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(回答先: 国生みの原理を探る−「西洋」を「娘」の父親として認知する 投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 7 月 31 日 21:57:13)
「すみちゃん」さん、はじめまして、こんにちは。
「すみちゃん」さんの投稿から岸田秀による表題と同名の著作を思い出していました。
実はアルファンド氏の認識の中にも幾許かの同質性を感じていました。つまり男性(多分?)である氏が内なる女性性(アニマ)を善きものとして結実させるプロセスはかくあるべきと叙述したのではとの密やかな私の推察は、この心理学者による文明批評が下敷きになっていただろうと思い当たります。
「すみちゃん」さんは女性なのか男性なのか特定しようとは考えませんが、それでも敢えて女性と仮定させていただけますならば、日本というMatrixの両性具有性において側らのアニマが陵辱された場合、もう一方のアニムスはどの様にPresenceを保持したらよいのでしょうか。それとも、「赦す」ことすなわちPresenceを遺棄することは真の理(救済)へにじり寄るためのカタルシスとなるのでしょうか。
これは、私が男性であることに起因する問いであり、身体性を伴わないだけに等閑視でき得るものでしょうが、反面一度入り込むとアナロジーの展開を簡単には許さない迷路として立ちはだかります。「すみちゃん」さんに前掲の問いへの回答を求めている訳ではありません。しかしながら、「国生み」のような問題について思考するとき、決まってこのような自問自答を繰り返すことが習い性になっています。
束の間の戯言で、申し訳なく思っています。あしからず。