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(回答先: ps 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 11 月 03 日 16:50:07)
マルハナバチさん、こんにちわ。
唐突ですが、マルハナバチさんの夢を見ました。
もちろん姿形は出てきません。マルハナバチさんがグノーシス・石原莞爾・北一輝といった現在的テーマとされている?ことでの書き込みを読むという夢です。
書き込みも展開されたものではなく、章立てになっているものでした。
夢の中で、さすがマルハナバチさんらしい鋭い視点だなあと感動していました。
(章立てはもう記憶からクリアされているのでなんだったのかは語れません)
たぶん、マルハナバチさんにレスを書かねばと思っていてからなんでしょう。
マルハナバチさんがわかりやすく解説してくれたのでレスは不用だなと思っています。
他のボードを読まれてご存知だと思いますが、このような場で書く難しさを痛感しています。
マルハナバチさんへのレスも、フェイントをかけた内容だったかなと思っています。
寄生者や悪魔崇拝者と罵ってきた私があのような説明をすると、あれっ、何だと思われるのは不思議ではありませんからね。
狡猾(=知的活動力にすぐれている:知的活動力にすぐれている=狡猾ではない)で、アウトサイダーを道具化したり殺戮することを屁とも思わない“彼ら”に対する強い警句のつもりで書いたものです。
“彼ら”の手段に対しては憎悪を抱いても、“彼ら”の目的(実現内容)は好感を抱くような意識の醸成が行われており、その成果は侮れないと思っています。
民主主義・自由主義・平等主義・ヒューマニズム・環境主義などといった美辞麗句でカバーしようとしている内実を見抜き、“彼ら”が語る美辞麗句が、空虚であるだけではなくアウトサイダーにくびきをかけながらそれを見えにくくする悪辣な仕掛けであることを多数派が理解しなければ、“彼ら”を引きずり降ろすことはできないと考えています。
“彼ら”の価値観そのものを善だ悪だとあまり言う気はありません。
“彼ら”の価値観が現実化されることで私が被る不快が嫌だから、“彼ら”の価値観が現実化されないようあれこれ言い、別の価値観が現実化されたほうが快ではないでしょうという問い掛けを行っています。
その別の価値観も、特別なものではなく“彼ら”でさえ空虚には語っているものです。
“彼ら”が空虚に語り一部の地域(先進国)の人たちには“彼ら”自身のためにおこぼれとして与えてきた「豊かな生活」が打ち切れられる事態を迎えた今こそ、違うシステムを構築すれば新しい「豊かな生活」が実現できるという働きかけが普遍性(“彼ら”を除く、先進国であるか後進国であるかを問わずすべての人たちに)を持つと考えています。
“彼ら”の悪辣で非道な殺戮や破壊を止めることが緊要な課題ですが、それと併行して、“彼ら”の価値観やそれを現実化したシステムを乗り越える営為が求められていると思っています。
いろいろとやり取りをしてきたなかで、論理を交換する難しさをしみじみと感じています。論理と価値観(善悪や美意識なども含む)がない交ぜになっている論にどう向かい合うかという難題です。議論を人格攻撃と受け止められることにも戸惑っています。
(勝手な愚痴ですから、気になさらずに...)
経済論理や物理(自然科学)論理は、ある変数がどう変化すれば全体(対象)がどう変化するということを理詰めで予測し、その妥当性もそれなりに確認することができます。
これは、社会事象にもある程度まで通用するものだと思っています。
それに対して、人はどう生きるべきか、「私」は何者なのか、宇宙(世界)とは?、国家や社会はどうであるべきかなどといったテーマは、説明は可能だとしても、語る人と受け止める人の間の価値観的共振(共感ないし反感)によって理非が決するものです。
この理非は理屈でどうこう言えるものではなく、そのような価値観を現実化(具体化)するレベルになってはじめて、妥当性や合目的性が俎上に乗り議論できると思っています。
国際政治に関する概括的まとめをというご提示に、またまたあらぬ方向の受け答えをしていますが、しばらくは具体的なテーマでの書き込みで推察していただくようお願いします。
疑義や不明の点は、レスをいただけば、できる範囲で対応させていただくつもりです。