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国生みの原理を探る−「西洋」を「娘」の父親として認知する
近未来を前提として、あるべき新世界の姿を探っていきたいと思います。
まだ具体的な話には入りません。
専門知識よりも皮膚感覚を重視することにします。
(西洋的諸制度を「娘」の父親として認知する)
この島国は、そこに生きる人々を母体とし、西洋的諸制度を父親として子供を孕んでいると考えたいと思います(本当にそう言っていいのか分かりませんが、そうであることを祈っている)。
アルファンドさんは「娘」だとおっしゃっています。
この妊娠は、一般にはペリーやマッカーサーによる強姦の帰結であるともいわれています。
このような認識は、極端な対外従属と、蒙昧な対外排撃との両者を生んできました。 もちろん分裂しています。 一種の統合失調症と見られる側面です。
しかし、別の側面の方も非常に大きいと判断します。
それは西洋と楽しく、喜びをもって交際してきたという恋愛の側面です。
江戸時代人も西洋文明への熱烈な憧れを持ち、徳川家を守ることしか考えていないように見える蒙昧な幕閣の弾圧を受けながら、西洋文明を吸収しようとしてきました。
ペリーの黒船も、幕末の志士達は攘夷に奮い立ったようですが、一般町人は見物に群がっていたのだそうです。
恋愛。 自分と共通の面を持つ、そして自分とはまったく異質の面を持つ異性を求めること(同性愛の方は失礼)。
日本史を一瞥しますと、日本国民がいかに「西洋」を愛してきたか、熱病のように激しく求めてきたか、良く分かりますね。
たとえそれが不実な男であったとしても、私たちは西洋的諸制度を、価値観を根本的に受け入れ、大きくかじを切ってしまいました。
私たちにいまできることは、たぶん「西洋」の排撃ではありません。
彼の子供を産むことではないかと思います。
その子供が地球文明を継いでいけるように。
(「西洋」との共鳴)
ある種の歴史学では、西洋と日本近代との相似性に着目します。
西洋と日本とが近代社会成立へと向かって、ほぼ同時代的に進んできたという理屈です。
確かに年表を眺めてみると、西洋と日本(江戸時代)との間には、本質的に似通った出来事がほぼ同じ年代に並んでいることが分かります。 それは、社会的な出来事だけでなく、技術、数学や絵画の革新まで並行しているそうです。
日本が鎖国していた点や政体の特殊性は別として、社会全体としては西洋と類似のプロセスを歩んでいたという見方です。
もちろんフランス革命のような根本的な事件までは至っていないわけですから相違点も大きいわけですが。
これを更にさかのぼった見方としては、ユーラシア大陸を中心として、大陸の東西の島国へと向かう文明伝搬プロセスに類似性を見る見方もあります。
こうした話は書店にいけば分かることなので深入りしませんが、日本国に西洋との共鳴要素があったと考えることは妥当に思えます。
ここに「遺伝子」的な一種の相似性があり、受胎が容易であったというように考えられます。
(妊娠中毒と流産)
しかし、西洋文明には何か異質なものもおぼろげに感じられます。
それは「彼」が隠している何か後ろ暗い過去でしょうか。
あるいはある種致命的な疾患なのかもしれません。
日本国民の場合、江戸時代封建的価値観の残存や、日本教的エートスと、新たに流入する西洋的合理(?)的価値観との間で混乱が生じているように見えます。
私はどちらがいいとか簡単には言えませんが、ある種の妊娠中毒のごとき症状を呈しているように思えてなりません。
近代産業主義や資本主義も人間に幸福をもたらすような代物にはもはや見えません。 資本主義の害毒が社会の許容限界を超え、中和することが難しくなってきた段階ではないかと思っています。
しかし西洋からもたらされた近代的諸制度を直ちに否定排撃できるような、ある種幸福な段階はもはや終わっていると考えます。
もう受胎したという認識です。
私たちは、現時点ではこれを受け入れ、その否定的な害毒を中和することを考えるしかない。
私たちはもはや「孕んで」おり、わが子を殺せる段階ではないようです。 出産に失敗すれば死亡するだけですね。
このように明確に決めてしまって良いと思うんです。
なんかつまらないことを書いてしまったかなあ。 ごめーん。