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(回答先: Re:戦争と差別強化の世界へ向かうか 投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 8 月 20 日 15:32:38)
すみちゃん、回答ありがとう。
>「人種差別をどうにかしなければならなかった」に賛成します。
この言葉を聞けて、素直に嬉しく思うよ。
とりあえず、今後は離れて見させてもらおう。
以下は俺の率直な想いだ。(適当に聞き流しておいてくれ。)
俺は、「『日本』がどうにかしなければならなかった」と考えている。
「人種差別(人間の家畜化)など、どうでもいい」と思ってるならば理解できないのも無理じゃないが、もしそれを「止めさせなければならなかった」と考えているなら、「近代日本」の“底流”に「人種平等」への希求が確かに存在していたことを感じられるハズだ。
それは必ずしも表面に出てくるようなものではなかった。
時折姿を見せることもあったが、大抵は静かに沈潜し続けていた。
しかし、確かに存在していた。
それこそが、「ローレベルの合作」で済んだ本当の理由だ。
「日本」は、ずっと“戦いたがっていた”。
『奴ら』は、それをほんの少し押してやるだけで良かったんだ。
それが、『奴ら』自身の「恐怖の始まり」だということにすら気付かず。
「予定調和」の中にあったのは『奴ら』だ。
「陰謀」は、「神々の方便」に過ぎない。
“逡巡”し続ける「日本」に“決断”させるために「あえて見過ごされた」闇の中の蠢動。
「日本」は“戦いたかった”が、同時に“戦いたくなかった”。
“星生み”の「重責」を背負いたくはなかったんだ。
誰にも邪魔されずに、独り静かに安穏と暮らしていたかった。
だが、とても深いところを苛み続ける「責任感」。
「彼女」には決めることが出来なかった。
あまりにも、“重過ぎた”。
背負いきれなかったんだ。
躊躇。葛藤。逡巡。
そして差し出された「陰謀」という“手”に背中を押してもらうカタチで、ようやく「彼女」は決心できた。
「か弱い少女」が途方も無い苦しみの中で、遂に「自分」で決められなかったトラウマが今も残っている。
誰が責めるものでもない。
「自責の念」。
逃げてしまった、という癒されぬ「過去」。
「自分」で決められなかったために、「本土決戦」に続く「日本絶滅戦争」は受け入れることが出来なかった。
それゆえ、「大東亜戦争」は「未完成」のまま「終結」した。
その壮大な“中途半端”が、美しい。
だがそれは、“救われない美しさ”だ。
俺はそれに取り憑かれ、なおさらなる“美しさ”を求めてしまう。
「日本」が“救われる”には、今度こそ「自分」で“決断”しなければならない。
いつまでも迷い、躊躇いながら流されて続けても、何も変わらない。
「決着」が必要だ。
全てにケリを付けるしかない。
「この星」を“生む”。
どんなに重くても、今度こそ、その「責任」を背負う。
誤魔化しても無駄だ。
それは、「日本」にしか出来ない。