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フサム・タマム(Husam Tammam)
『イスラムオンライン』記者
パトリック・アニ(Patrick Haenni)
法経社会資料研究センター
訳・岡林祐子
政治的イスラムの波がエジプトとアラブ世界を席捲したように思われてから30年を経て、新しい形で宗教を活用する流れが起こりつつある。自由主義グローバリゼーションの価値観と矛盾しないような流れだ。女性が被るスカーフには世界の流行が取り入れられ、テレビ宣教師は個人的な成功と「自己の尊重」を礼賛する。しかし、こんなふうにイスラム流に味つけされた自由主義は、地域の国々を引き裂いている社会問題には関知しようとしない。[フランス語版編集部]
エジプトの政治図は、1990年代後半に根本から変化した。ルクソールで多数の観光客を殺害した1997年の派手なテロ事件が、逆説的にも、イスラム主義グループの暴力路線に終止符を打つことになったのだ。「アル・ギール・アル・ガディード」と呼ばれる若い世代のイスラム主義者たちは、自由民主主義の原則へと傾くようになった。アル・ワサト党(中央党)、アル・イスラーハ党(改革党)、アッシャリーア党(イスラム法党)といった宗教政党も、この原則に基づいた綱領を掲げることで、基盤の確立を図っている。
最大のイスラム主義組織ムスリム同胞団は、政府から容認されるとともに抑圧されるという状況の下、かつての敵と手を結ぶようになった。パレスチナ支援キャンペーンでは、民族統一進歩党やナセリスト党の世俗的マルクス主義者と同盟し、アメリカの対イラク軍事介入に対する大規模な反対集会が2003年2月27日にカイロ・スタジアムで開催されたときには、ムバラク大統領与党の国民民主党と接近した。
四半世紀にわたって競い合い、全体としてイスラム化の流れを推進してきた本流的イスラムと政治的イスラムの対立は、こうした一連の展開によって根本から崩れることになった。この「冷戦」の結果、それぞれの中心勢力の信用は失墜した。本流的イスラムの中心であるアズハル大学は、体制に妥協してきたとの批判に晒され、同大のウラマー(イスラム学者)は都市部の若者の間では、「時代遅れで象牙の塔の中で生きている」人々だと見られることが多い。対するムスリム同胞団も、5年間エジプトを苦しめてきた暴力行為との(現実というよりは想像上の)結びつきのせいで、もはや80年代ほどのオーラは持っていない。急進主義グループもまた、政治の舞台から姿を消し、あるいはアイマン・ザワヒリを介してジハード団がウサマ・ビン・ラディンの勢力と結びついたように、ムスリム世界の辺境に身を潜めるようになった。
このような中で、新たなタイプの伝道者が出現した。アメリカのテレビ宣教師にスタイルのよく似た今風の説教師、悔い改めてイスラム教に立ち戻った芸術家、有産階級に広がっている「イスラム・サロン」なる伝統を考え出した自称説教師の有閑婦人、音楽を通じて布教活動を行なうグループ、「独立系」イスラム主義者の知識人などだ。
彼らには、以下の4つの共通点がある。大半が世俗的な教育機関の出身で、宗教知識は独学で身に付けたこと。年若く、また裕福な家庭で育ち、社会にしっかりと溶け込んでいること。イスラムの体系を絶対的な中心とはせず、様々な文化モデルとの混淆を志していること。そして、本流的イスラムとも政治的イスラムとも一線を画すると標榜していることである。
こうした急速な動きが指向しているのは、革命的性格が全くない価値観であり、将来に醒めて今この瞬間を生きる都会の若い職業人(ヤッピー)に特有の価値観であり、個人主義や快楽主義、物質的な充足感や消費活動といったことだ。要するに、一部のイスラム主義勢力の見立てによれば、政治の時代は終わりつつあるのだ。
その意味で象徴的なのは、70年代に「イスラムの目覚め」としてもてはやされたイスラムのスカーフ、ヘジャブの辿った運命だ。もはや当初に見られたような西洋の否認としての意味はなく、イスラム主義ではないイスラムのあり方を簡便に示すような存在となっている。それは、ムスリムらしさという強迫観念がなくなり、グローバリゼーションの現実と結びつき、市場と消費主義によって再編されたイスラムである。
ヘジャブは今でもモスク前の広場で販売されていることもあるが、主として服飾業界が取り扱うようになっている。ヘジャブを被る女性向けのブティックでは、世界の流行をしっかりと取り入れたスカーフを置いている。ブティック名からして、アル・ムハジャバ・ホーム、アッサラーム・ショッピングセンターなどを掲げ、ポスターにはフラッシュだのアムール(愛)だの、英語やフランス語の言葉がおどる。こうしたノリは、イスラム教徒としての心得の中にはなく、慎み深さを重んじる倫理観にもそぐわない。
ブティックに詣でる「ヘジャブを被った自由婦人」は、伝統絶対主義者たちの白髪を増やす種となっている。こうした女性は「パリのブランド名の入ったスカーフを身に付け、子供たちに英語で話しかける」なんてと、ムスリム同胞団の女性活動家からも、すべてを知る「至高の神の眼差し」をむなしく説き続ける説教師からも非難されているのだ。
ヨガ、自然食、足裏マッサージ
「ナシード」と呼ばれる宗教歌も、同じようにグローバリゼーションへの適応という道を辿った。スーフィズム(イスラム神秘主義)から受け継がれたこの古い習慣は、70年代初頭に大学内のイスラム主義グループによって復活した。彼らにインスピレーションを与えたのは、ジハードや殉教、英雄主義を賛美し、政権の専横を糾弾する服役中の活動家たちの手記だった。以後10年ほどの間は、スカーフを被った女子学生が出現した当初と同じように、すべてが政治的な意味を帯びていた。国家批判をメインとした闘争的な歌詞のみで、違法とされる楽器は用いられなかった。その後、1987年の第1次インティファーダの最中にイスラム民族主義を讃える歌謡曲が出てきた影響で、ナシードにもタンバリン、次いでドラム、さらにシンセサイザーの演奏が付くようになった。
80年代末には2つのグループが結成され、新たに生まれつつあった「イスラム式の結婚式」の盛り上げ役として、イスラム主義の人々の間で引っ張りだこになった。ナシードのテーマは、愛や幸福、詩情へいったものに変わってきた。その背景には、あまり闘争的ではない若者世代が出現したことや、結婚式のしきたりが活動家のスローガンには不向きだということもある。
90年代後半ともなると、ナシードのグループはプロ化し、使用楽器の幅も広がった。演奏は有料になり、音楽カセット市場にも進出した。90年代初めには2つしかなかったグループは、10年後には50を数えるまでになった。彼らはジハードを讃えるレパートリーに別れを告げ、宗教メッセージをやわらげて、エジプトのポップスターたちをライバルとして競うようになった。ナシードのグループはポップスターたちと同様、ロマンチックな路線も歌えば、パレスチナやイラクがらみで民族感情を発露するような歌も手がける。アル・ワアド(約束)やアル・ギール(世代)のように宗教色の薄いグループ名も散見されるナシードは、英米のポップス、ジャズやラップのように非アラブ的なリズムと融合しながら生き続けている。
ヘジャブとナシードの2つの例で示されているのは、消費と市場の世界に足を踏み入れ、英米のポップスや国際的なファッションのような非アラブ的モデルとの混淆を志すといった姿勢が、ある種の言外の抗議につながってきたということだ。その対象は、70年代から80年代にヘジャブとナシードの支柱となった厳格主義であり、そして何よりも宗教的な事柄のイデオロギー利用という原理そのものだった。
この急速な動きはただ事ではない。これと同じような経緯を辿ってきたのが、国際金融の流れにますます組み込まれつつあるイスラム経済であり(1)、イスラム主義勢力に後押しされた国家の後退に伴って、新自由主義の枠組みの下に安全ネットとして再考されたイスラム的慈善である。同じ展開が、有産階級の一部の信仰心にも認められる。それは、西洋を席巻し、同じようにしてアジアの精神性を取り入れた宗教的ニューエイジを髣髴とさせる。
マグダ・アーメルは、カイロの有産階級出身の若い女性説教師で、チャクラ(2)、ヨガ、自然食、足裏マッサージに情熱を傾けている。そのイスラムや代替医療についての講義は、彼女が説教壇に立つ富裕な郊外地区ヘリオポリスのアブ・バクル・アッシッディーク・モスクに通う良家の女性たちに人気がある。
「プロテスタント的な倫理」や「自己の尊重」などといった軽めの説教を行なう36才の青年説教師アムル・ハーリドは、こうした新機軸を最もよく体現する人物である。この良家の子息は、4年足らずのうちに、アラブ世界だけでなくフランスの郊外でも最高に人気のある説教師として知られるようになった。彼の成功の秘訣は、都市部の有産階級の現代的な期待にかなった宗教商品を打ち出すことで、政治的イスラムと本流的イスラムの対立の外側に身を置いたことだ。彼は、内面の平和と精神のバランスを強調した社交向きの信仰を打ち出し、儀礼を重んじればそれでいいとして宗教的実践を否認してみせた。つまり、神を罰する存在として見ることを拒絶してみせたのだ。
ハーリド師は伝統的な指導者然とすることを嫌い、あご髭を生やすよりは剃る方を、白いジェラバ(北アフリカの民族衣装)よりは三つ揃いの背広とネクタイを、正則アラビア語よりはエジプト方言を好む。サラフ主義(原点回帰主義)に即した古典的な説教はやめにして、神は愛だと説く。アメリカのテレビ宣教師をまねて、宗教トークショーの形式をアラブ世界に最初に持ち込んだのは彼だった。その後すぐに、ハーリド・アル・ギンディ、アル・ハビーブ・アリー、サフワト・ヘガージなど「新説教師」と呼ばれる宗教指導者たちも、続々とこのスタイルを取り入れた。
『神の恵みを事業のために』
「宗教と人生に折り合いを付ける」というのが、ハーリド師の強調するメッセージだ。戒律の遵守には犠牲が必要というわけではなく「ちょっとした調整」があれば足り、宗教的であることは人生の楽しみをあきらめることではないという。彼はこうした理由から、スタジアムでTシャツ姿で、サッカーのスター選手と並んだ写真を好んで撮らせる。肉体と精神のバランスを体現しているというわけだ。それはジハード、あるいは単に政治性からもかけ離れている。例えば、アズハル大学のある宗教指導者は、彼の説教のことをやや突き放した調子で「ダイエット・ダアワ」、つまり軽めの説教だと言う。ムスリム同胞団の上層部でも、「エアコンの利いたイスラム」と評している。
ハーリド師が思い描いているのは、カイロやアレクサンドリアの今風の若者に道を説くということだけだ。野心、富、成功、勤勉、効率性、自己の尊重など、自由な現代社会の中での自己実現としての価値観に満ちた説教を行なう。そして功徳ある富、慈善行為による救済という道を示してみせる。信奉者の一人は端的にこう説明する。「富は天からの贈り物です。それゆえ、裕福なムスリムは神のお気に召します。なぜなら、彼は持てる富を慈善行為に費やすことになるのですから」
ハーリド師の狙いはまさにそこにある。彼は山場の一つで聴衆に向かって語りかけた。「私はお金持ちになりたいのです。人々が私を見て『ご覧、お金持ちの宗教家がいる』と言い、私の富を通して神を愛するように。お金と最高の衣装を手に入れたいのです。人々が神の宗教を愛してくれるように」と。彼は常に努力を高く評価し、時間を有効に使うよう勧め、無益な余暇、そして惰眠を目の敵にする。
やり手のハーリド師は、「堅実な人生設計のための一番のポイントは、目標を定めることであり、それをどこかに書き留めておくことだ」と考えている。彼はこういった考えの下、「友人を助けるにあたって生産的、慈善行為をなすにあたって生産的、社会を発展させるために生産的」であれと聴衆に呼びかける。そこで、彼は野心というものを高く評価するに至る。「神はその愛の一つの証拠として、あなたを野心的であるように仕向けるのです。社会の中でもっともっと上に進みたい、もっともっと自分を引き上げたいという野心をあなたに与えるのです」
彼自身が成功を果たしたことは間違いない。説教は今や著作権で保護されており、カセットはいくつかの会社が独占的に販売する。サウジアラビアのテレビ局イクラの宗教問題顧問を務め、複数のイスラム銀行からも役員に招かれているらしい。政治色のない説教を通じて市場の価値観を神聖化するこの宗教事業家は、今や売れ筋のメディア商品となった。レバノンのキリスト教活動家によって創設されたテレビ局LBCは、神聖不可侵なる利益を拝むために宗教的信条を躊躇なく犠牲にした。湾岸諸国での視聴率を当て込んで、前回のラマダンの時にハーリド師のトークショー「愛される人々との出会い」を放映したのだ。
この種の布教は、何もエジプト特有の現象ではない。インドネシアには、ジャカルタで最も注目される今風の説教師、アブドラ・ギムナスティアルがいる。彼は説教をするだけでなく、それと関連づけたマネージメントやモチベーションの講義も行なっている。市場の価値観との結びつきの例はまだまだ他にもある。エジプトのイスラム主義系の出版物は、5年前からマネージメント路線を突き進んでいる。かつてムスリム同胞団の一員だったムハンマド・アブデルガワード氏は、『預言者の人生にみる効率的経営の秘訣』といった小冊子をいくつも出して、イスラム的なアレンジを施したマネージメント術を伝授する。モロッコでも同様に『バラカ(神の恵み)を事業のために』活かすことが学べ、湾岸のイスラム主義系の出版社では『成功する人の10の習慣』を教えてくれる。
国立の宗教機関もまた、こうした変化を免れてはいない。今日ワクフ省(3)が提出する改革計画では、決まってモスクの社会的役割や市民社会、自足といったことが強調される。アズハル大学が開いた講演会では、外から招かれた講師が、アメリカ式のマーケティング教育を基準にしてダアワ(布教)のやり方を考え直すべきだと訴えた。
こうした新しい形の宗教指向の確立は、好意的に見てよいのかもしれない。様々な分野の「イスラム回帰」に見え隠れする混淆も、笑い飛ばしてしまってよいのかもしれない。しかしそこに見られるのは、イスラム的なヒューマニズムの高まりというよりも、商魂や新自由主義をイスラム流に味つけしたものでしかない。その背後では、社会的不平等が激化する中で、自由主義グローバリゼーションに立ち向かうことのできる代替モデルの確立が、かつてないほど緊急課題となっている。画一思考のイスラム的な焼き直しに立ち向かう唯一の新しい風は、第三世界主義の立場をとる市民団体アル・ジャヌーブ(南)の例に見られるように、もう一つのグローバリゼーション運動に対する関心がイスラム主義の若い知識人の間で高まっていることだ。この一陣の風だけが、イスラムに立脚しながらも、ムスリムらしさという強迫観念から解放されたユートピアの再構築を予兆しているのかもしれない。
(1) イブラヒム・ワード「イスラム金融の現代的発展」(ル・モンド・ディプロマティーク2001年9月号)参照。
(2) チャクラとはサンスクリット語で「輪」を意味し、東洋医学の考え方では心の平衡と体の健康をつかさどるエネルギーの中心のことである。
(3) ワクフ(寄進財)とは神に捧げられた土地、農地、建物、企業などの財を指す。ムスリム宗教財産を監督する機関の管理下で、この財の生み出す用益権が宗教財団や慈善財団の資金源となる。
(2003年9月号)
All rights reserved, 2003, Le Monde diplomatique + Okabayashi Yuko + Kondo Koichi + Saito Kagumi
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