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(回答先: 一部抜粋です。 投稿者 エンセン 日時 2003 年 8 月 14 日 06:05:04)
「兜町の妖怪」からの抜粋です。
ブレトンウッズ会議
国際通貨基金IMFと世界銀行が、今から半世紀前のブレトンウッズ会議によって誕生した。
イギリス代表が経済学者のジョン・メイナード・ケインズだったのに対して、アメリカ代表が財務官のハリー・デクスター・ホワイトだった。そして不思議なことに、経済学者ケインズの名は今日でも世界的著名人として記憶されているが、ホワイトについての記録は、ほとんど痕跡もないぐらい抹殺されているのだ。彼ら二人がどこから現れたのか、それが問題だった。
50年前のブレトンウッズ会議の意味が、私なりにつかめた気がします。まず、当たり前の状況から説明します。古い話だと思わずに聞いて下さい。第一に、大戦中のノルマンディー上陸作戦が成功して1ヶ月後に、この経済会議が開かれ、現在のような世界銀行とIMFの世界金融システムが誕生したわけです。これによって第三世界の人間を支配する金融システムができた、と言ってもよいでしょう。
表面上は、これらの機関が貧しい国を支援するという話でしたが、その後、朝鮮戦争、インドシナ戦争、アルジェリア戦争、ベトナム戦争が続発した経過から見れば、これは植民地銀行の世界機構ができたのも同じです。世銀の総裁になったロバート・マクナマラが、そのベトナム戦争の発端をつくったケネディー政権の国防長官だったという経過の通りです。
イギリス代表のケインズは、妻がディアギレフ・バレエ団の華、リディア・ロポコーヴァというプリマ・バレリーナで、『眠れる森の美女』、『真夏の夜の夢』などの舞台で主役を演じていたのですね。
この話が大事なのはケインズがロシア人と結婚していたことです。ロシア革命後のことです。結婚が1925年ですから、革命から8年後になります。共産主義社会の女性です。資本主義社会ではありません。
ケインズに対して、アメリカ代表のハリー・デクスター・ホワイトは、リトアニア移民のユダヤ人の息子でした。彼の妻も、ロシア系ユダヤ人の有名な童話作家アン・テリーでしたから、両人とも皮肉なことに当時のソ連と深い関係を持っていた。その二人がブレトンウッズで、資本主義体制を決定したわけです。44ヶ国が参加したといっても、イギリスとアメリカが大戦中の軍事力を握っていたので、実際にはこの二人が決定したのです。むしろほかの42カ国は、公式にそれを承認する道具として利用されたわけです。しかもケインズとホワイト、この二人には、ロシアのこと以外にも、死に方といい、そのほか多くのことで、不思議な共通点があります。
つまり、そこに、ブレトンウッズ会議にあった本当の裏舞台は何だったか、という謎があります。
これはダーウィンの物語です。ケインズの弟ジェフリーの妻が、進化論のダーウィンの孫だったわけですが、あの生物学者がビーグル号でガラパゴスへ行った時、その船の艦長がロバート・フィッツロイだったのです。
ロバート・フィッツロイの再姉妹が、ハンナ・ロスチャイルドです。言うまでもありませんが、当時の世界金融の胴元ネイサン・ロスチャイルドの次女です。
この艦長フィッツロイが、世界で初めてダーウィンの進化論、自然淘汰の学説を発表したのです。しかし面白いのは、この艦長の高祖父がニューヨークの総督ウィリアム・コスビーだったことです。アメリカ独立前の総督ですから、当時の最高位にあり、彼らはすでに、ウォール街誕生前のニューヨークの支配者でした。
フィッツロイは奴隷屋でしたから、逆に、奴隷嫌いのダーウィンと大喧嘩しています。それでダーウィン一家を調べてまたびっくりしたのは、この家系の子孫が、ロンドンの経済紙フィナンシャル・タイムス≠フ支配ファミリーだったわけです。これは、今の話ですよ。ウォール・ストリート・ジャーナル≠ニ共に世界を支配する二大経済紙ですから、昔話をしているのではありません。これは、まったくのところ面白い進化論の話です。彼らの言う優性遺伝の法則です。
シュローダー銀行は、昔は、ヒットラーを自宅に招いたナチス党員のクルト・シュレーダー男爵の一族がつくった銀行です。この男爵がヒットラーを首相にしてから、ドイツが最後の地獄に堕ちていったのです。ところが、シュレーダー銀行のロンドン支店は、こちらは英語読みで、〔レ〕ではなく〔ロ〕のシュローダー銀行ですが、勿論、シティーの財閥の手にありまして、ネイサン・ロスチャイルドの義兄弟にあたる地金ブローカーのジョン・ヘルバートが、握っていました。
ところが彼の父は、ヘルバートではなく、イスラエル・イスラエルという男でした。つまりユダヤ人はユダヤ人であることを知られないようにするため、この時代に無数の人間が名前を変えました。たとえばイスラエルはヘルバートになり、モーゼスはマートンになり、ベッディントンになり、サミュエルはローレンスになり、ヒルになりました。だから、今ロンドンにあるマーチャント・バンクのヒル・サミュエルは、歴代のイギリス首相を動かしてきたが、ヒル・サミュエルではなくて、本当はサミュエル&サミュエルです。
そのヘルバートの甥が、ネイサン・ロスチャイルドの甥にもあたるジョン・ワッグ、つまり現在ニューヨークとロンドンで活動している、ジョージ・ソロスの好きなシュローダー・ワッグの一族だったのです。それが、フランクフルトの金属業者であり、金投機でソロスと組んだジェームズ・ゴールドスミスに最も近い一族です。このメンバーの利権が、百年経っても、二百年経っても変わっていないということです。つまり経済学者ケインズと生物学者ダーウィンは、ただの親戚ではなくて、背後に世界最大の財宝をめぐる関係があったことになります。
ケインズ自身は、南アの中央銀行設立者のストラコッシュと仲良くなって、このストラコッシュが、現在南アで第二の鉱山会社ゼネラル・マイニング・ユニオンの会長として君臨したのですから、ケインズは経済学者ではなく、鉱山利権の代理人としてブレトンウッズ会議にい臨んでいたわけです。
これでケインズのまわりはよく分ったと思います。ブレトンウッズ会議のアメリカ代表、ホワイトのほうも説明すれば、もっとよくお分りいただけるでしょう。
彼は、財務省に入って、財務長官ヘンリー・モルゲンソーも最も重要な側近となり、彼の代理人としてブレトンウッズ会議に送り込まれました。ところがモルゲンソーもまたロスチャイルド家の人間でしたから、ヒットラーを倒したあとのドイツ解体と、ドイツを再生不能にする計画に、この二人が没頭したのも無理はありません。モルゲンソーが、ブレトンウッズ会議の実際の主役でした。彼とケインズが直接話し合って、金の価値体系が、世界中が見ている前で宝の箱に収められたわけです。南アの鉱山会社が、これで大勝利を収めました。
このモルゲンソーの息子ロバートが、ちょうど今クリントン大統領のホワイトウォーター疑惑を裁いているマンハッタン地裁の判事です。
ケインズはブレトンウッズ会議から、わずか二年後に心臓発作で倒れて死んでしまい、ホワイトも、その二年後に心臓発作で死にました。ホワイトの死については自殺説と他殺説があります。ここからが重要なのですが、ハリー・デクスター・ホワイトは、赤狩りでニクソンに弾劾され、ソ連のスパイという汚名を着せられながらこの世を去ったのです。それで、自殺説と他殺説が出てきます。
この経過は、アメリカの金融界が一枚岩ではないことを示しています。チャップリンもリリアン・ヘルマンも追放され、大量のユダヤ人狩りが、赤狩りに名を借りておこなわれました。モルゲンソーも、財務長官の座を追われました。アメリカは連合軍でありながら、戦後ただちにユダヤ人狩りをやっていたのです。マッカーシズムのマッカーシーもニクソンも登場しましたが、本物の悪党は、FBI長官のフーヴァーでした。徹底的に人脈を調べ上げ、ユダヤ人狩りをやりました。
見事なまでに、的確に関係者を摘発していますね。フーヴァーの仲間が指摘したように、その全員がロシアと関係が深いことも事実でした。
その報復が後年のウォーターゲート事件としてニクソン断罪という結果になったのです。
そのニクソンの時代に、何がありましたか。あいつの手でブレトンウッズ体制が崩壊させられたわけです。1971年8月に、ニクソンが金とドルの交換停止を発表して、ケインズとホワイトが金1オンスは35ドル≠ニ定めた固定相場が崩れました。ニクソン・ショックとして全世界が現在の変動相場制に突入しました。金の価値が崩れたのです。
この直後から、ウォーターゲート事件が起こっています。キッシンジャーが最大の黒幕でした。あの男はホワイトハウスにいて、すべてを知っていたのです。
ダーウィンの妻は、ウェッジウッド家の令嬢でした。ヨーロッパでは、ドイツのマイセンと並んで、最も有名な食器のメーカーがウェッジウッドです。ダーウィン家とウェッジウッド家は、少なくとも四度結婚しています。そして、ハリー・デクスター・ホワイトは、財務省に入る前に、その貿易にかかわっていたという話です。ケインズとホワイトがブレトンウッズで会う前に、彼らは知り合いだったことになります。
☆茶番劇だったということなのでしょうか。