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(回答先: 記憶に頼りますが... 投稿者 あっしら 日時 2003 年 9 月 25 日 17:29:50)
「あなたの美しいところを見せないように コーラン24章31節」[アサヒ・コム]
はまちさん、あっしらさん、こんばんは。お役に立てて光栄です。『イスラームのロジッ
ク』は終りの部分だけ軽く目を通したに過ぎないのですが、哲学者の永井均氏の『子供の
ための哲学入門』?が出てきて驚いた記憶があります。はまちさんのリセの話も驚きでし
た。偶々購入していた朝日新聞9月19日9面には、仏北部のリールで本土初のイスラム教系
高校(スカーフ姿で授業が受けられる)となる「アベロエス」校の記事があり、政教分離
は選択の自由でもある事を根拠に、ハイジャブ=スカーフについて寛容になりつつあると
思っていたからです(ネットで発見できず)。いろいろ複雑ですね・・・。
ところで、あっしらさんのお答えに関連する記事をアサヒ・コムで拾ってみました。
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あなたの美しいところを見せないように
コーラン24章31節
●砂漠で知るベールの秘密
ズワイドさん一家の砂漠のピクニック。5歳の末娘もベールをまとう=ワディ・ラムで、仙波理撮影
赤茶色の風景が果てしなく続く。砂。岩山。そして灼熱(しゃくねつ)の太陽。オアシスの村が点在するヨルダン南部のワディ・ラムは、映画「アラビアのロレンス」の舞台にもなった広大な砂漠地帯だ。
岩陰から、ひょいと2頭のラクダが首を出した。一緒にいた男性が手を振った。「砂漠ではラクダが一番便利だ。力持ちだから荷物をたくさん積めるし、のどがかわいたら乳が飲める」
砂漠の遊牧民族ベドウィン。そのひとつズワイド族の集落で、アブドゥル・カリム・ズワイドさん(41)一家を訪ねたのは隣国イラクで戦争が始まる直前だった。妻タマムさん(34)と娘3人、息子3人。ヤギの毛で織ったテントでもてなしてくれた。
2人は17年前に結婚した。ベドウィン流の結婚式は夜を徹して2日間続いた。羊の皮を張った一弦の楽器「ラババ」を演奏し、羊料理のごちそうを食べ続ける。
衣装は新郎が白い服にラクダの足かせとして使う黒い輪を乗せたスカーフ。新婦は顔まで覆う黒いベールに黒い長服姿。黒は「新婦の謙虚さを示す」という。
厳格にベールで顔を隠したアンマンの女性
「ベドウィン女性にとって最も大切なのは客を上手にもてなすこと。イスラム教徒なので男性客の前では必ずベールをかぶる」とタマムさんは言う。末っ子のガーダちゃん(5)も、すました顔で黒いベールをかぶった。兄姉たちから「お前にはまだ早いよ」とからかわれている。
イスラム女性の代名詞のようにもなっている「ベール」。その意味を知ったのはこの少し前、別の街にあるベドウィンの部族長の家に招かれた時のことだ。女性専用の部屋では妻も娘2人も髪を出して軽装だったのに、記念撮影しようとすると「ちょっと待って」と言う。2〜3分後、ベールで髪を覆い、長い服を着た3人が現れた。
あまりの変身ぶりに驚いていると、妻が説明した。
「写真撮影のときは正しく装わなければいけない。女性は美しい部分を隠すようにと、コーランに書いてあるのよ」
美しい部分を隠す? 初めて聞く言葉だ。化粧品があふれプチ整形ばやりの日本から来た身には、とても新鮮に聞こえた。
夜、砂漠に張ったテントで寝た。月と星が透けて見える。毛布で覆った体は暖かいが、外に出した顔は凍るように冷たい。
ワディ・ラムを離れる日は、ズワイドさん一家から砂漠のピクニックに誘われた。夜とはうって変わって、強烈な暑さ。ただ乾燥しているのでテントの中はひんやりする。火が中心にあり、コーヒーが入ったポットがかけられていた。羊料理で満腹になると、ズワイドさんの友人が奏でるもの悲しいラババと歌声が、砂漠に響いた。
「私の恋人よ/あなたのことを愛している/羊を追いかけるのと同じくらい/あなたを愛している」
平和を絵に描いたような時間だった。
●時が変える女の美
ジャザー・ズワイドさんの義娘と孫
女性はベールをかぶるべきなのか。イスラム世界では長い間、議論が続いている。
例えば、エジプトでは50〜60年代の故ナセル大統領時代に宗教色が薄いアラブ社会主義が広まり、ベールをかぶらない女性が増えた。今も、「ベールを取ることが女性解放の道」との声がある。その一方で、70年代以降はイスラム復興運動が広がり、ベールを着ける女性が増える傾向もある。
●顔隠して思わぬ効用
礼拝後の買い物客でごったがえすカイロのハンハリーリ市場。アクセサリーや香水の専門店と並んで女性客に人気なのは、イスラム教徒用の婦人服を売る洋品店だ。くるぶしまでとどくロングコートのような服がずらりと並ぶ。
中に「ベール・コーナー」があった。模様入りのスカーフ、丸い布の真ん中をくりぬいたようなもの、耳にかけて目から下を覆うタイプなど、さまざまな種類のベールが売られている。年ごろの娘を連れた母親や、若い女性どうしの客が目立つ。スカーフ姿でもつめは赤いマニキュア、ばっちりアイメークに口紅、という女性もいる。
店員によると、人気がある色は白と黒、ほかに黄、緑、ベージュ。材質は化繊からシルクの高級品まで多彩だが、売れ筋は「10〜20エジプトポンド(約200〜400円)くらいの胸まで覆うタイプ」だという。
ベール派の女性が、一様に漏らす不満がある。「西欧社会はイスラム世界に対して誤った認識を持っている」ことだ。特に女性に関しての偏見が強く、ベールをかぶっているだけで「イスラム過激派」と見られるのは耐えられない、と話す人もいた。
エジプトの政治社会学者ヘバ・ラオーフさんはベールをかぶり、「女性の尊厳と男女平等はイスラムの教えの一つ」と訴えている。「女性はベールをかぶって夫の言うなり、という西欧社会のイメージは大きな間違い。イスラム女性は自分の意見を持ち、イラク戦争にも反対した。その声が届かないのはアラブ指導者たちの独裁主義や腐敗など、政治的な問題なのです」
ワディ・ラムのおばあさん
イラク開戦後、カイロやアンマンなどで開かれる反米集会の中心になったのはイスラム勢力だ。抗議デモではベールをかぶった女性が集まり、叫ぶ姿が目立つ。
カイロにあるイスラム教スンニ派の最高権威、アズハル・モスク。床一面に赤じゅうたんが敷き詰められた壮大な礼拝所の金曜礼拝には5千人以上が集まり、男女別の場所で祈りをささげる。このモスク近くで開かれた集会に参加した女子学生(21)は、01年の「9・11」からベールをかぶるようになった。自分が属するイスラム世界を知ろうと、真剣にコーランを読み始めたのがきっかけだったという。
ベールをかぶり始めてから、思わぬ「効果」に気がついた。道を歩いていても、男性からじろじろ見られない。「すごく落ち着くの。髪と胸を覆うことがこれほど快感だとは思わなかった。隠さないと無意識で見てしまうんだな、コーランの言う通りやっぱり人間は弱い存在なんだと思った」と笑った。
ベールをかぶることで逆に、不都合はあるのだろうか。「高等教育を受けた女性だと見られないことかな。インテリはかぶらないと信じている人も多いから。でも最近は若者も増えている。世界が不安定なので、みんな心のよりどころを求めているのでは」
●入れ墨し、いまは後悔
時代とともに、「美しさ」についての考え方も変化する。ヨルダンで「ワディ・ラム一の美女」と評判だったというベドウィンのジャザー・ズワイドさん(64)は若いころ、旅芸人から「もっと美しくなれる」と勧められてあごに入れ墨をした。年配のベドウィン女性には、あごやほおなどに入れ墨している人が多い。
子ども6人と孫9人に囲まれて暮らす。「髪はベールで覆うから、出ている部分に飾りを入れたかった。昔はそれが美人の必要条件みたいなものだったけれど、イスラム教徒としてやるべきではなかった。飾った美しい顔は、夫だけに見せるべきなのよ。他人にさらすものじゃない」
ワディ・ラムには定住組のベドウィンが多い。20年ほど前にやはり定住ベドウィンとなったジャザーさん一家の居間には、衛星放送も映るテレビがある。「都会ではベールで髪を覆わない女性が多いらしいわね。化粧を塗りたくって外を歩き、へそまで出している女性がいるそうじゃないの」。元ワディ・ラム一の美女はそう嘆いた。
外報部・郷富佐子
http://www.be.asahi.com/20030531/W21/0001.html
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<出典>
イスラム教の聖典であるコーランには、女性のベール着用を義務とする論者が必ず根拠に挙げる一節がある。「女性の信者に言ってあげなさい。視線を下げ、慎み深くしなさい。外から見える部分を除き、あなたの美しいところを見せないように。胸はベールで覆うようにと」(24章31節)
見せてもいい男性についての定義もある。夫、父、義父、息子、兄弟、きょうだいの息子などだ。――人間は弱い存在だ。だから、その弱さを触発するようなことをしてはいけないという基本理念に基づく。女の美しさは、男を誘惑し悪い行いをさせかねないというわけだ。イスラム教徒向けのある読本は、こう記している。「ベールは、女性を邪悪な者と社会の腐敗からも守る。覆うことでその女性は謙虚で堕落しておらず、だれにも試されない構えなのだというメッセージを送ることになる」
ベールをかぶり始める年齢は10代前半が普通。ただ、肝心の「美しいところ」についてコーランは具体的には示していない。「髪だけ派」から手や顔まで覆う「全身派」まで議論が割れているのはこのためだ。
コーランはイスラム社会では生活の一部。中東で行われる反米デモでは必ず参加者が豆本を掲げる。
http://www.be.asahi.com/20030531/W21/0002.html
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