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(回答先: Re: ヒジャーブとヒマールとジルバーブ 投稿者 アラブ妻 日時 2003 年 9 月 26 日 22:00:46)
アラブ妻さん、ご返答ありがとうございます。
最初にお断りしておきますが、私はイスラーム世界やアラブ世界で文化や風俗として定着しているヒマールやヒジャーブに関して批判をするつもりは全くありません。
>無花果さんが引用された、アン・ヌール(みひかり章)には、「ヒマール」という言>葉が出てきます。無花果さんは、「ホムル」とされています。
二種類の版のクルアーン(もちろんアラビア語)で確認しましたが、私が引用した御光章では複数形のホムル(khumur)が用いられており、単数形のヒマール(khima:r)ではありません。クルアーンは非常に厳密に校正されているので、「ホムル」であると断言してよいかと思います。
私は西欧のオリエンタリストのように、イスラームを歪めたりするような意図は全くありません。むしろ、知性と理性を切り開き、寛容さを広げたイスラームに敬意を表しています。と同時に先の投稿でも述べたように、学術発展の原動力となったイスラームの秘密を知りたいと考えています。
>ヒマールとは、ヒジャーブより規定の厳しいものです。顔以外の頭皮から、お尻の隠>れる丈までのベールのことです。
もしこのような議論がイスラームに基づいて行われるとしたら、イスラーム本来の精神に反すると考えます。このようなことまで細かく規定したがる法学者は完全にタコ壺にはまりこんでしまっていると考えます。ですが、このような議論が衣裳文化や言葉の定義の観点から行われるなら、それは大いに結構なことと考えます。
>他の言語に訳されたものはクルアーンではなく、単なる翻訳としかみなされないの
>は、そういったことがあるからだと思います。
ムスリム学者が言うように、私も他の言語に訳されたクルアーンはクルアーンとは見なしません。これは翻訳者の「クルアーン解釈書」です。翻訳の意味と解釈学に厳密に照らし合わせれば自ずとそうなります。
私はきちんとアラビア語でクルアーンを読めるわけではありませんが、現在いくつかある日本語訳(日本語解釈書)には疑問を感じています。
>現在、イスラームでは、教義の個人解釈は許されていないわけですが、さかんな議論>は何であれ、必要だと思うことがあります。
私の見解では、四大法学派を大きく越えるような新たな法学体系が今後成立しても全く構わないと思います。但し、そのためには膨大な知的努力が必要ですし、多数の法学者の合意を得る必要があります。
法学においてこのような大転換が行われるか、あるいはタコ壺にはまりこんだ法学者の支配が衰退し、初期の躍動的なイスラーム本来の精神が蘇るとき、イスラーム世界の再発展の機会が来るものと考えます。