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(回答先: 神戸事件についての部分を読んだ感想です。 投稿者 エンセン 日時 2003 年 10 月 30 日 17:44:24)
エンセンさん,お久しぶりです.
お葱の里です.(^^) ※お気付きかと思いますが,私も(書記長と同じように?)複数のHNを板ごとに使い分けています.このところ仕事が忙しくいくつかの反応してしまいそうになるスレにもじっと抑制してたのですが,とうとう引っかかってしまいました.^^;
エンセンさんが指摘されている通り,「神戸・須磨事件の真実を求める市民フォーラム」が真犯人であると仮託し攻撃しているのは被害者の父親であることに間違いありません.(私は去年の12月頃,彼らのホームページの全文を読んでいます.)彼らはそれを注意深く隠蔽していますが,私が記憶する限りそのことを不注意にも完全に曝け出してしまうような材料が彼らのサイトに存在していました.(もう一度行く気もありません.おそらく既に消去されていると思います.)
彼方さんの引用を非難するつもりはありませんが,神知論者(かぶれ)などは所詮こんなもんだろうと思います.以下は彼らのサイトに投稿しようとして果たさなかったときの草稿です.読み返してみるとあまりインパクトのあるものではありませんが,多分彼らの論証に含まれる自己矛盾を指摘して,彼らに論争を挑もうとしていたのだろうと思います.
ちなみに私は被害者のご両親をとても強く尊敬申し上げています.この方たちは家裁の裁定によってうやむやにされてしまった事実認定をあらためて問う最後の場所としてA少年の両親に対する民事訴訟を提起されました.それが被告側弁護士の誘導によってあっけなく切り崩されてしまったのは周知の通りです.
以下引用(原文のまま):
貴会のご活動の趣旨に賛同し,深い敬意と感謝の念を表するものです.
A少年は冤罪であるとする十分な根拠があります.しかし,H氏を真犯人と断定
するのはまた別の問題であり,なおクリアすべき関門があるように思われます.この
仮設によってかなりの疑問が氷解することは確かですが,以下についてはどうでし
ょうか?(冤罪に代えるに冤罪をもってしたのでは何の意味もありません.)
この事件のカギを握る3つの重要な文書があります.多くの識者が指摘する通り,
これらのテキストを作文するためには相当の文学的表現能力(文章力)が要求
されることは明らかです.つまり,これらの文書には固有の作者が引き当てられな
くてはなりません.A少年のご両親は文章を書くのが苦手なようですが,H氏の場
合はどうなのでしょう?何かこの点を支持ないし補強する材料をお持ちですか?
ご指摘のように,A少年の机の引き出しから押収されたとする犯行ノートのような
ものなら,捏造の可能性を考えることができます.ところで,3番目の文書「懲役
13年」については,「第2犯行声明と同時期に真犯人が送りつけてきた可能性
が高い」としておられますが,どこに?とお考えですか?
神戸新聞社に送りつけられた封書に同封されていなかったことはまず間違いない
でしょう.だとすれば,後,どのような,(公表されている以外の)チャンネルが考えら
れますか?これらの詩文を捏造することはできないというところがこの問題を難解な
ものにしています.犯行動機を隠蔽するために愉快犯的なカモフラージュをほどこ
すという意図だけで,ここまでやるでしょうか?これら3つの文書を準備するだけで相
当な時間を要することは明らかであり,緻密な計画性が認められます.偶発的な
犯行とはだいぶ隔たりがあるのではないでしょうか?これに比べると検事調書などは
短時間で即製されたまことに稚拙な作文です.視覚的効果にこだわり,時間をか
けて正門前の首の位置を念入りに調整しているなどの犯人の挙動からも,このこと
がストレートに帰結されます.
「見えてくる真犯人像」には,『警察当局は真犯人が再び人を殺すこともなく、誤
認逮捕を嘲る「声明文」を送ってくることもないことを知っているから』とありますが,
その根拠は?誤認逮捕の上,それを嘲笑する声明文では逃げ場がありません.
その意味で,上記が(前提として)成立すると推論するのは妥当であると考えられ
ます.しかし,この時点では(当局側では)まだ,真犯人を特定できていないので
はないでしょうか?(真犯人を知っているのならでっち上げの必要はなかったはず)
何か自他の観念を取り違えていらっしゃいませんか?真犯人を知っている⇒その
犯人をかばう必要がある,のなら謀略説が必然浮上します.
掲示板の貴会記事中に,神戸新聞社宛封書の消印が「神戸西局」ではなく,
「須磨北局」であることを(貴会で)確認したとありましたが,本当でしょうか?資料
がHPにあるというので,探してみましたが見つかりませんでした.(H氏が真犯人で
あると仮定するのなら,どちらの局区でポストしたかは主要な問題ではなくなります.
なぜこの点にこだわるのか,話しがよく見えません.)
2月・3月事件と5月事件は同一犯人によるものかどうか?という問題があります.
3文書の作者が同一人でなくてはならないという要請からすると,これらが一連の
ものであるという見方はもっとも自然なものと言えるでしょう.この解釈では,2/3月
事件と同様,5月事件も単純かつ無差別・偶発的に発生したことになります.こ
れはこの神戸市須磨区という狭いエリアに発生した凶悪で不可解な事件全体を
もっとも無理なく説明するものです.私は,H氏がA少年の両親に対して起こした
賠償請求訴訟に当たって,「(裁判の過程で明らかになる)事実の積み重ねによ
って冤罪を回避できる」という期待を表明したことの本意を信じたい気持ちです.
結果的にはそうなりませんでした.これはA少年側が犯行を事実と認め,賠償を
無条件で受け入れてしまったことによっています.この背景に(訴訟費用などの)
経済的問題があり,それを賄うために「少年A この子を生んで」が執筆され,その
本を「売るため」に(大衆迎合的に)事実関係が歪曲されたというご指摘は当たっ
ているような気がします.これもまたこの事件の首謀者の目的であり,同時に手段
でもあったマスコミ操作(もしそうであるとすれば,完璧な成果を収めた)の一環で
あったとみるのは穿ち過ぎでしょうか?
A.B.