いました。できるものなら、やってみたらいい、それが無理なのがよくわかる、と。
あなたは何も知らずに警察へ連れて行かれましたね。言われる通りに着がえて、車に乗って。まさか自分が事件の犯人として取り調べられるなんて、思ってもいなかったでしょう。突然、何人もの大人に「お前がやったんだろう。」と言われ続け、こわくて、こわくて、不安でどうしていいのか分からなくなったはずです。「たすけて」と叫びたくても声が出ない。そのくらいこわかったはずです。誰も味方がいない。お父さんもお母さんもいない。とても心細かったことでしょう。一刻も早くそこから出してほしかった。
そういう時、人間の「心」は自分を守るために動くのです。あなたの場合、「僕がやりました。」と認めることが、そこから逃げられる、やめてもらえる、ただひとつの道でした。だから、「やりました」と言い、その時からあなたは「犯人になった」のです。それから今まで、ずっとあなたは「犯人」でい続けるしかなかったのですね。
とても残念なことに、あなたのお父さん、お母さんはあまりのショックのために、何が何だか分からなくなってしまったのです。とても信じられないようなことを、「本当だ」と言われて、それを認めるには、あなたを犯人だと思うしかなかったのです。でも、心の奥では、やはりあなたを犯人だなどとは信じたくない、それが本音です。親はいつも子供を信じたいし、信じているのです。ただ、まわりの状況がそれを許してはくれなかったのです。どうかそれは分かってあげてほしいのです。
あなたのまったく知らないところで、たくさんの人たちがあなたのことを思っています。あなたを応援しています。何としても無実を証明したいと頑張っています。思うだけでなく、本にしたり、人に伝えたり、協力をお願いしたりして、行動しているのです。
あなたは部屋にただひとりです。でも、その壁の向こう側には、数えきれないほどの人がいて、あなたを思っているのです。本当ならば、今すぐにでもそこから出してあげたい、そう思っています。
先日、私たちはあなたのいる医療少年院を訪れました。この建物のどこかにあなたがいると思うと、「Aく―ん」と大声で呼びたい気持ちでした。
決してひとりぼっちではないことをあなたに知ってほしい。あなたが本当のことを口にできるように皆が祈っています。一日も早く、あなたが自分の「心」を取り戻してくれますように。家族の人たちと笑い合える日が来るように、私たちも精一杯力を尽くします。
くれぐれもあきらめず、元気な体でいてください。
外に飛び出して、駆け回れるくらいに。そういう日は必ず来ます。お父さん、お母さん、そして兄弟と、新しい暮らしを再会できる日は必ず来ます。 待っていてください。
あなたの無実を信じ、たすけたいと思う人々からの「心」を、この手紙とともにあなたに送ります。 それでは、さようなら。
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0036 〜真実を求める市民フォーラム [01/10/05(金)-21:45]
2001・1・25 土師守氏の代理人(井関弁護士)への内容証明
前略 「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」です。
私たちは、ふとしたことがきっかけで「A君の無実」について知り、自分たちがそれを検証していくなかで確信を持つに至り、今はそのために、自分たちのできることを全てしていこうと運動する市民グループです。今回の事件ではいくつもの団体が運動を展開していますが、それらのグループいずれとも関係はありません。まずそれを御承知おきください。何より私たちは「真実を求める」ことだけのために動きます。
なぜ私たちが事件の“被害者”である土師氏に働きかけをするのか。あなたからの「警告書」を頂いてもやめないのか。何のためにそうするのか。
あなたが抱いているであろういくつもの疑問への答えは全て、私たちが土師氏へ届けた手紙のなかにあります。お読みになればよく分かって頂けるはずです。どうぞ、あなたの目でそれをお確かめください。
弁護士とは依頼人を守り、依頼人の利益のために働くもの、と私たちは心得ています。しかしその奥に、さらに大きな「真実」あるいは「虚偽」があったとしたら。そこでは「真実」に添い、正義のために動くべきと思います。法と正義が人々のうえに“公平に”“公正に”なされるために、あなた方弁護士は働くのだと思います。事実・真実に従ってこそ、それが可能だとも思います。
やがて真実は必ず明らかになります。その時に、あなたが弁護士本来の役割を果たしたかどうかが問われます。「事実・真実に触れる機会を持ちながら、依頼人の利益、依頼人からの報酬、自分の立場を優先させ、真実による救いを求める人々を無視し、事実・真実をないがしろにしてしまった」。そういうことになるのです。そうなればあなたは、弁護士としての資質・資格を問われます。
私たちは「法的措置を取る」という警告よりも、事実・真実を明らかにするために動くことを優先させました。たとえ何らかの危険や不利益をこうむったとしても、です。
あなたも弁護士としての誇りにかけて、人としての良心に基いて、今回のことをぜひ見直して頂きたい。必ず今まで全く思いもしなかったものを目にするでしょう。その時は、本当の意味での「救い」や「手助け」を彼にもたらさなくてはなりません。私たちは、それを用意することができると断言致します。
どうか、共に、事実・真実を求めてくださいますよう。
今回の件では土師氏は「被害者の立場」に逃げ込むことは許されないのです。
安易なやりとりや口裏合わせによって「真実の隠蔽」がなされた時は、必ず責任を負って頂きます。弁護士生命を賭けてこの件に関わってくださいますよう、重ねてお願い申し上げます。
二度の電話のやりとりだけでしたが、人間として信頼できる方だと私たちは確信し、このような手紙をお送り致しました。不躾はどうぞお許しください。 草々
2001年1月25日
「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」