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(回答先: 簡単なレスです 投稿者 あっしら 日時 2003 年 8 月 21 日 00:10:31)
1項目レスを忘れていました。
あっしら:(ドイツにとって、オーストリアやチェコそしてポーランド、アルザスロレーヌの領有(一体化)は、日本の満州領有とちがって、民族主義的価値観以外にメリットがそれほどありません。
経済的権益を考えるのなら、植民地解放(門戸開放)という「世界秩序」の再編こそ目的としなければならないのに、そのような動きはほとんどみられません。)
>私には不可解な動きです。 国が拡張して通貨圏を一体化すると、一人当たり総生産
>も生活水準も低下するはずです。
すみちゃんのお考えは、帝国主義的対外利益追求政策や成熟段階の国民経済には通用性があると思います。
しかし、勃興期や成長期の国民経済では、販売の量的拡大を支えにした生産性の上昇が輸出競争力の強化や国民の購買力増大を実現します。
(極端に言えば、失業なしのデフレ状況でも、実質購買力の上昇をつうじて生活水準をアップさせることはできます)
簡単な例ですが、家族のためにチョコレートをつくるために自動化装置を採用すれば、それで家計が破綻してしまいますが、数千万人をターゲットにチョコレートをつくるときは、自動化装置を採用した企業が手作り企業を圧倒します。
大きな市場に対して生産を集約することが生産性上昇を実現する基礎です。
非関税・投資規制・貿易決済(金流出)などをなくせる国家的統合がそのような条件を用意するからこそ、地域共同体を壊す「近代国家」が生まれました。
戦前のドイツであれば、「大ドイツ」の実現は、実質ベースで一人当たりGDPや生活水準を引き上げる貢献を果たすはずです。
(植民地の拡大も、“強欲”を排除すれば、植民地国民を含め経済的な水準の上昇が可能です。政治的価値判断は抜きで...)
もちろん、国際市場が閉ざされていれば早晩、生産性の上昇による財供給量の拡大が資本主義的成長の桎梏に転化するので、国家事業の拡大で財が思うように購入できない層にお金を回す政策を拡大していく必要があります。
それでも財が供給過剰であれば、近代経済システムは存続意義を失います。
国際市場は都合主義的にさらに開かれようとしていますが、世界は元々閉じたものです。
近代経済システムは、数百年かけて対外利益を追求することで、世界が閉じたものだということを検証しているようなものです。
“国際市場が閉ざされていれば早晩”という上述部分は、政策ではなく、論理として現実化しているのです。