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(回答先: 絶対声を出して読んではいけないという呪文がありますが,読んでみますか? 投稿者 英治 日時 2003 年 11 月 02 日 00:25:39)
馬場さま、
>> ・・・あ、これってもしかすると馬場さまにいじめられていたのか。・・・まあいいや。
>
>いや,実は鞭・熟女だったりして?
じゃあ、不倫談義が再燃したら、その時は鞭持って登場しましょうか。
>私はほとんどチャットってやってないんですが,そのときの私の印象ではイギリス
>人はすぐ2人だけで小部屋に入っちゃうという感じを持ってますが違いますか?
へえ、そうなんですか? リーマンさまなら、その辺お詳しそうですよ。
衆人環視のなかでは腹を割って話せないということなのかしらん。
>> 何というのでしょう、あたくしがまだROM専していた頃の阿修羅には、悪い比喩を使えば
>> 第三者から見てですが、犬の縄張り争いのような感覚で常時攻撃しあっていた男性参加者が
>> 今と較べて多かったような気がいたします。
>
>やや,2チャンに近かったということですね.
それも、読んでいて高度の知性を持っているに違いないと思える人々だったからこそ、
余計にやりきれない気分になっていました。
あっしら様が最近のご投稿のなかで
『知識というものは”快適に生きるための道具”以上のものではない』
というようなご意見を披露なさっていました(正確には引用していませんが)。
それは、知識をして、自分の優越性を誇示することを目的として獲得したり使用したりというのは愚の骨頂だということであり、
その種の行動こそが、あっしら様のいう悪魔崇拝者的態度である、
という風に拡大解釈できると思うのですが(ですよね?)、あたくしも実はその点、全く同意見なのです。
阿修羅のような趣旨で設けられた掲示板に来て、
やれ『お前の無知は哀れ』などと罵り合うような方々については、
たとえ彼らの一方の見識が正しいものであっても、
その『はっはっは、俺は真実を悟っているもんね、バカは一生奴隷として搾取され続けろ』的な態度からは
実は彼らが悪魔崇拝者と、そのスピリットにおいてまったく同類であることが露呈し
てしまっている、と指摘できると思います。
最終的に人間はハートで決まるはずだとあたくしなどが信じてしまうのは、そこが根拠なのです。
>> どうなんでしょうね。あたくしが知り合ったユダヤ人は男性が圧倒的に多かったので。
>> そのうちの一人である政治的シオニスト氏だけはバリバリのシオニスト的感覚と超アメリカ的感覚を
>> 自分の都合の良いようにブレンドしていて辟易させられていましたが、
>
>実際には結構スマートな人物だったんじゃありませんか?
いえいえ・・・。それでも結構女たらしでしたが。
彼は某国のある大都市の音楽ホールの現代(20世紀)音楽系のコンサート企画のキュレーターで(現在もそうです)、
一応、その都市ではもちろん、世界各国からアカデミックな作曲家やオーケストラから
ジャズ・軽音楽系のミュージシャン、バンドまでを、このご時世には珍しく、
金に糸目をつけずに呼べる立場で、一見華やかに見える環境にいましたから、
それをセックスアピールと取り違えるような女性なら引っ掛かったでしょう。
離婚歴が三度だが、誘いたい女性には『君とならすぐに結婚するよ』などと調子のいい甘言を弄したりしていました(その辺がアメリカ的ですね)。
どんなに高給取りでも月々三人に慰謝料(子女もあるので)では、そんなに鷹揚にデートもできないでしょうに。
実際、一緒に属していた音楽系サークル仲間に聞いても、『あとで食事を奢るからコンサートに来いよ』と彼に言われても
支払いをうまく会社につけていたり、それが出来ない時には
『奢るって言ってたけど、今回はちょっと・・・悪いな』なんて言って断ったりしていたようです。
あたくしも『君の町まで出掛けるから、一緒に食事しようよ』などと何度も誘われたのですが、
あたくしは意地悪なんですね、当時あたくしの住んでいた辺鄙な田舎町で
そんな調子のいいオジサンに馴れ馴れしくされながら歩くなんてタマランとも思ったし、
彼はそのキュレーターの職を得るきっかけをくれた、かなり年上のおばさまというヒモがついていて、
彼の職場のあるその大都市の繁華街では、他の女性といるところを誰かに見られると具合が悪いから
わざわざ理由をつけて外に出掛けざるを得なかったというのも知っていたものですから
『えー、どうして? 折角食事するなら、たまにはウィンドーショッピングしに
街に出たいじゃないの。
それに田舎じゃロクなレストランもないし。
あたしがそっちに出掛けるわよ、いつがい〜い?』
なんて言ってイタぶっていました。意地悪だねーっ。お局さまなんて、そんなもんですよ。
勿論、その後は誘われなくなりました(笑)。
おわかりと思いますが、前のレスで書いた『シオニストの同胞の新しい知己に対する思想チェック』というのは、
このオジサンの行動を観察していて理解したものです。
とにかく、ユダヤ系の新しい知り合いとは必ず会合を持っていました。
こういったことを習慣にしているシオニストは非常に多そうです。
蛇足ながら、彼自身、知識も能力も高水準であるのは確かですが、
その種の思想チェックにパスしてきていなければ享けられなかった様々な便宜というものがあったと想像しています。
何故なら、彼はくだんの職を得る前にも華々しいキャリアを築いてきており、
そのいずれもが多国籍金融支配層が元締めとなった職場であったからです。
また、一度便宜を受ければ、入植支援の態度にもハンパでないものを期待され、
そのサイクルが永遠に繰り返されるのかも知れません。
先に書いた、知識を誇示して悪魔崇拝者の同類に成り下がる態度についての話題に戻りますが、
このシオニスト氏も果たして、そういった極端な傾向をもっていました。
一度、面と向かって次のように彼に言ったことがありました。
『知識というものは、それを身につければどんな地平にも歩いて行ける靴のようなものだけど、
あなたはその靴を、人の顔を力一杯はたくために使っているみたい。
勿体ないねえ。』
怒ってました、瞬間湯沸かし器のように。
あたくしは、悪いんだけど、こういう手合とは理解しあえません。
>G.The Transformation of Society という章に13行ほどの章句(呪文)が入っています.
>ニューマンはこれに,「絶対声に出して読んではいけない」という注意書きを付けてるんですが,
>あなたはあえてこれに挑戦できますか?私はそのうち(気合の入っているときにでも)読み上げてみようかとは思ってますが,とりあえずはパスしました.
あ、そこだけ開けて、もう読んでみました。
どんなオカルト的なおどろおどろしい呪文かと思ったら、
至って平和そうな祈りの言葉に見えたのですが・・・。
あたくしの理解が浅いのかな?
ではまた、ごきげんよう。
PS.
馬場さまもお仕事で大変すね。レスは結構ですので頑張って下さいませね。
あたくしも今週はちょっとバタバタしますので、レスができないか、
すごく遅くなると思います。ご了承を。