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(回答先: 皆さん、心配をおかけしてすいませんでした。 投稿者 エンセン 日時 2003 年 8 月 11 日 01:19:57)
これは以前に「軍産複合体」について何処かから拾ってきていたものです。
アメリカ社会に根を下ろす血に飢えた化け物
「軍産複合体」
● 陸・海・空・海兵隊・予備を含めて350万人の人間を擁し、あらゆる近代兵器を持ったアメリカ軍部は、そのメカニズムと力において他に類を見ない組織である。しかもその軍は、2万以上の企業と組んで、巨大な「軍産複合体(ミリタリー・インダストリアル・コンプレックス)」を形成している。
● 軍産複合体の根幹を成しているのが「ウォー・エコノミー(戦争経済)」である。そもそも軍産複合体は第二次世界大戦と、それに勝つために必要であった複雑な兵器とともに起こったものであった。「軍事省」や「戦時生産局」は、航空機・大砲・戦車などを作り出すためには産業に頼らざるをえなかった。
電子工学や原子力が兵器となるとともに、頭脳力を供給するために大学が選ばれた。大学は、戦争に勝ち、民主主義を救うための必要な協力者であった。
● そして第2次大戦が終結すると、今度はソ連を相手にした兵器近代化競争に打ち勝つため、アメリカ政府は膨大な補助金を大学の研究室に注ぎ込み、優秀な頭脳を結集して新しい武器の開発を求めてきた。そこで得た研究成果は、「ダウケミカル社」「デュポン社」「ロッキード社」「ダグラス社」などに下ろされ、これら軍需産業が大量に生産。大学の研究室と産業と政府ががっちり手を結び、冷戦という獲物を手にして巨大な怪物へと成長した。
● この「軍産複合体」の中核に位置するのが、ペンタゴンとCIAである。1947年に「国家安全法」に基づいて、それまで独立機関であったアメリカ4軍を一元的にコントロールするために設けられたのが「国防総省(ペンタゴン)」で、更に同じ「国家安全法」に基づいて作られたのが「中央情報局(CIA)」であった。
このペンタゴンとCIAの誕生により、軍産複合体は一つのガッチリした"中央集権的組織"となって、アメリカに根を下ろしたと言えよう。
●軍産複合体は年々肥大化し、ペンタゴンから発せられる莫大な「軍需注文」は、2万2000社もある「プライム・コントラクター(ペンタゴンと直接契約する会社)」と呼ばれる巨大な航空機メーカーやエレクトロニクス企業に一括して流されている。
更に、その周辺に彼らの下請け・孫請け会社1万2000社、彼らの金融面を司る多国籍銀行団、スタンフォードやハーバードなどの大学研究室が70以上、ランド研究所、フーバー研究所などペンタゴンと契約している「シンク・タンク」が16・・・などといったように、何百何千万人もの労働者や科学者、研究家、政治家、退役軍人、ロビイストたちが張り付いているのである。
●ちなみに、ペンタゴンと直接契約している企業は、まだ兵器を製造している段階で、多額の「推奨金(無利子の貸金)」を受け取ることができる。
例えば「ロッキード社」は、1968年12月の12億7800万ドルという支払い済み経費に対して、12億700万ドルの「推奨金」を与えられた。15億ドル近くの経費や設備を含む取引に対して、同社が調達しなければならなかったのは、7100万ドルの自己資金だけであった。
●ペンタゴンからの退役軍人の天下りの多さも無視できないものがある。
プロクスマイア上院議員のいうところによると、1968年財政年度には、主要軍需業の3分の2以上をやっていた100社は、その給与名簿に「2072人の大佐もしくは艦長以上の階級の退役軍人」を抱えていたという。トップは「ロッキード社」の210人で、その次に「ボーイング社」の169人、「マクダネル・ダグラス社」の141人、「ジェネラル・エレクトリック社」の89人と続くという。
ペンタゴンの制服を着ていた時に、民間企業との多額の取引の交渉をやっていたその同じ人間の多くの者が、退役後は、その影響力や内部の知識を国防会社の利益のために行使していたわけだ。
●軍産複合体がアメリカ経済に対し、依然として強い影響力を持っていることに関し、国防産業協会の会長J・M・ライル元提督は以下のように言っている。
「もしも我々が軍産複合体を持っていなかったとするならば、我々はそれを考え出さねばならなかったであろう。というのは、今日の複雑な兵器を考案し、生産し、そして維持することは、必然的に、それを要求する軍部とそれを供給する産業との間の、最も緊密な協力と連携を伴うからである。」
●「ディロン・リード社」のジェイムス・フォレスタルや「ジェネラル・エレクトリック社」のチャールス・ウィルソンなどは、以下のような率直な見解を示している。
「アメリカが必要としているのは、永久的な"戦争経済"である。」
●ベトナムのある高官は以下のような告発をしている。
「・・・結局、一番もうかるのは、より性能のいい兵器により高い値札をつけてどんどん売りさばくことのできる"ビッグ5(国連常任理事国)"の兵器産業である。」
「ベトナム戦争ひとつを振り返ってみても、本当の"死の商人"が誰であったか一目瞭然だろう。まず、フランスが膨大な兵器を流し込み、その後をアメリカが引き継いだ。もちろん、そうなるとソ連も放っておけないから、北ベトナムやベトコンにどんどん新兵器を与え、やがては中国も介入していった。そうやって戦争がエスカレートして行きさえすれば、それぞれの国の兵器産業を中心とした軍産複合体もまたどんどん肥え太っていくわけだ。」
●そもそも「軍産複合体」という言葉を最初に使ったのは、アメリカの第34代大統領ドワイト・アイゼンハワーだった。
彼は第二次世界大戦の欧州戦域で「連合軍」を指揮し、近代戦の凄まじい消費と後方の生産力のシステム化に成功した「戦争管理型軍人」として知られている。その意味で、「軍産複合体」の生みの親ともいえる人物であるが、それだけに内在する危険性についても考えていたようだ。彼は1961年1月17日の大統領退任演説で、以下のように軍産複合体の危険性に関して警告を発していた。
「(第二次大戦まで)合衆国は兵器産業を持っていなかった。アメリカの鋤(すき)製造業者は、時間があれば、必要に応じて剣も作ることができた。しかし今や我々は、緊急事態になるたびに即席の国防体制を作り上げるような危険をこれ以上冒すことはできない。我々は巨大な恒常的兵器産業を作り出さざるをえなくなってきている。これに加え、350万人の男女が直接国防機構に携わっている。我々は、毎年すべての合衆国の企業の純利益より多額の資金を安全保障に支出している。」
「軍産複合体の経済的、政治的、そして精神的とまでいえる影響力は、全ての市、全ての州政府、全ての連邦政府機関に浸透している。我々は一応、この発展の必要性は認める。しかし、その裏に含まれた深刻な意味合いも理解しなければならない。(中略)軍産複合体が、不当な影響力を獲得し、それを行使することに対して、政府も議会も特に用心をしなければならぬ。この不当な力が発生する危険性は、現在、存在するし、今後も存在し続けるだろう。この軍産複合体が我々の自由と民主的政治過程を破壊するようなことを許してはならない」
●この演説の3日後に、ジョン・F・ケネディが大統領に就任。彼の対キューバ政策や対ソ連政策、対ベトナム政策などは、軍産複合体の利益と真っ正面から衝突した。
ケネディ暗殺の首謀者が誰なのかは知らないが、「2039年には全面的に真相を公開する」というアメリカ政府の声明の発表は謎めいて聞こえる。
幅広い諜報活動を展開する「CIA (中央情報局)」
●CIA(中央情報局)は、第二次世界大戦後の1947年、合衆国大統領直属の一政府独立機関として創設された巨大情報組織である。任務は言うまでもなく、アメリカ合衆国の国益、安全保障に関する一切の諜報活動。あり余る膨大な機密資金をもとに、国内・海外合わせて万を超える機関員・局員が、情報収集・謀略工作・破壊活動そのほかに従事、世界中を駆け回る。
●CIAはトルーマン大統領によって組織された。しかし、全く新しい組織を作ったわけではなく、第二次世界大戦中にF・ルーズベルトによって創設された戦略事務局「OSS」が母体となっている。したがって、当初の機関員・局員のほとんどは一度解散したOSSの旧メンバーで、それまでの経緯を買われて再び活躍、また同時に多くのそのために募られた新しい局員を教育指導する、といった具合であった。
●1949年に「CIA法令」が改定され、"特権"を獲得したCIAは、日一日と増強された。そして、1953年に3代目長官として就任したOSSの生え抜きのプロフェッショナルであり「世界のマスター・スパイ」の異名を持つハーバード大学出身の法律家・弁護士出身のアレン・ダレスの時代になって、CIAは世界第一級の国家情報機関に成長した。
ちなみに、この時のアメリカ合衆国の"表"の国際外交をリードしたのはアレン・ダレスの実兄であり、同じくハーバード大学出身の優秀な弁護士として鳴らし、国務長官に就任したジョン・フォスター・ダレスであった。
●推定によれば、CIA本部で常時働く局員・職員の数は1万名余。そのほか各地に派遣されている現地活動家が4000名。ただしこれらはあくまでもCIAのメンバーとして登録されている者たちであって、様々な形、かかわりあいで、CIAの仕事に携わる者は10万名で、多いときには15万名にものぼると言われている。
●CIAの局員・職員は、任務によって「ホワイト・グループ」と「ブラック・グループ」の2つに分かれているという。
ホワイトの方は本部ビルに普通のサラリーマンのように毎日通って、資料による調査や情報物の分析を主とする各種の専門知識を持ったエキスパートたちであり、ブラックの方は職員というよりも「エージェント」の呼称がふさわしく、世界をまたにかけて飛び歩く"現場マン"であるという。
当然、このブラック・グループは、ラングレーの本部ビルにいることは少なく、各地のアメリカ大使館や公使館などにCIA局員であることを秘して勤務したり、それらの所在地に付随して設置されたCIA支局に所属して、当面与えられた任務を尽くすらしい。
●ちなみに、CIA本部の周辺には二重に張り巡らされたフェンスがあり、通常のテレビカメラと赤外線テレビカメラが設置され、目立たない見張りがパトロールしているという。また、正面からみたCIA本部は白い近代的なガラス張りの8階建てで、周囲にはいくつも駐車場とヘリコプターの離着陸場、そして後方には格納庫があり、屋根には無線用のアンテナが縦横に張り巡らされているが、これはほんの外観にすぎなく、建物の主要部分は地下にあり、一部は核兵器の直撃にも耐えうるだけの深さにまで達しているという。
華麗な電子諜報活動を展開する「NSA (国家安全保障局)」
●国家安全保障局「NSA」は1952年にペンタゴン(アメリカ国防総省)の内部に設立された。
●「NSA」は最新のハイテク機器・システムを擁して、全世界に傍受・盗聴の網を張り巡らしている。特に地上からの通信傍受・盗聴活動が主な任務で、独自の通信衛星を持ち、アメリカの海外情報機関が本国に送る通信の保安対策も請け負っている。
●「NSA」の電子盗聴技術や暗号解読技術などは世界トップレベルで、世界に「NSA」が傍受し解読することのできない電子的な通信はないと言われるほど、「NSA」の能力は高く買われている。
謎のベールに包まれた巨大諜報機関「NRO (国家偵察局)」
●1960年に設立された「国家偵察局(NRO)」は、つい最近まで、その存在自体がアメリカ政府によって極秘扱いされていた最高情報機関で、その名称はおろか何を目的に活動しているのかは全く不明であった。
●予算委員会の資料に「NRO」という謎の機関が登場しているのに気付いた『ニューヨーク・タイムズ』が、90年初頭にその件についてスクープすると、1992年9月18日にアメリカ政府は「NRO」の存在を公式に認めた。
●「NRO」はCIAの30億ドルに比べて、80億ドルという法外な年間予算を使い、しかもこの予算は「秘密運用予算」として空軍情報活動費や海軍の予算書に隠され、監査には引っ掛からないよう隠密に運用されていた。
職員数もCIAの3倍に当たる56.000名も配置されている。もっとも、この規模と人員には空軍情報活動も含むという形をとっている。
●一般に「NRO」は、どのタイプのスパイ衛星を開発し、どのターゲットにあてて使用するかを判断することに従事しているそうだが、詳細な任務や組織、あるいは保有すると思われる情報は、現行の機密保持規則下では、「FOIA(情報の自由化法)」を盾にしても情報請求すら出来ないと言われている。
●現在、「NRO」はコロラド州フォートカースンを本拠地としているらしいが、もし予算委員会で「NRO」の存在について触れられなかったら、今でもアメリカ議会や一般大衆はほとんど知ることが出来なかった巨大国家機関だったのである。
緊急事態時に政府の機能を全て引き継ぐ「FEMA (連邦緊急事態管理庁)」
●緊急事態に対応すべく設置された組織の一つがFEMA(連邦緊急事態管理庁)である。FEMAは災害時の緊急対応を担当し、災害情報を一元管理するほか、テロ活動、毒ガスに対する専門家集団も揃えた危機管理に関する大統領直属の独立政府機関である。
●1979年、各官庁の緊急管理業務を統合し発足。ワシントンDCに本部を置き、全米を10地区に分割して地域ごとに活動・作戦を展開している。
FEMAは連邦緊急放送局、連邦災害援助機関など沢山のものを含む、緊急活動に関わる多くの政府諸機関を統轄しているのである。
●FEMAは、1969年、当時カリフォルニア州知事だったロナルド・レーガンが着手したことに端を発する。FEMAは正式には「大統領令12148号(連邦緊急事態管理令)」を通して、ジミー・カーターが設置したものである。この法令は、緊急事態に関わるこれまでの大統領令を全て統合し、緊急事態が起きた時に大統領に無制限の行動力を与えるものである。
●FEMAは、緊急事態時に「大統領令12148号」が発動された場合、政府の機能を全て引き継ぐ権限を有するなど、全面的独裁体制を可能とする"ある種の危険性"をはらんでいることを指摘する声は少なくない。
「アメリカ宇宙軍」の謎(NASAと国防総省)
● 1982年9月1日、コロラド州ピーターソン空軍基地において「スペース・コマンド」が編成された。
その主要任務は軍事衛星と軍用シャトルの管制で、NORAD司令官のジェームズ・ハーティンガーが宇宙コマンド司令官を兼任することになった。
● それまでアメリカ空軍は、戦略核兵器をコントロールする「SAC(戦略空軍)」、戦術航空作戦を受け持つ「TAC(戦術空軍)」、北米大陸の防衛を司る「NORAD(北米防空司令部)」の作戦部隊を中核に宇宙活動を行なってきたが、その一部が統合強化され、ピーターソン空軍基地航空宇宙防衛センターがその任に当たることになったわけだ。
● 更にその後、「統合宇宙司令部(CSOC)」が新設され、その下にコロラドスプリングスの近く、ファルコン空軍基地に本部を置く、第2宇宙軍も編成された。ここには、スペースシャトル運用計画センターがあり、軍用シャトルの管理運用を担当。更にASAT(対衛星攻撃)任務を受け持つF15戦闘機部隊も置かれた。 この組織の発足により、それまで空軍と海軍が別個に進めてきた大気圏外の作戦が統合され、アメリカの軍事衛星群とスペースシャトルの軍事ミッションがより高度に統合管理されることになったのである。
● 「スペース・コマンド」の権限を一挙に拡大させたのは、1983年3月にスタートした「SDI(戦略防衛構想)計画」と、1986年のスペースシャトル「チャレンジャー爆発事故」だったといえる。スペースシャトルの軍事ミッションの遅れを恐れた国防総省は、西海岸のバンデンバーグ基地にスペースシャトル専用の打ち上げ施設を建設し、NASAから宇宙開発の主導権を徐々に奪取。「SDI計画」の名の下で、独自の宇宙開発施設・管理システムを確立した。
● NASAと国防総省の「宇宙開発費」の推移を見てみると、アポロ計画当時のNASAの予算は50億ドルちょっとで、この時の国防総省の宇宙開発費は20億ドル。そしてアポロ計画以降、NASAの予算は少し落ちて70年代後半から再び伸び出したが、同時に国防総省の宇宙開発費も急激に伸び出し、1983年の「SDI計画」の登場を境にして逆転。
それ以降、国防総省の宇宙開発費はグングン増加し、NASAの予算が「チャレンジャー爆発事故」翌年の1987年度の100億ドルをピークにして減少に転じているのに対し、国防総省の宇宙開発費は約200億ドル付近まで増加し、まだ一向に衰える様子を見せていない。
● この宇宙開発費の推移から容易に読み取れるように、宇宙開発の主導権はNASAから国防総省の手に移った。「マンハッタン計画」や「アポロ計画」を遥かに上回る人材と資金が投じられた「SDI計画」の推進によって、アメリカの宇宙開発は急速な軍事化が進められたのである。更に、NASAの宇宙プロジェクトが大幅に縮小され、スタッフが大量退職する中、軍人パイロットだけは在籍し続けている。
● もっとも、宇宙開発の軍事化うんぬんと騒ぐ前に、NASAの前身「NACA(国家航空諮問委員会)」は初めから軍事機関として発足したものだし、NASAだって現在も依然として「アメリカ大統領直属の軍事機関」に位置し、その予算は国防総省によって直接コントロールされているわけで、宇宙開発と軍事は切っても切り離せない関係にある。
もともと米ソの宇宙開発は最初から高度な軍事戦略に基づいた「宇宙軍拡競争」であったし、宇宙開発は軍事力の誇示であり、象徴であった。
宇宙での覇権を握れば、軍事的に圧倒的な優位に立てるわけだ。
スペースシャトルが最初から軍事ミッションを優先にしており、現在に至るまで多数の軍事衛星を打ち上げていることからも、純粋な科学の発展という前に、まずアメリカという国家を守るための国家戦略が優先されていることが伺える。
● 結局、「SDI計画」はブラックホールさながらに300億ドル以上という天文学的な額のカネを呑み込み続けただけで、何一つ使途が明らかにされないまま1993年5月に中止されてしまった。が、「SDI」は死ななかった。この「SDI」は「BMD(弾道ミサイル防衛)」という名前に変え、ペンタゴンに新設された「弾道ミサイル防衛局(BMDO)」の下に移管され、しぶとく生き残り、現在もアメリカ国民の税金を食い続けている。
「BMD」の中核には「TMD(戦域ミサイル防衛システム)」や、アメリカ本国を守る「NMD(国家防衛システム)」なるものがあるのだが、中でも「TMD」は日本が参加するのかしないのかで注目されている。
もし参加したら数兆円もの日本人の血税がアメリカに流れると言われている。(いずれ再びノドン1号の脅威が叫ばれるかもしれない)
● ところで軍事専門家によると、アメリカ空軍の極秘資料から、現在も宇宙軍の組織が世界的な規模で展開されていることが明白だという。
最近では、イギリス国防省がイギリス中部の国定公園内に、アメリカ宇宙軍専用の施設を建設し運用するを許可を出し、所変わって日本でも、青森県三沢基地の東端に宇宙軍専用の施設が新設され、アメリカの宇宙軍司令部第73部隊から70名が配属されたという。