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(回答先: もはや「生存」が問われていると思います 投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 8 月 01 日 12:56:56)
「すみちゃん」さん、レス有り難うございます。
>基本的に私の投稿は、悲惨な現状を乗り越えるための「戦略」を「比喩」として述べたというものです。 現実の性別とはあまり関係ないと思いますね。 この意味で如往さんも子供を産むことができます。生ませたことはあるんでしょうけど、産むのは初めてでしょ。
現実的に見ると、国生みの中心は日本の男性ということになると考えられます。 へっへっへっ。 気の毒に。
ユングの両性具有論の一端に触れたのは、「すみちゃん」さんの予想を意識してのことでした。但し、心理学的なエクササイズによって出産の擬似体験を経験したことがあります。尤もそれは実存的投企のモメントとして措定される、自身の再誕生のプロセスだったのですが。
現実には所謂適齢期を越えた一人娘がおります(出産の時を共有した親子の絆はより強くなるとの伝え聞いたご宣託を信じて、当時ではまだまだ珍しかったラマーズ法もどきの方法で出産したためなのか、婚期が遅れています。余計な独白だったのかなぁ?)。
>次に、岸田氏のおっしゃるような「統合失調症的」側面もあるが、「知」「知識」への憧れという恋愛の側面が大きかったではないかという認識があります。
これは江戸時代における「定常性」を目指した文明に重大な欠落、欠陥があったことを意味しています。
これと共に、江戸時代等に形成された日本人のエートスと、西洋からもたらされた価値観との相剋から混乱が生じているという認識もあります−中毒。 この混乱は根本的なもので、一種の「致死因子」となるかもしれません。
上記に関しては以下の認識に基づく異論があります。私はやはり日本が永らく閉鎖系に留まっていた、ないしは結果的に閉鎖系に留まることができたといった状況が起因していると見ていますし、さらに西洋的価値観との相克を惹起するほどに文化的に対置できるものがそれまでの日本に顕在化していたか、例えば「武士道」や「大和魂」に纏わる普遍性の所在には疑念を抱懐しています。
>米国からもたらされた諸制度、価値観を改変し、一見似ていながらまったく異なる(永続的に繁栄可能な)社会を作り上げること。
このプロセスは、破壊ではなく、「遺伝子交配」プロセスが現実的という考えから、出産と表現しました。もちろん、力点は、母方、つまり「改変」におかれるべきです。
たしか岸田秀は「赦す」ことの在り様について具体的には言及していなかったと記憶していますが、「すみちゃん」さんが「赦す」とは何かという問いにたいする解として提示されているのであれば、それも理有りと思量します。
それにしても、映画:『ローズマリーの赤ちゃん』で描かれた景色を髣髴とさせるようなシナリオですね。しかし、そこまでの覚悟や展望が生まれ出でぬほどに、尚の事「生存」が危機に瀕しているということでしょう。これは単に内在するアニマやアニムスといった想念で受けとめることが難しく、それ故に喫緊な問題なのも知れません。けれども、それは他所に己の男性性を反芻すればするほど、何に依拠して、つまり何を対置して対峙していくべきか、応うるべきDriving forceの在り処が見つからず、逡巡するばかりです。
蜜蜂社会において時限的存在である雄蜂の存在の様態は儚く、働き蜂にとっては個からの発想は困難でもあるし、やはりこの問題のMain issueは究極的には女王蜂(Matrixという淵源)が引き受けていく他はないのでしょうか。俄かには判然としないのであります。Matrixの息吹が捉えるもの、否、「生存」の危機を捉えることができるMatrixの在り様それ自体が永遠の謎です。
以上、構成的に貧弱な記述で、また「すみちゃん」さんの意図からすれば標題の中にある「生存」の趣旨を迂回したものになってしまったとの懸念を禁じ得ませんが、また何時か何処かで改めて回答をいただければ嬉しく思います。
また、お会いしましょう。