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(回答先: 国際金融家とその愚かさとは何か 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 11 月 02 日 00:26:32)
マルハナバチさん、こんばんわ。
まず、「バカではないが、愚か...」と書いたときにイメージしていたのは、論理的思考力は優れているが想像力は欠けているという彼らです。
マルハナバチさんの「何が幻想か、自己に執着深き持続を望んでいながら結果として逆に自らを含んだ悲惨な破滅が訪れうるから。そのゆえに、愚か。」に似たイメージです。
この世界の大枠に強い影響力を及ぼしている上位の人たちとは面識がないので、その実存の相は想像するしかありませんが、「かほどもねじくれた歪みを内蔵して鍛造され、冷ややかに研がれ血塗られた兇刃のごとき人間」とか、「知性の成果は禍々しく世界に発揮させるものとして仕組む者」とか、「対世界、対他人の根本的な姿勢において転倒し倒錯しているゆえに、悲惨な破壊破滅を他者に被らせる」人たちといったイメージは持っていません。
価値観ややってることからそう決め付けてもさほどズレがあるわけではありませんが、そのようなものをもって“彼ら”の実存像としてしまったら、彼らとの決戦には勝利できないと考えています。
ご存知のように、世界史を飾るあまたの革命は、フランス革命やロシア革命に象徴されるように、“冷ややかに研がれ血塗られた兇刃のごとき人間”が“理念や知性の成果を禍々しく世界に発揮させよう”として“悲惨な破壊破滅を他者に被らせた”ものと総括してもそれほどの違和感がないはずです。
近代から遡る中国の易姓革命やイスラム革命そして宗教裁判も事象的には同じです。
日本史の覇権をめぐる戦いにもそのような側面があります。
残る「かほどもねじくれた歪みを内蔵して鍛造」されたという見方は、“彼ら”のみの特権ではなく、ジャコバンやボルシェビキそして毛沢東さらにはムハンマドや正統派キリスト教指導者たちにも適用できるものではないでしょうか。
北一輝や石原莞爾にも見られるものですが、「世界連邦」をつくり恒久平和を確立するという考えがあり、その実現をめざす勢力もあります。
マルクス主義もその一翼を占めていました。「人類皆兄弟、世界は一つ」というスローガンも同じようなものです。
マルクス主義政治勢力の主流が国際連帯や世界平和をめざしているとしてもインターナショナリズムないしコスモポリタニズムを基軸にしていない現在、「世界連邦」運動の担い手は、“彼ら”以外にいません。
“彼ら”が推し進めているグローバリズムや新世界秩序も、めざす内実は違っても構想自体はそれらと違わないものです。
“彼ら”は、自分たちの利益を拡大するためだけにグローバリズムや新世界秩序をお題目として叫んでいるのではなく、その確固たる達成形態をめざして動いています。
“彼ら”は、保守派ではなく、経済権益を重視する現実主義的永続革命家だと思っています。
“悲惨な破壊破滅を他者に被らせる”のは、“理念や知性の成果を禍々しく世界に発揮させる”ための過程的手段でしかなく、グローバリズムや新世界秩序が真に実現されれば世界は一つとなり恒久平和が確立されることになるという理屈は成り立ちます。
これは、世界から圧政と搾取をなくすために世界革命を主張した正統派マルクス主義が、目的のためにあたゆる手段を正当化していたことと変わらないものです。
“彼ら”も、自分たちが理想とする世界像を現実化させたいのです。
そのためなら、多くの国家権力や巨大メディアを動員して、虚偽の情報も流せば、欺瞞も駆使し、殺戮と破壊もいとわないと思っているはずです。
戦争のない統一された世界が生み出されるために...
彼らがめざしている新世界は社会主義的なものになるはずです。
そして、民主主義やリベラルな考えも尊重されるはずです。
風俗産業もあれば、お笑い番組もあり、カジノも解禁されるかもしれません。
地球環境も尊重される政策が採られるでしょう。
その新世界を、“彼ら”の知的執事である寡頭知的エリートが意識されにくい金融システムで支配する、いっそう進んだ支配−被支配関係の世界統一化と言うこともできます。
この新世界は別に目新しいものではなく、国家という枠がさらに政治的境界性を失い、ばらばらになった個人が国家からより空虚な世界になった現在をイメージすれば近いものです。
大規模産業資本が公有化されたとしても、実態はほとんど変わりません。
中堅知的エリートによって今風の手法で経営されます。
公有化とは、“彼ら”の私物化を意味し、産業は、名実ともに“彼ら”の金融利益の手段となります。
人々が、このような世界を理想の実現と受け止めるのか、それとも、どこへも逃げ出すことができない奴隷化の極限と考えるかで、決戦の勝敗が決します。
“彼ら”は、そのような世界を人類が長い歴史を経てつくり上げた偉大な到達点として理想視させるプロパガンダを展開するはずです。
“彼ら”がそれほど強欲でなければ、新世界はそこそこ長続きするかもしれません。
(ありがたいことに、強欲であればあっけなく終焉を迎えます)
ここまでのことを考えているのなら“彼ら”もなかなかだと思いますが、それでも彼らの破滅は避けることができません。
“彼ら”の実存性は知的エリートや革命家のそれとそれほど変わらないのですから、特別視したりおどろおどろしく考える必要はありません。
知的エリートや革命家の心性や支配者意識を鼻でせせら笑える人たちが増えれば、同類の“彼ら”の居場所もなくなります。
神に並ぶほどの知性を持っていると妄想し、神に代わって世界を統御できると思っているようですが、彼らが道具としてしか価値がないと侮っている人たちに“寄生虫”と罵られながら引きずり降ろされることになります。
“彼ら”や新世界秩序について最大限好意的な見方を示してみましたが、実際のところはどう考えているんでしょうね(笑)