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大草原の惨劇
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投稿者 エンセン 日時 2004 年 1 月 24 日 19:07:38:ieVyGVASbNhvI
 

(回答先: 【チェルノブイリの少年たち】運命の金曜日 投稿者 エンセン 日時 2004 年 1 月 24 日 19:03:34)

 
大草原の惨劇


「死なないでおくれ……」

セーロフの4人家族は、大きなエンジンの音を響かせる避難用のバスと軍用のトラックの車列に挟まれ、十キロの道のりを自家用車で走り抜くあいだ、それぞれが別の考えを追いはじめた。
4人の前後を疾走する車の隊列は、細く、長く、切れ目なく続く果てしない線となって、時には草原を抜け、時には曲がりくねった平坦な道をゆっくり走った。それは全体として黒々とした印象を与える、異様な行列だった。
一帯は、まだ春の盛りを迎える季節にはなく、ようやく木の芽が萌え出る気配を見せていた。それでもウクライナの大草原らしく、耕作地の生命が勢いよく一面にひろがり、あとひと月もすれば、たちまち歓喜の情景が見られよう。それだけに、走り急ぐ避難の大行列が、この世のものとは思われなかった。
まさに人生の大仕事を完成させようと張り切っていた父親のアンドレーは、絶えずハンドルを握る手に力をこめながら、胸のなかで、これまでにない不思議な感情のたかまりを覚えていた。チェルノブイリ原子炉の爆発によって、初めて自分がセーロフ一家の主だという意識に目覚めたのだ。時折、左手に視線が吸いよせられると、そこにはまぎれもなく一条の巨大な煙が立ちのぼっていた。地表の近くに目を注ぐと、濃霧のような塊ができあがっていた。この中心を鋭く貫いて一直線に上昇する黒い円柱は、大空の果てまで一気に届こうとする、猛烈な大蛇の姿だった。そこに爆発音が響いた。
アンドレーは昨日まで、妻のターニャに対して社会的に誇り高い男であった。息子のイワンには、将来を託すだけの知識を与えてきた。娘のイネッサには、格別の包容力をもって慈愛を注いできた。
わが子と共に歓びを!である。
しかし、アンドレーにいま襲いかかってきたのは、この3人の命を自分の手で守りぬき、社会から切り離して自分の胸に抱きたいという激しい衝動だった。そのためには自分が、掌に隠れるほど小さな家族に戻り、先導する軍用トラックにも激しい抵抗を示さなければならないだろう。ところで一体、どのような方法があるのか。
隣に坐っていたイワンは、一睡もしなかった疲労のため、とうとう窓に頭を寄せかけながら目を閉じてしまった。少年は、さきほどから体のあちこちに不快感を覚えていた。目の痛みが少しずつ増してゆき、しかも、ときどき自分の目玉ではないような異物感を感じた。
ふと目を開くと、わずか数メートル先も見えないことがあった。
実際、この奇妙な不快感はイワンだけが感じたものでなく、軍用トラックを運転していた兵士を含めて、この隊列を構成している2万人以上にのぼるぼうだいな人間すべてが、さきほどから振り払おうとしていた症状である。彼らはまだ、自分たちの包んでいる空気の微妙な変化に気づいていなかった。
原子炉から吹き出し続ける危険な蒸気が、深夜から早朝にかけて一帯の空気に冷やされ、鈍重なガスとなって地面を這い進んでいた。このガスの速度はトラックよりずっと速く、すでに遥か彼方、百キロを楽に越える範囲まで拡散していた。そのなかでわずか十キロほどを走ろうとしていた彼らは、まわりの空気の粒がイオン化され、はじき飛ばされた電子が体を打っていることに気づかなかったのである。視界が狭く感じられ、早朝の空気にしては異様なほど青い輝きを感じるかと思えば、突然、目に針が刺さるような痛みを覚えた。
肉体の反応が出はじめたのだ。
母ターニャの腕にしっかりと抱きかかえられた幼いイネッサは、頭痛と不快感のためほとんど口をきけない様子だった。唇を強く結んで苦痛に耐えていた。ターニャの瞳は、このイネッサとイワンに交互に注がれ、何ごとかを予感して不安の色が濃くなっていた。
「ねえ、アンドレー、私たち、逃げているのかしら」
その声を背中に受けて、アンドレーはしばらく答を探しあぐねているようだった。
「逃げてなんかいないさ。いまは、ほかに方法がない。俺たちだけじゃない。ここを走っている人間は、集団で行動するほかない。分ってくれ」
「イネッサが苦しそうなの。ね、どうしたらいいのかしら」
こうささやくような妻の弱々しい言葉に答えず、アンドレーは大きく胸に息を吸いこんだ。しかし、目の隅には、小さな水の滴が湧き出していた。
「駄目よ……何があっても……」
ターニャは夫のうしろ姿を見て、いっさいを覚悟するかのように目を閉じ、ひとり胸につぶやいた。
「この子たちが生きていてくれれば、何でも許してあげる。イネッサ、死なないでおくれ……ね、死んだら、お母さんは生きてゆけないからね。死なないでおくれ」
その言葉が、思わず大きな叫び声となって口から溢れそうになった。ターニャが祈り念じたのと逆に、この場合、悲劇が訪れるとすれば、まず子供に苦痛が現われるのが、運命の定めであったろう。それは、活発な子供の肉体を考えればすぐに気づくことだった。ところがアンドレーは、一歩先へ思索を進めていた。腹のなかでは、そのような運命を受け入れないつもりなのだ。
妻のターニャは、自分たちの身に一週間後、あるいは一ヵ月後か一年後に襲いかかるかも知れない、ある運命を想像していた。確実に刻一刻と子供たちの体に迫ってきた運命が嘘ではないらしい様子を見ていると、初めて、いままで漠然と話に聞いていた悪夢が、このように現実のなかで訪れることを知ったのである。
学校から勢いよく帰宅したイワンが、珍しく成績を気にかけていた。毎日のように川遊びにほうけてきた男が、昨日だけは数学で並の点数をかせいだ。普段は体験のないことだけに、よほど嬉しかったとみえる。その愉快な仕草がまだきのうの出来事だったと、ターニャは信じることができなかった。
そのとき突然、車の隊列が止まった。
先頭のトラックがとある農場に到着し、責任者の軍人がおりてゆくと、農場の経営者に事態を説明しはじめた。その様子をみると、農場ではくわしく事情を知りたいようだった。アンドレーは原子炉の話に口を挟みたかったが、すでに出発の時から「何も言うな」と厳しい命令を受けていた。チェルノブイリでは名を知られたアンドレー・セーロフでさえ、爆発の現場に戻って事情を探ることも許されず、まったく知識のない軍人が下す避難命令にひと言も楯つくことができない。ここまで逃げのびた男たちは、全員がこの通りだった。
無念だが、自分たちの犯した失敗のために、これだけの人間が巻き添えを食ったのだ。いまさら返す言葉などあるはずがなかった。プリピアーチから避難してきた住民がぞくぞくと農場におり立ち、手をかざして背後を眺めやっている姿が、アンドレーの胸を刺した。
イワンとイネッサだけではなかった。2万を超えるぼうだいな数の人間がそこにいた。この人間たちを救わなければならない。果たして自分にそれができるのだろうか。自分たち夫婦よりずっと若く、まだ幼い赤児を抱きかかえた母親の群をみると、彼は静かに近づいてゆき、何人かの乳呑み児の容態を観察してまわった。彼は何かに気づいた様子だった。
戻ってきてイネッサの唇をよく見ると、乳呑み児たちと同じように唇のまわりがほのかに赤らみ、不自然にふくれあがっている。それが今、子供たちに共通の症状として現われていた。
この農場では大量の避難民をすべて収容できるはずもなく、幼い子供とその母親を選んで、軍人が収容者を選びはじめた。まだわずか十キロの道のりを走っただけだったから、振り返ればチェルノブイリの黒い煙の柱が猛然と上空へ吸いこまれてゆくのが、手を触れられるほどの近い感覚で鮮やかに認められた。火勢はどうやら、昨夜よりいっそう激しくなり、上昇気流の勢いは一向に衰えていなかった。


上司コリヤキンの命令

改めて驚愕と恐怖に憑かれながら、残してきたわが家に想いを馳せた人びとが、見上げた空に2機のヘリコプターの影を見つけたのはその時だった。
チェルノブイリ原子炉の方角から一直線にこの農場へ向かって飛んでくる姿が、たちまちあの奇怪なバタバタという音と共に大きくなり、ヘリコプターは適当な空き地を選んで着地した。アンドレーが驚いたのは、ヘリコプターからおり立った男が自分の上司コリヤキンだったからである。
この男は持ち前の短気な性格を隠そうともせず、いきなり人びとの前に現われると、手にした名簿から名前を拾ってゆき、スピーカーを使って大音声に読みあげはじめた。まず最初に重要な人間が13名読みあげられ、その5番目に
「アンドレー・セーロフ!」という乾いた声が響いた。
この13名が、それぞれ部下を10名ほど集めて、合計百数十人の突撃残留組として、爆発した原子炉の処理にあたれ、と事もなげに言うのである。
「時間はないぞ。家族のことは心配するな。互いに何も案ずることはない。1時間後、いや」コリヤキンは人びとの顔色をうかがってから、ゆっくり言い直した。「今から2時間後に出発する。ここで、自家用車はすべて放棄してもらう。荷物は、バスに持ちこめるだけの最小限にとどめるように。これからの行動が国家的な団体行動になることを覚えておかれたい。もちろん、そのような不届き者はいないと信じているが、万一にも脱走して単独行動を取るようなことがあっても、道路はすでに警察の手ですべて遮断されている。これは、無知による危険を小さくするため、諸君のためを思っての処置である。当局が危険地帯と安全地帯を空から分析しているので、われわれはそれに従って、諸君を最も安全な場所に避難させなければならない。それが国家としての責任である。ひとりの生命でも、この避難によって失われることがあってはならない。無謀な単独行動は、命取りになる危険があることをはっきり伝えておく。したがって、すべての指示を信頼し、命令には迅速に従ってほしい。全員の健康に対して、最良の手段を検討しているところである。われわれがそうするように、諸君も全員のことを考えて、団体行動に徹するよう望んでいる。では、さきほどの13名は、ここに集まってくれ。残りの諸君は、次の指示があるまで休憩を取ってくれたまえ。発電所では、消防士の諸君が同士のために決死の活動を展開しているのだ。状況が把握されれば、ただちに大掛かりな消火活動を開始するつもりである。われわれの同士は、ソヴィエト連邦の全土にいるのだ。安心して、科学的な結論を待つように!」
アンドレーは、上司コリヤキンの言葉を驚きあやしんだ。なぜ百人もの部隊が、危険地帯に戻らなければならないのか。当直の職員たちが、すでにバタバタと倒れているに違いない。何かを隠そうとしているのだ。
怒り癖のついたコリヤキンにしては、ずいぶんと穏やかな言い回しで、言葉のひとつずつが説得力を持っていた。これは誰かの入れ知恵に違いない。
こうなれば、アンドレーは最後の決断をくださなければならない。
脱走か、服従か。
うとうとと眠っていたイワンはスピーカーの声に目覚め、父親の名をはっきりと耳にした。イネッサはとうとう正体もなく寝入って、ターニャの腕に抱かれながら寝息を立てていた。
車のなかで、アンドレーは自分の手に暖かいものが触れるのを感じた。イワンが、まさぐるように父親の手を握ろうとした。
「ねえ、行かないで」と、ささやくような声でイワンが悲痛な哀願の言葉を口にした。「逃げよう。道路を遮断したって、お父さんなら逃げ道をいくらでも知ってる。戻れば死ぬよ。殺されるんだ。どうせ殺されるんなら、みんなで死ねばいいじゃないか。戻っちゃだめだ」
声は低いが、力強いものだった。
イワンの言う通りだ。しかし、この集団から自動車が一台走り出せば、まるで捕まるために脱走するようなものだ。ヘリコプターが追跡するまでもなく、悪路でジープに追撃されればひとたまりもない。
「イワン、ここでは無理だ。まわりを見ろ。逃げても自殺と同じだ。走り回るには、イネッサの具合がひどく悪い。早く医者にみせなければならん。今朝、ここへ来る前に逃げればよかったんだ。もう手遅れだ。3人が生きられるように頭を使ってくれ。俺もまだ、死ぬと決まったわけじゃない。頭を使うぞ。約束する。無理はしない。きっとまた会える。母さんとイネッサを頼むぞ」
イワンの手を強く握り返し、アンドレーはそれから息子を頭から抱きかかえると、少年の髪にゆっくり手を触れた。このまま永遠に、時が止まればよい。
息子のやわらかな髪の感触が、アンドレーの太い5本の指に走った。久しくこのようにしてやらなかったが、イワンが幼い頃には、よく髪に手を触れながら寝顔を見ていたものだった。バカなものだ。今こうして息子を抱きしめ、自分は幸福の絶頂にある。これが最後になるかも知れない抱擁なのか。なぜ毎日、こうしてすばらしい時間を過ごせなかったのか。
精一杯まで働いてきたつもりだが、それは自分の子供を殺す仕事だったのだ。
これが正体なのだ。
「逃げる方法があるわ」
ターニャが夫の肩に手をかけ、早口で耳にささやきかけてきた。
「見てごらんなさい。私たちだけじゃないわ。仲間が百人以上もいるのよ。みんなで一度に逃げ出せば、あの人たちだって追いかけられないわ。みんな泣いてるわよ。逃げたいのよ。あの人たちも」
それは事実だった。残留部隊に指名された者の家族がそちこちで目を泣きはらし、彼らの多くは、頭に血がこり固まるまで泣き続けていた。
ところが、それはアンドレーにとって納得できなかった。自分が逃げ出せば、脱走者に取って代る悲劇が、また別の家族に襲いかかるだけだ。当局は、百数十人の犠牲者を緊急に必要としている。これだけは動かしがたいだろう。セーロフ一家がその貧乏くじを引いてしまった。
しかし発電所の幹部として、当然すぎる責任ではあったろう。
悲しげに首を横にふると、アンドレーの妻は手のうえに頬を乗せ、そこに感情を語ろうとした。
この別離の会話が、どの家族にも一瞬のうちに流れた。上司のコリヤキンが慌しく歩きまわり、残忍にも家族の腕をちぎるように引き離していったからである。
その姿を見て、ターニャが叫んだ。
「あの偉い連中は、こういう時には原子炉のなかに入らないんだわ。命令だけして、あとは自分の家族と夕食をとるのよ!」
アンドレーはその叫び声を生涯忘れないものとして聞いた。この言葉が、ターニャの願いに反して、アンドレーに決死の覚悟を抱かせたのである。
自分がまだ“偉い人間”でなくてよかった。若い男たちを死地に赴かせて自分だけが生きているぐらいなら、いっそ死を選んだほうがよい、これでよいのだ、こう彼は胸の内でつぶやいたのである。


「帰ってきておくれ……」

「何があっても、連絡が取れるようにしてくれ、ターニャ。腹が立っても、あの連中と仲良く振る舞うんだぞ。イワンとイネッサの居所をいつでも俺に教えてくれ。プリピアーチに手紙を出しても連絡を取れないだろうから、君の姉さんのところがいい。お互いにアンナ宛に連絡を取ろう。キエフなら手紙が届くだろう。俺はかならず帰ってくる。かならず、君のところへ、かならず帰るからな」
ここまで言った時、アンドレーの両眼は農場の片隅に吸い寄せられた。
「どうしたの」
「いや、何だろう」
アンドレーが見ていたのは、柵の囲いのなかに入っている数頭の仔羊だった。そのうちの1頭が、ほかの羊と違う動作をしているのに気づいた。
「ターニャ、あれを見ろ。おかしいぞ。ほら、また転んだ。目が見えないのじゃないか」
彼は車を出ると、農場の人間をつかまえた。不安を与えないようにさりげなく世間話を交わしてから、仔羊たちが昨夜どこにいたかを尋ねた。昨日までこの農場の動物たちが元気だったかどうか、特に異常はなかったかどうか、仔羊の餌は放牧によって牧草を食べさせているか、それとも子供なので加工肥料を与えているか、といった質問をして答を聞き出した。
もちろん、ここでは今の季節になればすべて放牧し、何の異常もなく飼っているという話だった。件の仔羊の様子が変だと教えられた牧童は、様子を見に行って戻ってくると、早口にまくし立てた。
「本当だ。あいつは一番元気な奴だったのに、目がほとんど見えなくなっちまってる。おい、どうしたんだ。ここでこれから何が起こるんだ。教えてくれ。どうすりゃいいんだ」
「一番元気な奴なら、草を一番食ったんだろう」
アンドレーはひと言こう言い捨てると、放牧地の小高い丘の斜面からひろがる農場を見渡し、左手に望まれる山容と、右手にある、いま自分たち避難民が渡ってきたばかりの川にかかる橋などを見くらべながら、地勢をおしはかった。彼は風の流れを知ろうとしていた。
「放牧のとき、羊の飲み水はどこで与えるかね」
「仔羊の水呑み場は、あの水流が狭くなったところから水を引いて、小さな淀みがこしらえてある」
牧童が示した場所は、溶々として流れる大河ではなく、窪地に潜む小さな池だった。この農場は、今朝の風の吹き具合で発電所の風下にはなかった。しかし昨夜は、夜中に異常な熱気流がどこへ流れたかを知る者はない。南側に駐車していたアンドレーの自動車にも、おそろしい量の灰が降りつもっていたことを彼は思い返した。このような場合、灰は平均的に全面を覆うのではなく、気流と気流が交差して生ずる細い流れに沿って、ある地点へ集中的に降りつもる。それが丘陵の起伏による温度差と組み合わさり、一ヵ所に驚くほど大量に降下する。
動物たちに早くも急性症状が出はじめたことは、疑う余地がなかった。ところが、原子炉からわずか十キロ離れただけで、この避難民たちはほっと安堵の息をつき、頭などにかぶってきた重装備を解きはじめていた。大量のバスやトラックが到着するまで、どれほど時間がかかるかをコリヤキンは説明しなかったが、仮テントをこしらえ、あるいはそれぞれが別の工夫をこらして、灰から身を守らなければならなかった。その一帯は、すでに仔羊を失明させるほど危険になっていたのである。
アンドレーはもう一度、人びとのあいだを走ってまわった。やがて、ふたりの乳呑み児が吐血しているのを知り、ほとんど全員が自分と同じように、肌に刺すような痛みを覚えているのを教えられた時、目の前に暗い世界が横たわっているのを見た。奇蹟でも起こらない限り、絶望的な状態にあるのだ。
出発の時刻が訪れた。決死隊はバスに乗り込み、ほんのわずかの言葉を家族と交すことしか許されなかった。若い妻たちは、窓から突き出された夫の太い腕を握り、子供を抱きあげて父親に頬ずりさせた。これが間違いなく最後だと予感する者たちは、涙を隠そうとしなかった。
「アンドレー、こんなことなら、一番綺麗な服を着てくればよかったね。家にみんな置いてきたのよ。こんな服でお別れするなんて」
「ターニャ、素敵だよ。君は世界一素敵だ」
バスが走り出した。
「アンドレー、元気で帰ってくるんだよ!約束したのだからね!アンドレー、ほら、イネッサの頭をもう一度見て、忘れるんじゃないよ!帰ってきておくれ……帰って……」
ターニャの声は、最後に言葉にならずに消えていった。
イワンは何も言わなかった。ただ、父がバスの窓から顔を出し、「ターニャ、イワン、イネッサ」と、かわるがわる呼ぶ声を、ほかの家族の声からはっきりと聞き分けていた。
バスは、もと来た方向へ走り去って行った。
この群衆のなかにおそろしい悲鳴が聞こえたのは、バスが出発してほんの2.3分あとのことだった。さきほど吐血した生後8ヶ月の女の子が、静かに息を引き取ったのである。


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