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(回答先: Re: 日本教について--2 投稿者 Ddog 日時 2003 年 7 月 10 日 01:21:21)
◆◇ 朝日新聞の「ゴメンナサイ」 ◇◆
ある無実の人間が、別の人間の偽証によって死刑の判決を受けたのなら、これ
は何の疑いもなく「偽証(による)殺人」と考えるのが常識です。私は何度も、
読み違いではないかと[八海事件を題材とした映画の]ポスターを眺めました。
しかし何度見なおしても、書かれているのは「司法殺人は許されるか!」であっ
て「偽証殺人は許されるか!」ではないのです。
日本人には偽証という考え方が全くないのです。[中略]では日本では偽証し
てもかまわないのか、と問われれば、私が言うのはそういう意味でなく「証言」
ない世界に「偽証」はありえないからだ、とでも申し上げる以外に言葉はありま
せん。
八海事件[強盗殺人事件。裁判において、被告人は単独犯であるにも関わらず
共犯者がいると偽証し、自分は従犯だと主張]でも松川事件[列車転覆事件。容
疑者赤間が逮捕され、その証言に基づいて、佐藤らが共同謀議および実行犯とし
て逮捕され死刑判決。しかし、上告の結果全員無罪]でも、実に不思議なことで
すが、すべての人が、この偽証問題にだけは、絶対に触れないで、避けて通って
しまうのです。
[ユダヤ教の]申命典に従えば、[中略]まず最初に問題にされるのが「偽証
の責任」であることは異論の余地がないと思います。しかし日本では、この偽証
の責任を追及せず、無意識のうちに全日本人が、まるで本能的とでもいいたいよ
うな態度で、徹底的にこの問題から目をつぶり、避けてしまうのです。というこ
とは、「個人(偽証した者)の責任は追及してはならない」という確固たる律法
があるとしか考えられません。
『朝日新聞』が、中国で日本人が行なった虐殺事件の数々を克明に記載した記
事で、大きな反響を呼んでおります。ただ不思議なことは、この記事も、この記
事への反響にも、責任(個人の)の追及が全くないことです。
では一体『朝日新聞』は何のためにこの虐殺事件を克明に報道しているので
しょうか。これによって「だれ」を告発しているのでしょうか。「だれ」でもな
いのです。ちょうど「偽証(による)殺人」を「司法殺人」というように「戦争
殺人」「侵略殺人」「帝国主義殺人」を告発しているのであって、直接手を下し
た下手人個人および手を下させた責任者個人を告発しているのではないのです。
そしてこの殺人事件を起こしたのは「われわれ日本人」の責任だといっているの
です。しかし、そう言ったからといって、この言葉を、「われわれ日本人の責任
だから、われわれの手で、われわれの法と義に基づいて、その下手人と責任者を
告発し、裁判に付することによって、われわれ日本人の責任を果たす」という意
味にとってはならないのです。では一体この「日本人の責任」とは、どういう意
味なのでしょうか?
「狸」氏への「坊ちゃん」の批判をそのままここへ適用しますと、「われわれ
日本人の責任だというなら、そう%