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(回答先: 「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」のURL 投稿者 あっしら 日時 2003 年 10 月 31 日 17:45:57)
0054 〜真実を求める市民フォーラム [兵庫] [01/11/21(水)-13:19]
2001・3・3 井垣判事への手紙
2001・3・3 井垣判事への手紙
井垣康弘様
前略で失礼致します。
以前手紙とパンフレットをお送りした「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」と申します。
過日、MBSの「VOICE」に出演されているのを拝見し、そのなかで「皆が癒されるように」と語られ、
先日また同じ番組のなかで「少年院を出た後の子供たちの受け皿を」と言われているのを拝見し、
もう一度手紙を差し上げたい、差し上げなければ、と思ったのです。
インタビューに答えるあなたを見ていると、実は何もかも分かっておられたのではないか、と思えるのです。
「A君が犯人ではない」ということについて。
専門家でも何でもない私たちが、「供述調書」を読んで、あまりのいい加減さにあきれ果てたほどです。
現実にできるはずのない内容の羅列、矛盾した内容 ・・・ 。専門家であるあなた方が、そこで気づかないはずがありません。
しかし、当時のあの状況で、あなたにできた最大のことが、「警察調書」を証拠として不採用にすることだった。
それはそれで致仕方なかったことなのでしょう。
でも、あなたは分かってらした。A君が無実だということを。
分かりながらも、どうすることもできなかったのは、公平公正を旨とし、真実と正義に忠実であるべき裁判官として、
とても悔やまれるものであり、情なさすら感じられたのではないでしょうか。
そして、A君とその家族に対する申し訳なさでいっぱいだったのではないでしょうか。
弁護士がもっともっと本来の働きをしてくれたなら、簡単に明らかにされるはずなのに、
どうしてそうしないのか、と憤りを覚えられたのではないですか。
これから先、一生、酒鬼薔薇聖斗の重荷を背負っていかねばならないA君を、あなたが放っておけないお気持ちはよく分かります。
「真実は遅かれ早かれ明らかになる」これは、多くの冤罪事件の示すところであるだけでなく、次々と露呈されるさまざまな“不祥事”からも言えることです。
あなたのなかには「そうなって欲しい」という願いはないのでしょうか。
ただ、真実が明らかになるとは言っても、それまでに要する時間はあまりにも長すぎます。
そんなに待たせるわけにはいきません。今、助けが必要なのです。
今、自由が必要なのです。A君にも、御両親にも。
映画「ハリケーン」は、無実という「真実」を決してあきらめず手放さない不屈の生き方とそれを支える者たちに感動します。
警察の不正に憤りを覚えます。
いつか必ず真実は明らかになるという希望は見せてくれるものの、やはり、結論は早ければ早いほどいいに決まっています。
そうは思われませんか。
そして、その「真実」は誰かが明らかにするのを待つものではないはずです。
今回は、本当にたくさんの人たちが知っているのです、本当のことを。それなのに皆が口を閉ざしじっとしたままです。
それぞれが恐れているかのようです。だから、ごく普通の市民である私たちが動き始めることになったのです。
本当のことを知りながら、放っておけないから。
何の罪もないA君もその家族もあまりにかわいそうすぎるから。
大人が作り出した偽りによってひとりの少年を犠牲にしている。そんな社会でいいはずがないから。
誠実に、真面目に生きている人たちが踏みにじられるのを黙って見ていられないから。
本当はそれぞれの力ある人たち、立場にある人たち、その任にある人たちがするべきことのはずなのです。
自分たちの“何か”を守るために何もしないから、私たちが動くしかなかったのです。
同封の資料を読まれれば、私たちが「被害者の気持ちを考えもせず、ただ力まかせに働きかけている」とは思われないと思います。
ただ、敢えてここでその点についは記しておきたいと思います。
まず、私たちは土師さんへの手紙のなかで、「このような届け方が嫌ならばおっしゃってください」という内容のことをごく始めの頃に伝えています。
奥さんの気持ちや状態を気づかってのことなのは、文面からお分かり頂けるはずです。 ― これに対しては意思表示はありませんでした。
また、後日、奥様はインターホン越しに「読んでいる」との返事をされました。
十二月下旬、土師さんの弁護士から警告書が届きました。
私たちは働きかけをやめるつもりはないこと、法的措置をとられても構わない、正面から受ける、そしてそのなかでA君の無実が明かされれば喜んで公の場に出る、との返答を出しました。
その後も私たちはさらに積極的な働きかけを続けています。
― しかし訴えられることはおろか、私たちがどういう働きかけをしているのかすら弁護士は知りません。
もしも土師さんに何らうしろ暗いところがなく、純粋に被害者ならば、全く違った対応になるのが、ごく当たり前のはずです。
たった一度の「怒り」も見せられてはいませんし、何のおしかりも御本人から受けていません。(インターホン、電話で直接言葉を交わす機会はあったのに、です。)
土師さんはどう見ても逃げ回っているとしか思えません。
このような働きかけ方は非常に危険なことを、私たちはもちろん承知しています。
人権侵害、名誉毀損、被害者への悪質ないやがらせ ・・・ と世間からも御本人からも言われるのを覚悟のうえで始めたことです。
まるで無神経かつひどい人間だと扱われるのを分かったうえでの決断でした。
力も、発言力もない私たちにできるのは捨て身で、自分たちの何ものも守らず、全てで彼にぶつかっていくことでした。
そこで私たちが砕け散ったとしても、そのかけらが投げかける波紋は必ず広がり増幅されて、きっと波となるだろうと思ったのです。
今でもそう思っていることには変わりはありません。
それでここまで来たのです。真犯人という言葉を何度彼に向けても、反応は今まで通りです。
否定の返事がなければ認めたという前提で次の動きをする、と伝えてもです。
今はとにかく彼が自分の口から真実を語ってくれるよう、毎日働きかけをしています。
彼だけでなく、彼の親しい人にもそれをお願いし始めました。
資料とともに真実を伝えたうえで、彼が救われるために手を貸してあげて欲しい、言えるようにしてあげて欲しいと頼んでいます。
土師さんの今の「心」の状況は、あと一歩で守っているものを手放す、というところまで来ている、と感じます。
そうする方が楽なのだと十分分かっているはずだからです。
土師さんへの働きかけだけでなく、私たちはA君の側の人たちにも「A君の無実」を伝え、声を上げてもらうよう訴えてきました。
誰もが受け入れ難いことを三年かかってようやく自分に納得させようと苦しみ続けてきました。
それ故にすぐには動き出せないのは無理もないと思っています。
しかし、A君の親族の方の「あの子を信じたい」という言葉に希望があると思うのです。
彼を知るから、彼の心や本当の姿を知っているから、その人は「信じたい」と言ってくれたに違いありません。
事態が水面下でここまで進んでいることを伝えながら、
A君の側の人たちの心も「絶望とあきらめ」から「希望と意欲」の方へ動かしたいと思います。
どうか御理解ください。
いいえ、井垣さんはすでに御存知です。
法と正義の名のもとに、正しい裁定が下されることを、あなたは何より大事にしようとされてきたはずです。
法にも人にも正直であろうとされてきた方だと思います。
どうしても避けられなかった過ちも、必ず償うことはできますし、また、そうしなければならない。
今がまさにその時なのです。
あなたの心にある正義がそのまま行われるよう、どうかお力をお貸しください。
事件に直接関った人の発言がいかに力を持つか、あなたは十分実感されています。
いかなる機会が与えられるか、あるいはそれを御自分で作られるかは別にして、
「本当は自分はこう感じていた、今ならこうする、本当はこうするべきだった」との発言・コメントをぜひして頂きたいのです。
お立場は承知しています。その行為がどんなに大変なものか分かったうえで書いています。
この先のあなたの人生が心に重いものを背負ったままになってしまうのは、あなたの正直さや善良さからすれば容易に予想がつきます。
過ちを犯した後、更生を目指す子供たちを手助けしていこうとする時、あなたの心が晴れやかであってほしいのです。
御自身の償いの思いを込めながらその子たちに接するのではなく、育み直す喜びのなかでその子たちと関わってあげてほしいのです。
厳しい状況に置かれてしまう、その痛みを越えて、どうか「真実」を人々に改めて見せてください。
真実の光によって闇にいる世間の人々を、A君、A君の家族、そして土師さんを照らしてください。
お願い致します。
草々
二〇〇一年三月三日
市民フォーラム
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*0066 〜真実を求める市民フォーラム [兵庫] [01/11/21(水)-13:19]
2001・3・3 井垣判事への手紙
2001・3・3 井垣判事への手紙
井垣康弘様
前略で失礼致します。
以前手紙とパンフレットをお送りした「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」と申します。
過日、MBSの「VOICE」に出演されているのを拝見し、そのなかで「皆が癒されるように」と語られ、
先日また同じ番組のなかで「少年院を出た後の子供たちの受け皿を」と言われているのを拝見し、
もう一度手紙を差し上げたい、差し上げなければ、と思ったのです。
インタビューに答えるあなたを見ていると、実は何もかも分かっておられたのではないか、と思えるのです。
「A君が犯人ではない」ということについて。
専門家でも何でもない私たちが、「供述調書」を読んで、あまりのいい加減さにあきれ果てたほどです。
現実にできるはずのない内容の羅列、矛盾した内容 ・・・ 。専門家であるあなた方が、そこで気づかないはずがありません。
しかし、当時のあの状況で、あなたにできた最大のことが、「警察調書」を証拠として不採用にすることだった。
それはそれで致仕方なかったことなのでしょう。
でも、あなたは分かってらした。A君が無実だということを。
分かりながらも、どうすることもできなかったのは、公平公正を旨とし、真実と正義に忠実であるべき裁判官として、
とても悔やまれるものであり、情なさすら感じられたのではないでしょうか。
そして、A君とその家族に対する申し訳なさでいっぱいだったのではないでしょうか。
弁護士がもっともっと本来の働きをしてくれたなら、簡単に明らかにされるはずなのに、
どうしてそうしないのか、と憤りを覚えられたのではないですか。
これから先、一生、酒鬼薔薇聖斗の重荷を背負っていかねばならないA君を、あなたが放っておけないお気持ちはよく分かります。
「真実は遅かれ早かれ明らかになる」これは、多くの冤罪事件の示すところであるだけでなく、次々と露呈されるさまざまな“不祥事”からも言えることです。
あなたのなかには「そうなって欲しい」という願いはないのでしょうか。
ただ、真実が明らかになるとは言っても、それまでに要する時間はあまりにも長すぎます。
そんなに待たせるわけにはいきません。今、助けが必要なのです。
今、自由が必要なのです。A君にも、御両親にも。
映画「ハリケーン」は、無実という「真実」を決してあきらめず手放さない不屈の生き方とそれを支える者たちに感動します。
警察の不正に憤りを覚えます。
いつか必ず真実は明らかになるという希望は見せてくれるものの、やはり、結論は早ければ早いほどいいに決まっています。
そうは思われませんか。
そして、その「真実」は誰かが明らかにするのを待つものではないはずです。
今回は、本当にたくさんの人たちが知っているのです、本当のことを。それなのに皆が口を閉ざしじっとしたままです。
それぞれが恐れているかのようです。だから、ごく普通の市民である私たちが動き始めることになったのです。
本当のことを知りながら、放っておけないから。
何の罪もないA君もその家族もあまりにかわいそうすぎるから。
大人が作り出した偽りによってひとりの少年を犠牲にしている。そんな社会でいいはずがないから。
誠実に、真面目に生きている人たちが踏みにじられるのを黙って見ていられないから。
本当はそれぞれの力ある人たち、立場にある人たち、その任にある人たちがするべきことのはずなのです。
自分たちの“何か”を守るために何もしないから、私たちが動くしかなかったのです。
同封の資料を読まれれば、私たちが「被害者の気持ちを考えもせず、ただ力まかせに働きかけている」とは思われないと思います。
ただ、敢えてここでその点についは記しておきたいと思います。
まず、私たちは土師さんへの手紙のなかで、「このような届け方が嫌ならばおっしゃってください」という内容のことをごく始めの頃に伝えています。
奥さんの気持ちや状態を気づかってのことなのは、文面からお分かり頂けるはずです。 ― これに対しては意思表示はありませんでした。
また、後日、奥様はインターホン越しに「読んでいる」との返事をされました。
十二月下旬、土師さんの弁護士から警告書が届きました。
私たちは働きかけをやめるつもりはないこと、法的措置をとられても構わない、正面から受ける、そしてそのなかでA君の無実が明かされれば喜んで公の場に出る、との返答を出しました。
その後も私たちはさらに積極的な働きかけを続けています。
― しかし訴えられることはおろか、私たちがどういう働きかけをしているのかすら弁護士は知りません。
もしも土師さんに何らうしろ暗いところがなく、純粋に被害者ならば、全く違った対応になるのが、ごく当たり前のはずです。
たった一度の「怒り」も見せられてはいませんし、何のおしかりも御本人から受けていません。(インターホン、電話で直接言葉を交わす機会はあったのに、です。)
土師さんはどう見ても逃げ回っているとしか思えません。
このような働きかけ方は非常に危険なことを、私たちはもちろん承知しています。
人権侵害、名誉毀損、被害者への悪質ないやがらせ ・・・ と世間からも御本人からも言われるのを覚悟のうえで始めたことです。
まるで無神経かつひどい人間だと扱われるのを分かったうえでの決断でした。
力も、発言力もない私たちにできるのは捨て身で、自分たちの何ものも守らず、全てで彼にぶつかっていくことでした。
そこで私たちが砕け散ったとしても、そのかけらが投げかける波紋は必ず広がり増幅されて、きっと波となるだろうと思ったのです。
今でもそう思っていることには変わりはありません。
それでここまで来たのです。真犯人という言葉を何度彼に向けても、反応は今まで通りです。
否定の返事がなければ認めたという前提で次の動きをする、と伝えてもです。
今はとにかく彼が自分の口から真実を語ってくれるよう、毎日働きかけをしています。
彼だけでなく、彼の親しい人にもそれをお願いし始めました。
資料とともに真実を伝えたうえで、彼が救われるために手を貸してあげて欲しい、言えるようにしてあげて欲しいと頼んでいます。
土師さんの今の「心」の状況は、あと一歩で守っているものを手放す、というところまで来ている、と感じます。
そうする方が楽なのだと十分分かっているはずだからです。
土師さんへの働きかけだけでなく、私たちはA君の側の人たちにも「A君の無実」を伝え、声を上げてもらうよう訴えてきました。
誰もが受け入れ難いことを三年かかってようやく自分に納得させようと苦しみ続けてきました。
それ故にすぐには動き出せないのは無理もないと思っています。
しかし、A君の親族の方の「あの子を信じたい」という言葉に希望があると思うのです。
彼を知るから、彼の心や本当の姿を知っているから、その人は「信じたい」と言ってくれたに違いありません。
事態が水面下でここまで進んでいることを伝えながら、
A君の側の人たちの心も「絶望とあきらめ」から「希望と意欲」の方へ動かしたいと思います。
どうか御理解ください。
いいえ、井垣さんはすでに御存知です。
法と正義の名のもとに、正しい裁定が下されることを、あなたは何より大事にしようとされてきたはずです。
法にも人にも正直であろうとされてきた方だと思います。
どうしても避けられなかった過ちも、必ず償うことはできますし、また、そうしなければならない。
今がまさにその時なのです。
あなたの心にある正義がそのまま行われるよう、どうかお力をお貸しください。
事件に直接関った人の発言がいかに力を持つか、あなたは十分実感されています。
いかなる機会が与えられるか、あるいはそれを御自分で作られるかは別にして、
「本当は自分はこう感じていた、今ならこうする、本当はこうするべきだった」との発言・コメントをぜひして頂きたいのです。
お立場は承知しています。その行為がどんなに大変なものか分かったうえで書いています。
この先のあなたの人生が心に重いものを背負ったままになってしまうのは、あなたの正直さや善良さからすれば容易に予想がつきます。
過ちを犯した後、更生を目指す子供たちを手助けしていこうとする時、あなたの心が晴れやかであってほしいのです。
御自身の償いの思いを込めながらその子たちに接するのではなく、育み直す喜びのなかでその子たちと関わってあげてほしいのです。
厳しい状況に置かれてしまう、その痛みを越えて、どうか「真実」を人々に改めて見せてください。
真実の光によって闇にいる世間の人々を、A君、A君の家族、そして土師さんを照らしてください。
お願い致します。
草々
二〇〇一年三月三日
市民フォーラム
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*0067 〜真実を求める市民フォーラム [兵庫] [01/11/21(水)-13:25]
2001・5・27 井垣判事への手紙
井垣康弘様 2001年5月27日
前略で失礼致します。
神戸事件から4年が経ちました。
人の記憶に今なお残るあの事件を、本当の解決に向かわせたい、と改めて思っております。
事件はまだまだ終わっていない。それは井垣さん、あなたもよくお分かりなのですね。
私たちにとって嬉しいことがいくつもあります。
まず、東君の様子です。報じられている“日常の様子”からは彼が自分の心を取り戻しつつあることが分かりました。
御両親とのわだかまりも解ける方向へと動いているようです。
事件関連の本を読んでいることについては、“読んだ後の彼の感想や言葉”は報じられてはいなかったものの、少なくとも読んだことによって彼は、「自分はこういうことをした、と世間から思われている。
こう書かれている」ということをはっきりと知ることができました。
本当に自分がそうしたのであれば、してしまったことの重さや申し訳なさが出てくるはずと思いますし、それこそが“治療”の目的であり、成果であるはずです
他の部分では“回復”が見てとれるのに、この点に関しては情報が出ていない。そこにはまだ明かされていない何か、があるのでしょう。
私たちはそれを、彼が「自分がやっていないのだと確かに認識し、それを信頼できる人に漏らしたのではあるまいか。」と思うのです。
何度も被害者の著書を読んだのに、何の反応もしていないようならば、「まだそういった感情(罪の意識・申し訳なさ等)が湧いてはこないようだ。」と報じられるのではないでしょうか。
さらに2年後の退院の可能性など言われはしないでしょう。
彼はきっと自分の無実にしっかりとつながっている、そう私たちは思ったのです。
そして、友が丘中学校の元校長、岩田氏が本を出版されたことです。
彼には昨年10月、当フォーラムのパンフレットとともに協力をお願いする手紙を送りました。
全く何の反応もなかったのが、今のこの時期に、こういう形で口を開いてくれたこと、その意味はとても大きいと思うのです。
事件関係者が本当のことを語り始める、大きな一歩です。
そしてもうひとつは井垣さんの動きです。
今回、多くの人たちに参加を呼びかけてのネット作りには、あなたの“口に出せない思い”が奥に秘められているとしか思えません。
あなたは事件の全貌を御承知です。論理的、客観的に見た時、東君を犯人とすることがいかに違っているかをよく御存知だった。
公平公正、事実に忠実に、正義を貫く ・・・といった裁判官のあるべき姿を示そうとしたあなたを、当時の全ての状況が押し潰した。
何より「本人の自白」が重かった。
全国民の視線(それも、肯定的な余地・公平な目の含まれない)、マスコミの報道攻勢、弁護団の姿勢(彼の無実を信じている様子はなかった) ・・・。
あなたはあの裁定を下すしかなかった。苦しい思いのなかで。
東君の無実が分かりながら、彼を犯人と認めたのは自分だ。何の罪もない彼を、両親から社会から引き離し、自由を奪ったのは自分だ。
― そういう自責の念でいっぱいだったのではありませんか。
事実を知りながら自分はそれに反する裁定を下した。彼を罪に陥れた他の大人たちと同じだ
。法に従い法を行う者としてあるまじきことだ。 ― 拭えない“罪障感”をその時からずっと抱いておられるのではないですか。
私たちが差し上げた手紙にはお返事は頂いておりません。しかし、井垣さんの苦しい心には響いたもの、と信じています。
テレビでお見かけし、記事で読ませて頂くと、井垣さんの善良さと理想を思う心が伝わってくるのです。
判事というお仕事は、人が犯してしまう過ちと、そこにある人の心の悲しさ、そして本来人が目指すべき理想の姿とのはざまで日々心身を削られるもののように思えてなりません。
善良であればあるほど、正義感が強ければ強いほど、そこに身を置き“過ち”に触れることは辛いもの、心を痛めることとなりましょう。
過ちを犯した人のためとは言え、裁定を下す時には胸も痛むはずです。
ひとつひとつの事件を事務的に処理することのできないあなたの姿を私たちは思い描いてしまいます。
言うまでもなく「真実は必ず明らかになる」のです。
今や医者・警察・教師、そして検事や判事に至るまで、「信頼や尊敬の対象」とされてきた者たちの隠されていたものが次々と露見しています。
言い訳や言い逃れに、人々は呆れ果て、嘘や偽りにため息をつきます。
しかしその一方で、やっぱり悪いことはできない。必ずばれる、と思うのです。本当のことは分かるもの、という当たり前のことを、皆が日々そこで確認しているのです。
見えないところでこの共通の認識の力は大きく働いていきます。
神戸事件においてもそれが当てはまります。
真実・真相を知っている人は大勢います。その人たちの心は気づかぬうちに“真実”の方へ動いているのです。
形として表れ始めています。それがもっと多くの人の心につながり、「実は ・・・」と口を開く人が出てくるもの、と私たちは信じます。
そして真犯人もそのひとりです。彼は自分が追い詰められ、どうしようもできないことを知っています。
けれども恐いのです。どんな目に遭うか、どうなってしまうのか、と。
東君への裁定を下してから今まで、あなたの心が休まる日は一日としてなかったことでしょう。
それは真犯人も同じです。彼は自分の代わりに東君を犯人に仕立てようなどとは全く思っていなかったのですから。
自分がつかまらなければそれだけでよかったのですから。
あなたは自分が見た真実を語る場を自ら作られたのですね。「本当はこう思った」「こうすべきだった」と語る場を、とうとう作られたのですね。
あなたのいたたまれなかった思いと、それを越えて動き出された勇気、そして限りなく理想に近づこうとされる姿勢に心から拍手を送りたいと思います。(僭越ですが)。
どうか、あと一歩踏み出してください。
井垣さん、あなたの勇気が東君を救います。
そして、真実を語れずにいる真犯人・土師守さんに勇気を与え、彼も救われます。
さらには、知りながら何も言えずここまで来てしまった人たちに、真実を口にするチャンスを与えることになります。
あなたが御自分を責めてこられた「すべきでなかったこと」「してはならなかったこと」は、そうして「こうしてよかった」に変わるのです。
あなたのほかの事件関係者の「すべきでなかった」「してはならなかったこと」も、「あの人(井垣さん)のようにしてよかった、そうできてよかった」に変わり、全ての人が救われます。
真実を知った国民は、驚きと同時に自分たちの至らなかったことにも気づくでしょう。
全国を震撼させた事件が今度は、人々に大いなる感動をいくつも与えていくことになります。
私たちはそれが本当の解決だと思うのです。その理想をこの国で形にしたいと思うのです。
あなたの真実の声、真実の言葉を心からお待ちしています。
草々
2001年5月27日
神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム
追伸
繰り返しになりますが、重ねてお伝えします。
事件に関わり裁定を下してから今日までの井垣さんの御心中、お察し致します。
裁定を下してからは、井垣さん自身が懲役のなかで働いているかのような心持ちだったと思います。
本人の自白、精神鑑定の結果、弁護士の姿勢、少年審判の進め方、あらゆる状況があなたを縛り、あの裁定を出すしかなかった。
他の誰が担当してもそうなったでしょう。しかしあなたは、その枠いっぱいのところで「警察調書を証拠として不採用」とされた。
そこのあなたの裁判官として、人としての良心が表れていると思います。
裁判官としての立場からできる精一杯のものを形として残してくださった。そのことに感謝しています。
この「証拠として不採用」ということがいかに大きな力となっていることか。
井垣さんの良心の表れであるとともに、東君の無実を訴えるうえでの拠り所のひとつなのです。
“調書”“取り調べ”“証拠”“自白”に、人々の目を向けてもらい、事実を見ていくうえで支柱ともなることのひとつです。
あなたが関わってくれたからこそ「形」として残った“不採用”です。誰もが同じような扱いをしてくださるとはとても思えません。
私たちは必ずあなたが真実を語ってくださるものと信じています。
もしも今のお立場がそうすることを阻むものならば、職を離れて、ということも考えられることでしょう。
あるいは、全てを明らかにしたうえで進退伺いを出すことにより、判断を委ねることもよろしいかと思います。
余計なことかもしれませんが、井垣さんが真実を明かせば、そのことで責める者は誰ひとりいないはずです。
むしろ、少年審判のあり方をめぐって、さらに検討や論議を呼ぶきっかけになるでしょう。
制度の不備が冤罪を生んだのだとすれば、それは改められねばなりません。
井垣さんの言われている三審制の導入等も視野に入るでしょう。
また「ああするしかなかった」ということへの理解や共感によって、井垣さんの状況や心情は、人々に受け入れられますし、
井垣さんには自身のお心にふさわしい働きの場が必ず用意されます。
あの状況にありながら、「形」として法を行う者の良心と誇りを残した、そういう人を放っておくはずがありません。
あなたはきっと求められて働きを成していかれるでしょう。
長くなってしまいました。
これで失礼致します。
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*0068 〜真実を求める市民フォーラム [兵庫] [01/11/21(水)-13:28]
2001・10・1 井垣判事への手紙
2001・10・1 井垣康弘様
前略
私たちは近々、新たにビラの配布(友が丘地域一帯)をすることに致しました。この配布についてはすでに半年前から土師さんにはお伝えしてあります。このビラでは再びA君の無実を強く訴えることに加えて、土師さんへの深い疑惑もはっきりと記します。
井垣さんはこの4月、ある雑誌の原稿で、A君の様子を「奇跡」の回復の途をたどりつつ…と表現したうえで、近々社会に戻す、と断言されていました。この「奇跡」とはどういう内容なのか、その原稿のなかでは具体的には書かれていませんでしたし、その時期の新聞各社においてもそのような(「奇跡」と言われるほどの)記事は全くなく、しかし驚く程好意的でした。
私たちはそこにふたつの可能性を見ます。
ひとつは、A君が自らの犯した過ちを深く悔い、驚くほどに改悛の情が見られる、ということ。そして更生の道を着実に歩み始めた、ということ。
もうひとつは、A君が自らの無実をはっきりと示し、周囲からもそれが認知されるなかで、自分自身を取り戻していくことができた、ということ。到底信じ難いことがA君の心に起こった、まるで長い夢から醒めたかのように…ということ。
もし前者なら、それは大々的に報道されるでしょう。あれだけの凶行をした少年が劇的に変化したのですから。
しかし、私たちは後者だと思っていますし、A君の無実を信じています。そして、彼の様子を「奇跡」と表現し、社会復帰を断言する井垣さんは必ず彼の“犯行”の事実があったのかなかったのかを御存知だ、とも思います。そうでなければ出すことのできない言葉です。
ぜひ教えてください。いえ、どうか教えて頂きたいのです。私たちはA君の無実を大前提として運動し、そのひとつとして今回ビラを配布します。もしもA君が犯人であるならば、多くの人たちに誤った情報を伝えることになる。そしてもっと重大なのは、土師さんに対する許されない人権侵害にあたるものが含まれているのです。“間違って”では済まされないことです。まして土師さんは「被害者」ですから。A君が犯人ならば、私たちは償いきれない過ちを犯すことになります。
ですから、どうか教えてください。
やはりA君が犯人なのか、そうではなかったのか。あなたは御存知なのですから。
A君が犯人ならば、私たちは直ちに運動を中止し、今までのことを土師さんとその御家族にお詫びし、支援・協力してくださった方々にもお詫びして回らねばなりません。
しかし、その土師さんはここ最近、引越されたそうです。なぜか突然に、です。このことが、私たちにますますの確信を持たせてくれました。そして、この事実は配布するビラにも書いていきます。それから、このお願いの手紙も公に致します。
井垣さん、あなたが下した裁定通り、彼が犯人だった、それならば「その通りだった」とあなたは何度でも断言できるはずです。しかし、彼が犯人でなく実は、無実なのだとしたら、あなたはそれを言うことは非常に難しいでしょう。このお願いの手紙に返答するのは全てを捨てる勇気と覚悟がいるでしょう。これで何のお返事もなければ、私たちはあなたが暗黙のうちに認めた、と判断致します。「彼がやはり犯人なのだ」ということは裁定通り、なのだから言いにくくも何ともないことのはずです。本当に彼が犯人ならば。あなたからの反応も含めて、の公開になります。どうか逃げないでください。逃げればそれも認めることと同じなのです。土師さんの様子は誰が見ても不自然で、やはり逃げたのだとほとんどの人は思うでしょう。彼への疑惑は深まる一方です。
先日メールでお知らせした「ジャッジメント<推定有罪>」のビデオテープもお送りします。御覧になってください。間違いを正そうとせず、真実を覆い隠す者たちの愚かさと悲しさをその目で御覧になってください。そして、真実と愛情と正義は必ず表に出るのだということを実感してください。
ビラの配布まで日にちがあまりありません。お返事をお待ち致します。手紙でもメールでも結構です。早急に、です。 草々
2001年10月1日 神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム
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*0070 真実を求める市民フォーラム [兵庫] [01/12/20(木)-17:35]
井垣判事へのメール 2001・9・29
井垣康弘様、
ご無沙汰いたしております。
「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」の**です。
これまで何度か手紙なりメールなりを差し上げ、何らかのご返信をいただけるのではないかと、心待ちにしておりました。しかし、そうはしていただけなかったようで、残念に思います。
さて、今回は、私たちはいよいよ行動に移ることをお知らせすべくメールを送らせて頂きます。
フォーラムのHP上にて、関係者個人に宛てた手紙を公開し始めました。(井垣様宛てのものも公開いたします。ご了承ください)
さらに、来月には土師氏の実名をあげたビラを、友が丘一帯に各戸配布いたします。
私たちは決してこのような行動を好む者達ではありません。
しかし、事件の真相を知る人々が、法や制度、人権、立場などを隠れ蓑にして本当は保身を図り、人々に知らせなければならない最低限の真実さえも覆い隠そうとしています。明らかに真実を隠蔽する役割を演じながら、自分なりに理由をつけて正当化し、口をつぐんでいます。
果した役割はそれぞれにしても、自分たちの判断、言動によって、無実のA君やその家族、親族の人生を踏みにじった。殺人鬼とその縁者の汚名を着せた。これは事実でしょう。
ならば、自分たちの責任において、彼らの汚名を天下に晴らしていくことは、最低限の人の道だと思います。
その上に、さらに沢山の沢山のお詫びが必要なのです。これも人として当然のことではないのでしょうか?
残念ながら、真実を知る方々は、今もそうはしていません。
真実は何より優先されるもの。もちろん、配慮は必要です。しかし、真実をないがしろにした上での配慮は、隠蔽とごまかしです。
知識や経験に乏しく、正義や真実を主張するすべを知らないA君たちを、「社会的に立派な人たち」が丸め込もうとしているとしたら、その人たちは、二重三重に罪を重ねているのです。
真実を知る人たちが口をつぐみ続けるのなら、私たちは、真実の手がかりを掴んだ者として、「言い過ぎる」しかありません。
本来はあなた方にかかるべき責任も、形を変えて私たちにかかってくるかもしれません。
しかし、私たちは一切の責任回避をせず、「人はかくあるべき」という姿を示しましょう。
正義感が強く、誠実で、正々堂々を好むあなたが、真実を語ってくれるのを待ちながら。
話は変わりますが、「ジャッジメント――推定有罪――」という映画はご覧になりましたか?
1991年のアメリカ映画です。実話のようですから、ご存知かもしれませんが、是非ご覧になってください。
ご返信をお待ちいたします。
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0071 真実を求める市民フォーラム [兵庫] [01/12/20(木)-17:40]
井垣判事へのメール 2001・9・30
先日メールを送りました**です。
私たちが行動に移る前に、井垣さんとどうしてもお話をしたいと思います。
こちらから家庭裁判所に伺います。
短時間でも構いません。どうかお話を聞かせてください。
日時を指定していただけるとありがたいのですが。
面会拒否、の場合はメールにてお知らせください。
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*0072 真実を求める市民フォーラム [兵庫] [01/12/20(木)-17:44]
井垣判事からの返信メール 2001・10・1
井垣康弘です。
**さま
これまで、お返事を怠っていたことにつきましては、お詫び申し上げます。
今回の下記のご用件に対し、お返事致します。
ご依頼の面会に応じることは出来ませんので、お断りさせて下さい。
ご存知のように、少年本人、その親、本人や親から委任を受けた弁護士から、
家庭裁判所に対し、保護処分取り消しの申立がなされるか、少年院長から、
「疑うに足りる資料を発見した旨の通知が家庭裁判所に届けば、再審理を行うことになりますが、それがないのに、担当裁判官が所見などを述べたりするのは、違法・不当であると私は考えています。従って、ほんの一言も発言できないと思っていますので、折角のお申し込みですが、お断りさせて下さい。よろしくお願いします。
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こちらから家庭裁判所に伺います。
短時間でも構いません。どうかお話を聞かせてください。
日時を指定していただけるとありがたいのですが。
面会拒否、の場合はメールにてお知らせください。
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*0073 真実を求める市民フォーラム [兵庫] [01/12/20(木)-17:47]
井垣判事へのメール 2001・10・1
井垣康弘様
さっそくにお返事を頂きましてありがとうございます。
私のとっては不本意なものですが、井垣さんのお立場もおありでしょうから、面会のこと、ひとまずは了解させていただきます。
ならば、と言う訳ではありませんが、井垣さんが公にご発言された、A君の「奇跡」の回復、についてお伺いいたしたく、今日、手紙を投函いたしました。映画のビデオも同封しましたので、是非ご覧になってください。
「奇跡の回復」については、私たちの推測が違っているのでしたら、是非御指摘ください。
もしも私たちの思い違いで、実はA君はあのような過ちを犯してしまい、最近になって「奇跡的」に更正がすすんでいる、ということであれば、なんとしても私たちは土師さんをはじめとして、井垣さんや関係者の人たちに、土下座をしてでも謝罪しなければなりません。(そんなことで許されることではありませんが、)。
まして、私たちは「土師さん、真実を語ってください」、というビラを5000戸に配布しようとしています。私たちなりの調査と確信に基づいてのことではありますが、もしもそれが全くの見当違いであるならば、どうかどうかお教えください。私たちがこれ以上過ちを続けることなく、謝罪の道に進めるように、お導きください。このことだけは、どうかお聞き届けいただけますように。(もうあまり時間がありません。)
法的にはどうであれ、真実は無実のA君や、声をあげることのできないご家族の力になりたい、との思いからはじめたはずの活動が、思いとは裏腹に、事実誤認の上に多くの関係者を傷つけ、世間の人々に偽りを吹聴しているとすれば、居たたまれなさの極みです。一刻も早く謝罪の機会をお与え下さいますよう重ねてお願い申し上げます。
今のA君の実状と真実をご存知の、井垣さんからの御指摘をお待ちしております。
偽りのない真実さえお教えいただければ、決して井垣さんにご迷惑をおかけ致しません。これは、誓ってお約束いたします。どうかよろしくお願い致します。
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*0074 真実を求める市民フォーラム [兵庫] [01/12/20(木)-17:51]
井垣判事へのメール 2001・10・3
井垣康弘様
先日お願い致しました件についてのご返信をお待ちしております。
奇しくも今日、A君のご両親の代理人として、羽柴弁護士から内容証明にて「通知書」が送られてきました。
「A君の両親は、冤罪だなどとは思っていない。土師氏への謝罪も償いもできていないなかで、土師氏を犯人呼ばわりすることは看過できない。」というような内容でした。
しかし、まず私達は、羽柴氏を信用してはいません。
97年10月までは「冤罪の可能性」を口にしながら、その後突然に態度を翻した。
しかも、何の根拠も説明しないままに。
A君のご両親の書いた手記を読んでも、A君の犯行を納得させる事実は何一つないのに、です。
彼こそが、このような事態を引き起こした、もう一方の当事者だと、私達は考えています。彼が弁護団のリーダー格だったのですから。弁護団さえ、真っ当に事実に基づいて真実を明らかにしようとしていれば、このようなことにはなっていなかったでしょう。
その意味では、失礼ながら井垣さんも被害者だと、私達は思っています。
検事役も兼ねる裁判官が、弁護団を差し置いて「被告」に有利な裁定は下せなかっただろうと思うからです。
私達は「A君のご両親は彼の無実を信じている」という話を、信頼できるところから伝え聞いています。
羽柴さんの言うことが事実なら、必ず面会に応じていただけるものと思います。
しかし、彼らは、大先輩にあたる後藤昌次郎弁護士からの問い合わせにも、無視をし続けています。よほど重大な、しかも彼らにとって都合の悪い事を隠しているからだ、という解釈以外あるでしょうか。
羽柴さんには、承服できないので直接の面会を求める返事をFAXにて送りました。
私達は、ビラ配布の予定を変えるつもりはありません。
井垣さん、お願いですから、「奇跡の回復」の内容について、真実をお教えください。
全てはそこにかかっています。
井垣さん、お願いです。必ずご返信いただけるものと信じます。
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*0075 真実を求める市民フォーラム [兵庫] [01/12/20(木)-19:09]
井垣判事へのメール 2001・10・4
井垣康弘様
井垣さん、なぜお返事をいただけないのでしょうか?
お忙しいとは思いますが、あなたはパネラーとして壇上に上がっているときにもパソコンを開いておられるくらい、パソコンには馴染んでいるはずです。
それに、私からの質問は決して長文の回答がいるわけでもありません。
私は、あなたが公に発表した、A君の「奇跡の回復」についてお尋ねしているのです。
「奇跡の回復の途をたどりつつあり、遠からず社会に戻す」ということは、ごく普通に読むと、
自分の犯した罪を認め、深く反省し、被害者に心から詫びる気持ちになっている、ということです。
「淳」も読ませた、ということですから、当然謝罪の手紙も書いているでしょう。
しかし、土師さんからも、彼の代理人からもそのような話は全く伝わっては来ていません。
羽柴弁護士の通知書には「両親の謝罪もできていない」とありました。
事件後4年半が過ぎているのに、本人も両親も土師さんに謝罪していない。それなのに、「奇跡の回復、近く社会復帰」というのはあまりにも不自然です。
ですから、私達はやはりA君は無実であり、それがある程度認知されている、と考えたのです。
それがあなたの書いた「奇跡の回復」の本当の意味なのだ、と。
しかし、それが私達の思い違いであれば、どうか御指摘ください、とお願いしてきたのです。
わたしたちは、「A君は無実」という思いで運動を展開してきました。そのなかで、被害者とされている土師氏に対する疑念も浮き上がっています。その内容のビラも配ります。
それが、私達の思い違いであるならば、すぐさま多くの人たちに謝罪しなければならない。だから、井垣さんにお願いしているのです。「奇跡の回復」の意味を。
これは、あなたがすでに公表した文章の解釈についての質問です。
もしも、私達の思い違いなら、何の躊躇もなく御指摘いただけるはずです。簡単な話のはずです。
越権行為でも、違法行為でもなんでもありません。今まで敷かれてきた線に沿っているからです。
問題は、私達の解釈が正しい場合にのみ重大です。
その場合は、やはり「答えられない」かもしれません。
このままでは、私達はそう判断せざるを得なくなります。
井垣さん、お願いです。
お答えください。
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*0076 真実を求める市民フォーラム [兵庫] [01/12/20(木)-19:13]
井垣判事からの返信メール 2001・10・5
井垣康弘です。
**様
私が公に発表したもの、または発表を承認したものを大体取りそろえて
お送りします。それらにより、私の見解を合理的に推測して下さい。
家裁の手続きに乗らない限り、私の立場では、説明は出来ないと思っています。
今後、お問い合わせいただかないようお願いします。
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*0077 真実を求める市民フォーラム [兵庫] [01/12/20(木)-19:20]
井垣判事へのメール 2001・10・5
ありがとうございます。
お手数をおかけしますが、どうかよろしくおねがいいたします。
資料をお送りいただければ(家裁の手続き・・・で十分判断はできますが)、今後は問い合わせたりは致しません。時々報告はさせてください。
親ならば誰もが我が子の汚名を晴らしてやりたいと思うはずなのに、
家裁の手続きに乗らないところに、この事件の根深さを感じます。
知識を持つ者は、もたない者の役に立つように、それを使ってこそ学んだ意味もあろうというもの。知識に乏しい人たちを弄し、操るためのものではないと思っています。
与えられているものは全て、今切実にそれを必要としている者のために使われるべきであり、医者が患者に対して、肺炎の薬が必要なことを知りながら消化薬を与えたら、罪にあたるでしょう。
また、別の医者達がそうしているのを知りながら、「自分の担当ではないから」と、何もしなければ、それもやはり同じ罪ではないでしょうか。正しいことを知っている者は、その実現のために行動すべきです。
(注・差し障りがあるので略します)
ありがとうございます。
なるべく穏便に事を運びたく思っています。
それではよろしくお願い致します。
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*0078 真実を求める市民フォーラム [兵庫] [01/12/20(木)-19:26]
井垣判事へのメール 2001・10・9
お送りいただいた資料、昨日私の手元に届きました。
お手数のみならず送料までご負担いただき、ご迷惑をおかけいたしました。
重ねて感謝申し上げます。
さて、お送りいただいた資料に一通り目を通した段階で感じるのは、やはりA君は無実であり、そのことを井垣さんはすでにご存知なのだ、ということです。
もちろん、お送り頂いた資料のどこにもそんなことは書いてはありません。
しかし、井垣さんの不自然さ、言葉の濁し方をも含めて総合的に全体を読んでいけば、上述の結論以外にありません。
今回の私の(メールでの)質問に対する回答も合わせて考えると、なおさら彼の無実が認知されているとしか考えられません。
(注・このメール及びメールのやり取りはは、この後も続きますが、将来井垣氏に御迷惑をおかけする可能性があるため、公開しません)
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*0122 真実を求める市民フォーラム [兵庫] [02/05/29<水>-14:24]
神戸家裁 少年部担当判事 様
要 望 書
神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム
「収容継続申請」の報道を受け、以下のように要望致します。
A君の今の状態を判断するにあたっては、彼の「無実の可能性」を必ず考慮に入れてください。5年前に裁定が下って、一応の法的決着はついているとはいえ、数々の疑問点、不審点、矛盾点があるのは事実です。既に下った裁定に囚われることなく、今回改めてA君について事実に基く判断をお願い致します。
特に、彼が土師守氏を始め、事件の遺族の方々への「謝罪」を未だにしていないという点は重要です。(これは「週刊新潮」掲載の土師氏の手記と、山下さん御家族の言葉で直接確認済みです。)先日の報道で、ある紙は自分の罪に向き合えていないと伝え、ある紙は罪の自覚としょく罪への目覚めがあると伝えています。しかし両方ともが実際の彼を違った形で報じているのを私たちは知っています。
既に一年前以上前、井垣判事は専門誌上で「奇跡の回復の途にあり・・・」と書かれています。これは彼が精神的に健やかな状態を取り戻しつつあることをはっきりと示しています。「死」や「世間からの逃避」を口にしていたA君が回復する、それは生への意欲や希望を取り戻し、自分の心が蘇ったことを表します。だからこそ、医療少年院から中等少年院への移送もできたのでしょうし、社会復帰の見通しも立ったのです。その彼は詫びていない。これは彼が「自分が犯人ではないこと」をずっと意志表示している。その証です。更生や社会復帰への一歩目であるはずの謝罪が、現実にはなされていないのですから。
各紙が報ずる内容を“明らかにしている関係者”とは、一体どのような人物なのか。医療少年院では個別のことに関して一切発言はしないと断言しますし、「A君の無実」についてもノーコメントです。A君に直接関わった人、A君の様子を知るはずの人。ですがその人物の“明かしていること”は事実に反しています。これは報に触れる国民を欺いているし、意図的に情報を変えているとしか言いようがありません。
井垣判事は折に触れてA君に関するコメントを新聞・テレビ等でされてきましたが、まさか今回情報を提供している“関係者”ではないでしょうね。
たとえ書類上の審理であっても、単なる手続を踏んだ手順通りのものに終わらせないでください。
無実でありながら既に5年もの歳月を奪われたA君を、これ以上縛りつけないでください。
立場上、あるいは法的制約で自分は何も言えない、できないなどとおっしゃいませんように。裁判官という事実・真実に忠実、公平公正な働きによって社会正義を実現してください。裁判官としての自分(の立場)を守るのではなく、裁判官という職責を誇りをかけて全うしてください。
「A君の両親が保護処分取り消し請求の手続をしない限りは・・・・」などという理由で逃げないでください。彼らは代理人である羽柴修氏の強い「指導」によって何もしないことを強いられているのです。これはA君の親族から直接聞いた話であり、事実です。同封のビラをご覧頂けば、お分かりになるでしょう。
A君もその両親も、守ってくれるはずの人、助けてくれるはずの人から逆の扱いを受けたのです。
かつて裁定を下した家裁に、再び判断が委ねられる、これはA君やその両親・親戚一同を救う、またとないチャンスです。全てを越えて、事実・真実に基く御判断を、とお願い致します。
「A君無実」についての根拠は山ほどあります。次の二点を見るだけでも分かりますし、改めて調査をしてみれば、すぐに明らかになるでしょう。ぜひ、明らかにしてください。
1. 遺体の切断は鋭利な刃物によるもの、という発表。しかし後に「金のこ」によるもの、と変えられた。検死医が間違うはずはない。
2. タンク山には大勢の人が探しに行っている。アンテナ基地の床下面は目の高さにある。絶対に見落とすはずがない。しかも2日以上もそこに放置されたことになっている。行った人は「遺体なんてなかった。」と断言している。
遺体発見時の写真をご覧になれば、一目瞭然でしょう。
私たちはA君の親族(複数)から「A君の無実は認知されている」と聞きました。これらのことは羽柴氏も否定していません。
事件は一応法にのっとって決着をみたことになっています。けれどもそれは正義や真実とはかけ離れたところでなされたものです。再び判断が委ねられた今度こそ、法と正義と真実とをひとつのものとしてください。それができるのは、裁判官であるあなた方なのです。