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(回答先: Re: タコ壺にはまりこんだ法学者が問題 投稿者 無花果 日時 2003 年 9 月 27 日 03:04:35)
無花果さん、こんばんは。
いつもご意見拝見しております。
>最初にお断りしておきますが、私はイスラーム世界やアラブ世界で文化や風俗として定着しているヒマールやヒジャーブに関して批判をするつもりは全くありません。
わかっています。批判されていると感じたわけではありません。
言葉が足らず、申し訳ございませんでした。
>二種類の版のクルアーン(もちろんアラビア語)で確認しましたが、私が引用した御光章では複数形のホムル(khumur)が用いられており、単数形のヒマール(khima:r)ではありません。
ごめんなさい。これも言葉が足りませんでした。
非アラビア語圏のムスリマたちは、「ヒマール」の定義を理解していますが、「ホムル」といわれるとわからないかと思います。日本でもムスリマの中では「ヒマール」の定義は一致していると思います。よって、ヒマールと記載しました。
複数形でも単数形でも意味は同じですよね。
>>ヒマールとは、ヒジャーブより規定の厳しいものです。顔以外の頭皮から、お尻の隠
>>れる丈までのベールのことです。
>もしこのような議論がイスラームに基づいて行われるとしたら、イスラーム本来の精神に
>反すると考えます。
そうなのでしょうか。私にはこの点がよくわかりません。
ヒマールはイスラーム以前からアラビアにあったものですよね?
法学者が規定したとは思っていないのですが・・・・。
ですが、確かに、こういった言葉の定義の議論そのものが、行われる様子はまるでありませんね。思考停止といったかんじがします。
また預言者が女性の服装について指摘したハディースの存在も大きいのだと思います。
>現在いくつかある日本語訳(日本語解釈書)には疑問を感じています。
同感です。
クルアーンではないのですが、以前、エジプトのモスクでフトバ(説教)をきいておりましたとき、これを日本語には訳せないだろうなと感じました。
形容詞の上に形容詞が次々とかぶさり、同じことをいろんな言葉で強調していました。
日本語にすると意味不明になってしまいます。
(同じことを指摘している人が他にもいます)
民族性としての喜怒哀楽の激しさというのは、言語に由来したりするのでしょうか。
>私の見解では、四大法学派を大きく越えるような新たな法学体系が今後成立しても全く構
>わないと思います。但し、そのためには膨大な知的努力が必要ですし、多数の法学者の合
>意を得る必要があります。
イスラーム法学が成立したとき、預言者はすでに没していました。
にもかかわらず、この四大法学からそれる解釈は許されていないというのは・・・??
この点で、無花果さんと同じように感じています。
それでは。