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(回答先: つけたし 投稿者 エンセン 日時 2003 年 8 月 11 日 02:43:43)
憲法を骨抜きにしようとしている人々
父ブッシュ大統領とバーバラ・ピアス・ブッシュ夫人はどちらも、フランクリン・ピアスと同じく、イギリスのピアス家の出身である。
アメリカ移住の前に、ピアス(Pierce)はもともとパーシー(Percy)と名乗っていた。
パーシー家と言えば、政治に対して強大な権力と影響力を持っていたイギリスの大貴族の一つである。
カルヴァン派プロテスタントのジェームズ王とその家族を殺害し、親カトリック政権を樹立するために、貴族院を火薬で爆破するテロ事件Gun Powder Plot (1605)を首謀したが、事前に発覚し、逮捕されそうになったため、急遽名前を変えてアメリカに渡ったのである。
ブッシュ大統領の親戚として有名なのは、イギリス及びアメリカのグロヴズナー家と、オハイオ州のタフト家である。
イギリスのグロヴズナー家が所有する10万エーカー以上の土地のうち、そのほとんどが、ロンドン市の最も重要な土地である経済地区にある。
アメリカにおいてグロヴズナー家は、ナショナル・ジオグラフィック社を創設した(http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/)。
ナショナル・ジオグラフィック社は、世界の考古学遺産、とくに宗教的価値を持つ品を密かに持ち去り、スミソニアン協会に寄贈するので有名である。
スミソニアン協会は、グロヴズナーの親戚スミスソン家(パーシー家の子孫)によって運営されている。
父ジョージ・ブッシュは、1980年の選挙の際に、大統領候補者自伝の中ではっきりと自ら「三極会議委員長」を名乗り、イェール大学秘密結社スカル・アンド・ボーンズの会員であることを記しているが、マスコミはこの背景について一言も触れていない。
スカル・アンド・ボーンズの創設者は、ウィリアム・ハンチントン・ラッセルとアルフォンソ・タフト(ウィリアム・ハワード・タフト大統領の父親)である。
スカル・アンド・ボーンズの上級生は、毎年、イェール大学に入った大富豪の子孫たちに目をつけ、その中から飛び切り優秀な15名を選んで入会を勧める。
ウィリアム・ハンチントン・ラッセルの会社ラッセル信託会社は、スカル・アンド・ボーンズの創設以来、その資産を管理しており、スカル・アンド・ボーンズのメンバーの中から自社の社員を募っている。
1823年創設のラッセル信託会社は、パーキンス家を凌いで、北米で最も大きな阿片密輸シンジケートになった。
ラッセルの取引先は、英国王室に対して忠誠を尽くす人々であり、この忠誠心は今日までその子孫(東部自由エスタブリッシュメント)に引き継がれている。
アメリカには、英国よりも多くの億万長者がいるが、アメリカの億万長者は、イギリスのそれと比べれば足元にも及ばない。
イギリス王室と、この英国派のアメリカ人たちが所有している富の基礎は、そのほとんどすべてが、トルコから中国への阿片密貿易によってもたらされた。
レーガン・ブッシュ政権の麻薬戦争ほど、違法のドラッグ貿易を促進したものはなかった。
ジョージ・ブッシュがCIAの長官をしていた時のナンバー2、セオドア・シャックレーは、多数の書物において、黄金の三角地帯からの麻薬密輸を組織した人物として名指しされているのである。
ラッセルの取引先の一人、ウォーレン・デラノ・ジュニアは、フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領(ジョージ・ブッシュのいとこ)の祖父である。
その他、取引先には、プリンストン大学の出資者ジョン・クリーヴ・グリーン、コロンビア大学建設出資者アビエル・アボット・ロウ、ユナイテッド・フルーツ創設者の父親であり、外交評議会(CFR)の創設者アーチボールド・ケアリ・クーリッジの祖父ジョセフ・クーリッジがいた。
スカル・アンド・ボーンズの会員は、組織の強力なバックアップによって強大な権力の座に着くことができる。
例えば、ニューヨークタイムズGMアモリ・ホウ・ブラッドフォード(1934年入会)、CIAの重鎮ウィリアム・P・バンディ(1939年)、マックジョージ・バンディ(1940年)、リチャード・ビッセル(1932年)、上院議員で上院諜報監視委員会議長だったデイビッド・ボーウェン(1963年)、反戦活動家ウィリアム・スローン・コフィン(1949年)。
スカル・アンド・ボーンズは、アメリカ最大の投資銀行ブラウン・ブラザース・ハリマンに支配されるようになった。
この最高経営者アヴェレル・ハリマンは、ジョージ・ブッシュの父親プレスコット・ブッシュの恩師である。
ジョージ・ブッシュの祖父ジョージ・ハーバート・ウォーカーは、ブラウン・ブラザーズ・ハリマンの頭取であった。
ブッシュ家は、3代に渡って、ハリマン社に仕えた。
アヴェレル・ハリマン夫人パメラ・ハリマンは、大統領選においてビル・クリントンの最大援助者であった。
クリントンがアーカンソー州知事選で敗れた時に、パメラは、彼を拾い上げて、民主党最大の選挙資金団体パン・パックの総裁の座に据えた。
このような背景から、ある人々は、ジョージ・ブッシュは、ロナルド・レーガン政権においてそうだったように、ビル・クリントン政権においても影の大統領だったのではないか、と考えている。
レーガン大統領と面会するには、まず、ブッシュの前選挙対策責任者であり首席補佐官であったジャームズ・ベイカーを通さねばならなかったという事実を忘れてはならない。
パメラ・ハリマンについて書かれた『ライフ・オブ・ザ・パーティ』という本の中で、タイム誌の外交部記者である著者は、はっきりと、「『クリントン政権を作ったのは』パメラ・ハリマンであった」と述べている。また、彼女は、Gun Powder Plot におけるパーシー家の共謀者を先祖として持つとも述べている。
アヴェレル・ハリマンのブラウン・ブラザーズ・ハリマンと、ジョン・フォスター・ダレスのサリバン・アンド・クロムウェル法律事務所、そして、ジョージ・ハーバート・ウォーカー及びプレスコット・ブッシュのユニオン銀行は、第2次大戦前及び戦中において、ナチス・カルテルの全利益の代表者であった。このような事実があるにもかかわらず、戦後、ジョン・フォスター・ダレスが国務長官に、彼の兄弟アレン・ダレスがCIA長官に、アヴェレル・ハリマンがソ連大使に、プレスコット・ブッシュが上院議員なったのは驚きに値する。
アンソニー・サットンは、『ウォール街とボルシェビキ革命』及び『ウォール街とヒトラーの台頭』において、ジョン・D・ロックフェラーとプレスコット・ブッシュをはじめとする世界の最も裕福な人々は、ボルシェビキとナチスという両翼に資金援助し、両者を戦わせ、利益と権力を得ようとした、と述べている。ボルシェビキに投資したのは、J・P・モルガンとブラウン・ブラザーズ・ハリマンである。
この2つの会社の重役の半数は、スカル・アンド・ボーンズのメンバーであった。
スカル・アンド・ボーンズは、あらゆる紛争や対立において、その両陣営を支配しようとする。
フレッチャー・プラウティは、『JFK、ベトナム、ケネディ暗殺』において、ロックフェラーとブッシュとハリマンが、共産軍と反共産軍の両方に資金援助し、両方を支配していたことを明らかにしている。