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(回答先: Re: ヒジャーブ問題とイスラーム世界の停滞 投稿者 無花果 日時 2003 年 9 月 26 日 05:53:51)
アラブ妻と申します。
ヒジャーブ考は、ムスリマのいるところいたるところでなされる話題ですので、ぜひ参加させていただきたく、宜しくお願いいたします。
最初にお断りなのですが、わたしはアラビア語を修めたものでも、クルアーンを研究したものでもありません。
さて、クルアーンには確かに「ヒジャーブ」という言葉はないと思います。
みつけたことがありませんし、聞いたこともないです。
ですが、無花果さんが引用された、アン・ヌール(みひかり章)には、「ヒマール」という言葉が出てきます。
無花果さんは、「ホムル」とされています。
ヒマールとは、ヒジャーブより規定の厳しいものです。
顔以外の頭皮から、お尻の隠れる丈までのベールのことです。
よって、アラブではヒジャーブとともに、このヒマールを身につける女性は多いのです。
また、33、アル・アハザーブ(部族連合章)59節には、
「預言者よ、あなたの妻、娘たちまた信者の女たちにも、かの女らに長衣を纒うよう告げなさい。それで認められ易く、悩まされなくて済むであろう。アッラーは寛容にして慈悲深くあられる。 」
とあります。
この「長衣」というのが、日本語では非常に足りないものかと思います。
アラビア語で「ジルバーブ」ですが、ジルバーブとは通常、長袖で丈はくるぶしほどまであり、決して体の線がでるものではなく、裾の広がったものを指していると思います。
よって、この部分により、女性のズボンの着用は禁止されていると、エジプトでは言われています。
(着用している人は多いですけれど・・・)
私は当初、この「長衣」という言葉を、長袖のブラウスと解釈しており、カイロで間違いを指摘されたことがあります。
日本語に限らないと思うのですが、クルアーンの翻訳は非常に危ういものかもしれません。
日訳クルアーンを読む主人が時折首を傾げることは、多いです。
ご存知とは思いますが、他の言語に訳されたものはクルアーンではなく、単なる翻訳としかみなされないのは、
そういったことがあるからだと思います。
また、はまちさんが、夫に強要されてヒジャーブする女性のことに言及されていますが、
確かにそういった女性もいることでしょう。
しかし、「ほとんど」というのは間違いかと存じます。
上記のことを私に指摘したのはすべて女性たちであり、夫はもちろんのこと男性に指摘されたことはありません。
また、少なくとも私の周りのエジプト女性たちは、夫に強要されてはいません。
みな大卒であり、クルアーンをすぐさま引用できる女性たちです。
通常いかなる宗教上の強制もイスラムでは禁じられていると、教養のある女性は知っていますので、
そのような夫に盲従する女性がいるとすれば、それはイスラムを学問として学ぶ機会の無かった女性ではないかと思います。
また逆に、イスラムをたてに、夫に禁煙させた女性さえいます(これが正しいかはさておき)。
あるいは、ヒジャーブというのは一種のあこがれであり、ムスリマとしてヒジャーブできるほどの段階ではないから
(恐れ多い)といって、髪を出しながら、大学で教鞭をとっている女性もいます。
彼女が他の人に(特に男性に)、ヒジャーブのことをどう答えているかはわかりませんが、
女性のみの気楽な会合では本音がでます。
私の友人たちは、夫を立てるために、外面は夫に従うという女性は多いですが、
家庭内では決してそうではない場合が多いようにかんじます。
私が時折疑問に思うのは、イスラーム法学という学問体系です。
イスラーム法学が確立されたのは、預言者ムハンマドの死後の8世紀以後のことであります。
クルアーンにはない細かな規則をもうけるため、ハディース(預言者の慣例)が集められ、
その伝承者経路により、サヒーフ(真正な)、ハサン(妥協な)、ダイーフ(薄弱な)と3段階にわけられています。
通常、サヒーフなハディースだけが尊ばれていると理解しております。
現在、イスラームでは、教義の個人解釈は許されていないわけですが、
さかんな議論は何であれ、必要だと思うことがあります。
「後世に現われる法学者は、私の知の遺産である」と預言者がおっしゃったというハサンなハディースもあるとのことで、
(未確認です)、法学者は尊重されていますし、責任の重い仕事かと思います。
ですけれどもこれは、ある意味危険なことであり、法学者が間違ってしまえば、みな間違う・・・ということを当然引き起こします。
以前、インドネシアのアチェ取材のドキュメンタリーを見ていて、そのウラマー(法学者)のいっていたことに
疑問を感じたことがあるのです。
また、私の周りのボーンムスリム(男性も女性も)には、ユダヤ教やキリスト教の轍を踏みたくないという思いがあり、
(いわく、それらの宗教は人間の手により改ざんされてきた)
なかなか、議論が、盛り上がらない部分もあると思います。
ある面では驚くほどの寛容をみせるイスラームですが、イスラームの停滞には、いろんな要素があるように感じます。
ではまた。