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(回答先: 「太平洋戦争」はローレベルの合作で十分だったと思っています 投稿者 あっしら 日時 2003 年 8 月 17 日 03:58:27)
以下の投稿に対して、とりあえず簡単にレスさせて頂きます。
「太平洋戦争」はローレベルの合作で十分だったと思っています
http://www.asyura.com/0306/idletalk2/msg/952.html
投稿者 あっしら
(「第一次近代世界再編」は、民族共同体的価値観を基礎として台頭してきた近代産業主義国家の拡張や覇権の芽を潰し、経済的には対抗が難しい産業強国を国際金融家が与える価値観及びシステムに丸ごと取り組むというものです。)
特に疑問はありません。
(10年後に起きた9・11よりも、ソ連東欧圏の解体のほうが、「第二次世界変革」(最終決戦)の始まりにふさわしい出来事だと思っています)
その通りだと思います。
(最高権力者である天皇に“不作為”をなさしめた可能性があるのは、穏健派で天皇に立憲君主を説いていた西園寺公望ですね。
疑うと、昭和天皇自身や満州領有を企てた石原莞爾までがその対象となり際限がなくなります。ほとんどは、「太平洋戦争」そのものではなく、もっと大枠の「近代」への協力者だったと考えるにとどめたほうがいいと思っています。)
石原は合作という点ではシロと確信しています(思想的誤りは別問題です)。
(民主政体のなかでナチスが政権を掌握すること自体が難題です。国民がヒトラーに傾倒するよう国民生活を向上させ、戦って勝てると信じられるほどの軍備を整えさせる必要もあります。そして、何よりも、勝利しながら、肝心なところで怪しまれずに将来の敗北につながる政策や作戦を遂行できなければ意味がありません。潰すために育てた国家が合作から離れればとんでもないことになります。そうまでしてドイツに戦争を仕掛けさせ敗北させたかったのは、民族共同体的価値観を基礎として産業力及び軍事力を高めたドイツが自主的に出現することを容認できなかったからです。反国際金融資本的価値観を打ち出した国家に産業力で勝てずその隆盛を許すことになれば、貨幣的富(紙幣ではなくゴールド)が奪われるだけではなく、英米でも存続基盤を失う結果にもなりかねません。同程度の技術力でかつ国際取引が同等に開放されているのなら、“個人主義国家”は、産業力競争で“全体主義国家”に勝つことはできません)
なぜヒトラーはゴールドの英米への輸送を許可したのか?
なぜヒトラーはオーストリアやチェコで我慢しなかったのか?
なぜ英国−ソビエトの二正面作戦をとる必要があったのか?
ヒトラーは、「あいつから指令を受けて」ポーランド侵攻を始めました。
私はオカルトではないと考えています。
(日本に対米戦を唆す段階では、ナチス・ドイツのポーランド侵攻を超えた戦意が日本にみなぎっていました。
北支事変以降の中国での戦線拡大は、陸軍主導というより、海軍(上海事変)や近衛内閣そしてジャーナリズムの強硬論に押されたものです。南京陥落などの軍事的成果が政府や国民の対中国政策を強気にさせました)
戦後、陸軍が悪いということになっていることに不思議を感じています。
陸軍の味方をする気はありません。
しかし、海軍−ジャーナリズムのラインが戦線拡大にむしろ大きく寄与していたのは明らかです。
別投稿で指摘した笹川良一−児玉機関も、海軍の意思を受けて世論工作と中国での物資略奪に従事していたのです。
(ハル・ノートの内容は受け入れられない(経済制裁解除はない)という判断と米国に戦争を仕掛けるという判断に、論理的なつながりはまったくないのです。
対米(英蘭)戦を決意・準備しつつ「自存自衛」行動を続け、それを理由に米国が戦争を仕掛けてくるのなら受けて立つというのが理に叶った判断です。
文句を言われる側だった日本は、自分のほうから対米交渉を決裂させる必要はなく、いくらでも引き延ばすことができる立場だったのです。)
やはりジャーナリズム(そして背後にいた海軍)の誤誘導が大きかった。
新聞は多数の国民に理性的な判断を提供していなかったと思われます。
それどころか、山本五十六をヒーローとして持ち上げたのは新聞。
(三国同盟は、米国連邦議会が対日宣戦布告を議論するとき、太平洋戦争と欧州戦争の同時戦争に踏み切る覚悟を求めることになるので、それなりの対日戦抑制効果を持っていました。(一般的評価は三国同盟が日米戦を不可避にしたというものです)
支配層内でも対立があった日独伊三国同盟を締結していながら、それが支えにならず、日本が単独で米国と戦うことを覚悟しなければならない対米先制攻撃を仕掛けたのですから、当時の日本支配層はまったくもって支離滅裂だったと言えます。 )
鋭いですね。 その通りですね。
米国民はドイツと戦争する気はなかったことは良く知られています。
ましてアジアなんかどうだっていい。
日本から手を出さなければ、米国から日本に手を出す(=ドイツに手を出すことになる)ことはおそらく無理でした。
チャーチルの第二次世界大戦回顧録によると、真珠湾攻撃がチャーチルにとって天の助けだったことがはっきりと分かります。
とてつもない戦略的失敗。
(満州の産業力強化を考えれば、対米戦は、決意しながらも、回避もしくはできるだけ引き延ばすことが得策でした)
もちろん当時の満州のGNP増大から考えれば、南方資源を確保して少なくとも数年待つべきというのが理性的判断です。
満州の経済発展はすさまじいものでした。
(対米戦は海軍が主体となる戦争ですから、陸軍は、米国の要求に従うかたちで中国から撤兵するわけにはいかないが対米戦についてどうこう言う立場にはない、海軍が戦うというのなら我々もやるという身構えです。
陸軍上層部に協力者がいたとしても、“不作為”の範囲でしか動けません。
統帥権の独立を基礎に、さらに陸軍参謀本部と海軍軍令部までがそれぞれ“独立”していました。経済制裁の引き金になった南部仏印進駐も海軍の要求に従ったものです)
いくつものラインが独立錯綜し、最終的に昭和天皇に集中する構造だったみたいですね。
(太平洋戦争は、大陸で戦線を拡大していた日本の政治状況に照らせば、ハイレベルの合作がなくとも、海軍の米内光政+山本五十六(米内がいなければ山本の地位はなかった。御前会議で真珠湾攻撃を代弁主張した永野修身軍令部総長は無能なだけの可能性も)と駐米外交官だけでも、あのような推移になった可能性が高いと思われます。)
十分「ハイレベル」という言い方でいいかと思っていたのですが。
私も同じことを感じていました。
あっしらさんと意見が一致するとロクなことがない。 不気味な感じがします。
永野については良く分かりません。
御前会議前にだいたい天皇の意思は決まっていたんでしょう。 山本−昭和天皇ラインでね。
山本は、おそらく米軍に最初に打撃を与え、太平洋の制海権を確保し、早期に講和に持ち込むというストーリーで昭和天皇を説得したんでしょう。
なんで海軍=反戦みたいなイメージがまかり通っているのか理解できません。
海軍は好戦的かつ不合理極まりない。
おそらく米国占領軍の意向を受けてのことなんでしょうね。
それと、敗戦時に昭和天皇の立場を死守しようと考えた人々が、陸軍に主として汚名を押しつけ、昭和天皇を捺印機であったと主張したことが原因かな。
それに、天皇制を死守したかった陸軍高官と東条が協力して乗っかったというストーリーが見えてきます。
戦後、児玉が巣鴨プリズンで東条に対して「汚名をひっかぶって天皇をお守りするように」と説得したんだそうです。児玉は海軍の犬でした。
そのためにわざわざ巣鴨プリズンに入ったんだという噂です。
(「真珠湾奇襲攻撃」が巡洋艦や駆逐艦が数隻程度の戦果で、航空部隊や艦船に大きな損害が出ていれば、発案者であり連合艦隊司令長官である山本五十六の責任が問われ、無謀で無意味なミッドウェー海戦や南太平洋への進出もなかったはずです。
真珠湾で戦艦4隻をはじめとしたそれなりに華々しい戦果を上げさせることは、合作の順調な進行にとって必要不可欠な“作戦”だったのです。(日本の動きが秘匿されることで一方的な攻撃にさらされた米軍兵士は、9・11と同じように生け贄として捧げられたのです。犠牲者の数も2800名ほどと近似しています))
真珠湾には老朽艦船しか係留されていませんでした。
新鋭艦船は真珠湾から外洋に出航しており、確か南雲中将がその追撃を山本に具申したが、山本が却下したと聞いています。
米軍の被害が戦略的に致命傷とならない程度にとどめた疑いを持っています。
(山本五十六は、わずか半年後にミッドウェー海戦を強行することで合作シナリオを進行させることで、真珠湾の戦果を帳消しにするだけではなく、はるかに上回る戦果を米国に献上しています。)
(ミッドウェー海戦も、真珠湾攻撃と同じように軍令部は反対しましたが、真珠湾攻撃の武勲で威光輝く山本五十六の強引な主張に押し切られました。山本が軍令部の反対を押し切って敢行した「真珠湾攻撃」と「ミッドウェー海戦」が日本帝国の命運を決定づけました。)
昔戦史を読んだとき、一貫して、海軍軍令部が山本の作戦に反対し続けたことに興味を感じていました。
それに比べて山本の馬鹿なこと。
しかし、マスコミは一貫して山本を支持し、称賛し続けましたね。
国民も山本を称賛し、最後まで頼りにしていたようです。
何でだろう?
いいにくいことですが、大日本帝国国民に「死相」を感じたのは、まさにこの点なんです。
今の日本国民にも似たような「死相」が見えます。
馬鹿を称賛するマスコミと民衆−そこに死相が見える。
(日独伊三国同盟の推進者のなかに協力者がいたかどうかや、昭和20年8月まで戦争が延びた、もしくは、昭和20年8月で降伏した要因に「合作」があったかどうかは検討課題だと思っています。)
外務省は、真珠湾攻撃「宣戦布告」時に致命的失敗をした人間を、戦後トップにしてしまいました。
この点から協力者がいたというのはあり得る話ですが、まだ具体的には分かりません。