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(回答先: 日本教について--2 投稿者 Ddog 日時 2003 年 7 月 10 日 01:19:16)
大部分の日本人は実質的には外国人と接することなく、または多少接しても、
日常生活を共にする隣人として、外国人に立ち混じって生涯共に生活することは
ありません[略]。そして自分たちの「考え方の型」が日本語と日本教の教義と
いう実に強力な枠にはめこまれていて、この枠から出て「自由」にかんがえるこ
とは不可能に近いことだなどとは、夢にも考えられないのです。
従って、自分たちが自由でないと意識しないという点では、日本人は戦前戦後
を問わず実に自由な民族であり、この点、この教義の枠は実に牢固であって、そ
の前には法律といえども無力になってしまいます。
日本人はその「食物規定」同様に、実に強固な思考の型にはめこまれて、それ
以外の考え方はできない[略]。[中略]それが全くできないが故に「自由」に
考えていると信じ込んでいるわけで、自分たちには「食物規定」はなく、何でも
自由に食べていると信じ込んでいると同じです。日本人は、自らの教義が存在す
るという自覚さえ持ち得ないまでに、その教義が徹底的に浸透している民族なの
です。
従って法の前に教義があります。裁判がどんな形式で行われようと、裁判官は
「裁判官である前に人間(日本教徒)であれ」であり、検事も、弁護人も被告も
一般大衆もすべてそうですから、まず、日本教の教義の「人間規定」が優先する
のは当然です。そこでまず、教義の第二条「人間の価値は支点の位置によって決
まる」が取り上げられ、被告の支点の位置はどこか、すなわちその純粋度をどれ
だけと認定すべきか[中略]が決定的な問題となるのです。[中略]この純度が
決定した後に、はじめて法が適用されるわけです[略]。
それ故私は、日本は徹底した差別の国だと思っております。ただこの差別は、
必ずしも皮膚の色とか人種・民族によるのでなく、日本教の教義に基づく「人間
の純度」という不思議な尺度に基づく差別なのです。ただこの差別は、「純度」
の認定によって絶えず変化しますから、「人間の純度による流動的アパルトヘイ
トの国」と規定してよいと思います。
それゆえこの「純粋人」と認定された被告に対しては、その行為[五・一五事
件での犬養首相暗殺の例]がどれだけ卑劣であろうと、三十五万通もの減刑嘆願
書が寄せられるわけです。この点はもちろん戦後も変わりません。変わったのは
ただ「純度表」の表現だけです。
◆◇ 日本人の政治的反応度 ◇◆
[日本人は]あらゆる対象を政治という観点から見てしまいます。そして対象
を、政治的観点から見たとき、はじめて真剣になり、現実感が出てきて多くの人
の共感を得、時には熱狂的にさえなります。
たとえ無理な詭弁を使ってでも政治と関連づけて政治問題として取り上げます
と、たちまちすべての人がそれに関心を示し、関心を示さないものは異端者とし
て扱われ、魔女狩りの様相を示すことさえあります。これは、日本教の教義の
「支点」である「人間」が、論理によらず政治を媒体として作用するからでしょ
う。
日本教では政治的解決がすなわち宗教的解決であって、それですべてが解決し
ます[略]。日本政府とは「日本教団政務院」のようなものですから、従って日
本では西欧のような「政教分離」はありえません。靖国問題もその一つの証拠で
す。
日本においては宗教上の問題は実は政治問題であり、これを裏返せば政治上の
問題もまた宗教上の問題になって、両者を分けることが不可能に近い[略]。
西洋における政教分離が、遠くは、悲惨を極めた宗教戦争[フランス宗教戦
争][中略]の時代への反省から、教会が教会(宗教団体)として政治に干与す
ることは絶対にせず、政治はあくまで個人として参与し、これによって宗教団体
の方も政争の導入による自己崩壊を防ぎ、一方政治は、宗教団体の加入による狂
信的な政治的な対立を防ぎ、教会と国家の併存という形になったわけですが、日
本人が「政教分離」という場合、こういう考え方は全くないように思われます。
「日本教キリスト派」とは、[中略]分銅に十字の刻印が打ってあるだけで、
いわば「キリスト教的表現」で「日本教」を語っているだけですから、[中略]
「行為を(音声または文字によらざる)言葉」と考え、「言葉を見る」ことがで
きると考えることは不可能だと思います。従ってこの殴打という暴力行為[日本
基督教団で生じた内紛による暴行事件]を一種の言葉すなわち思想乃至は思想の
表現とは到底考え得ないので、何のためらいもなく「物理的な力」と[機関誌
『教団新報』に]書いたのでしょう。
人間暴力を言葉(=思想)と切り離して一種の自然現象(=物理的)のように
見、従って思想とは無関係の自然現象のように見る見方(=思想)は非常に古く
からある一種の伝統的な考え方です。
[大阪]万博が、一部評論家などによって、日米安全保障条約改訂と関連づけ
られて一種の政治問題として取り上げられると(典型的な日本人的行き方で
す)、これに刺激されて、[略]キリスト協会内にも急に、[キリスト教館の]
万博出の可否が政治問題として、ついで、これに付随して宗教問題として取り上
げられ、一種異様な興奮状態になってきました。
問題はすぐさま「キリスト教館出展の可否」を飛び超えて、「万博は七〇年代
の侵略体制にふみ入った日本の独占企業群の帝国主義的再編の先取りであって、
それは約圧された人間の側に立って闘ったイエスの志向とは相反するものだから
粉砕しなければならない」となり、「そこでさしあたって教会を、生産点および
街頭闘争のために精神と肉体を武器へと転化する拠点と考えるほかない」から、
そういう体制にない「基督教の総体を根底から問う」のだということになり、
従って「基督教館出展は万博の犯罪性への加担行為」であって、それをあえて強
行する「教会」の幹部を「告発する運動」を「総会その他で展開」すると発展し
ていったわけです。このように展開された運動において、この出展を「犯罪性に
加担す行為であることを認識せず、人間性回復とかキリストの臨在性とかいう美
しい宗教的言辞によって、その犯罪性をカモフラージュした」北森教授に「物理
的な力」が加えられたわけです。
まず第一に、「万博の犯罪性」とか「万博を粉砕する」とか「教会を闘争の拠
点とする」とかいう言葉を字義通りに受けとって、この人びとを誇大妄想教乃至
は精神異常者と見、その行動を精神異常者の集団的行動と考えてはならない、と
いうことです。「教会を(革命の)拠点とする」などということは、[中略]そ
れを口にしている人さえ字義通りにその言葉を受け取っているのではなく、意識
せずともただその言葉によって生じる「政治的効果」だけが念頭にあって発言し
ているはずです。
ところが戦前・戦後を問わず、こういう発言に対して、日本人は、常に抗弁も
反論もできず沈黙してしまうのです。
言うまでもなく、原因は、その底に、日本人が無条件に服している「日本教の
教義」があるからです。すなわち、これらの言葉が「空体語」にすぎないこと
は、口にする人自身がよく知っているのですが、「神は空名(空体語)なれど、
名あれば理あり、理あれば応あり」であって、これらの言葉はもちろんのこと、
「神」という言葉ですら、それを口にする人は、一種の政治的効果しか念頭にな
いわけですが(といっても無意識のうちにですが)、この言葉を口にした瞬間、
その人は、空名の絶対者から委任された「絶対的審判者」のようになり、その人
から何を言われても何をされても抗議できなくなるのです。したがって、北森教
授に加えられたのは「物理的な力」と表現せざるを得なくなるのです。
この考え方は、キリスト教徒だけでなく、全日本人に非常に広くかつ深く浸透
しています。この事件に先立って起った[東京神学大学の]一連の大学紛争で
も、リンチを受けた教授たちに対して「純真な学生たちの真剣な問いかけに正し
く応答しないのが悪い」といった非難がましい論評が支配的でした。
「神は空名(空体語)なれど、名あれば理あり、理あれば応あり」従って学生
たちの、この「理ある空体語」に正しく「応」じない教授会は、確かに日本で
は、非難されて然るべき存在なのでしょう。
では、最終的にはこういう事態がどのように収拾されるのでしょう。結局は日
本教の教義に従って収拾されるわけですが、それはこれら事件の当事者たちが
「純粋でない」ことを証明すれば良いのです。上記の事件の前に起った一連の大
学紛争では、すでに新聞等で手の裏を返したように紛争を起こした学生たちが非
難されていますが、それが「学生たちは純粋でない」という判定に基づいてなさ
れるのです。まず「学生運動は純粋でなくなった、初心を忘れるな」といった警
告(?)が発せられ、ついで純粋でなくなったと判定されると、彼らがそれまで
と全く同じ行動をとっても(否、はるかに温厚な手段をとっても)、それが普通
の刑事事件として扱われるのが当然といった論調になります。これを私は[略]
「流動的アパルトヘイト」と呼んだわけです[略]。
戦争直後には、東条以下の戦時中の指導者たちが、実は純粋でなかったことが
新聞で強調されており、東条氏が家を建てたことが実に強く非難されています。
[中略]そのうちの多くは相続した財産であったにもかかわらず、[中略]これ
が、彼らが純粋でなかったことの証拠として強く打ち出されております。この点
は、もちろん戦後のキリスト教会でも同じで、純粋であるかないかが、常に、決
定的な判定の基準になっています。しかし、「行動は言葉である」から「暴力は
暴力という思想」であり、この思想と「信教の自由」とは相容れないが故に、キ
リスト協会内のその思想を追究するといった考え方は、[中略]あるはずもあり
ません。
以上のことから、この問題に関する日本経の教義として、次の三点が明らかに
なったと思います。
・ 政治問題における「純粋な人間」による殺害もしくは暴行は、空名の絶対者
の委託を受けた「審判者」による告発・判決・刑の執行と見なされ、従って法律
による規制の対象とはならない。従って一見被害者と見られる者も、実は被告で
あって、刑を執行されたにすぎず、問題は執行の際に逸脱があったかどうかに限
られる。
・ ただしこの告発・判決・刑の執行は、政治問題に限られる。宗教上の問題、
経済上の問題、個人的倫理的問題では、いかに「純粋な人間の真剣の問いかけ」
においても「天誅」は認められず、暴力は通常の暴力事件として処理される。
・ 上記の行為も、行った人間がもし「非純粋人」ならば、その行為は「空名の
絶対者」の委託を受けたとは認められず、従ってその行為は通常の犯罪として法
律によって罰せられる。
「空体語」という分銅を極限までつみ重ねたとき、天秤は平衡を失って一回転
しますが、その時に天秤皿の上の実体語も空体語もすべては落ちて消え、関係者
はすべて言葉を失うでしょうが、天秤そのものは「言葉」ではない「人間」を支
点に、何事もなかったかのように静かに平衡を保っているのです。[中略]この
状態を日本語で「心機一転」といいます。これは、試行と模索によって、心(マ
インド)が新しく方向を転ずるのではなく、支点を中心とした一種の一回転=自
転(ローテーション)です。これによってすべての言葉が投げ捨てられた状態
を、日本人は「心機一転、裸になって……」といいます。そしてこれが、小規模
にまたは大規模に行われる状態を、私は、天秤体制(バランスクラシー)と呼び
ます。
◆◇ 「成長」「変節」のない思想 ◇◆
仮にその人の名を安保教授としておきましょう。この記事によりますと、安保
教授は戦時中は帝国海軍の機関で働き、戦後は民主主義の旗手となり、ついて一
九六〇年の日米安全保障条約の改訂にあたっては、同条約の破棄を主張する一大
運動の中心的指導者となったのですが、七〇年の同条約の自動延長に際しては、
この問題に見向きもしなかったということです。そして、これは変節ではないか
と批判されたとき、「人が思想的に成長するのは当然のことで、人の思想的成長
を認めないやつは撲ってやりたい」と言った、とこのコラムの記者は書いており
ます。事実、氏は、この十年間にも、多くの西欧の思想を紹介したり解説したり
していたようで、安保教授自身は、これを自らの思想的成長と思い込んでいるよ
うです。
しかし私にとって、最も興味があったのは「人の思想的成長を認めないやつは
撲る(撲ってやりたい)」という思想です。いうまでもこれが安保教授の思想、
すなわち自己規定で、この思想に関する限り、氏はその生涯において成長も変節
もしていないと思います。
一定の思想からの転向ということは、その本人にのみ関係あることで、それ
を人が認めるとか認めないとかいうことと無関係ですから、認めるかいなかが念
頭に浮かぶということ自体、まことに不思議なことと言わねばなりません。これ
は一体、どういうことでしょうか。
問題点が三つあると思います。まず第一に、安保教授にとって、「思想とは踏
絵」だということです。[中略]これはあくまでも、相手に差し出してその反応
を見るものであっても、その図柄が自己を規定するわけではありません。規定し
ているのは踏絵を「差し出す」という行為の元となる思想で、この思想がその人
の思想であり、その思想は、差し出された相手の反応によって影響されることは
あっても、踏絵の図柄で影響されることはありません。
安保教授は一九六〇年には「安保」と書いた踏絵を皆に踏ませ、この異端審問
は相当に過酷であったようで、当時ある人は「まるで、安保に反対せずんば人に
非ず」といった風潮だと書いています。
ところが、七〇年には何もしなかった。これは一見、何の踏絵も差し出さな
かったように見えたので、前述の批判が出たわけですが、結局安保教授は、踏絵
の図柄を変え、規模が小規模であったというだけで、同じことをやっているので
す。すなわち、「思想とは、相手に差し出して何かを認めさせるものだ」という
思想を一貫して持ちつづけ、また、差し出された「思想」に彼が期待するように
応答しないものは撲る(暴力によって排除する)という点でも、何の変化も認め
られないわけです。しかし、戦争中から現在まで、氏の差し出す踏絵の図柄だけ
は絶えず変わるようで、氏はこれを自分の思想と勘違いして、自分がたえず「思
想的に成長している」と思い込んでいるわけでしょう。
第二の問題点は、この安保教授は「思想の成長を認めない者」への非難を、あ
くまでも一般論としてのべていることです。氏の所論を要約しますと、「人間は
自由である、従って思想的成長も変化も自由である。この自由を認めないことは
許されざることである。それ故、私の思想的成長を認めないことは容認できな
い。従ってそういう人間は容認できないから撲ってやる」。どうか私が「笑話」
を創作したとお考えにならないでください。[中略]「思想的成長の自由」を認
めないと、撲られて沈黙を強いられ、従って、「思想的自由」がなくなるのです
から。面白いことは、このことを書いている安保教授自身も、編集者も、読者
も、これに全然気づいていないことです。
第三の問題点は、安保教授は上記のことを一般論のようにのべていますが、
「認める」「認めない」という踏絵方式には、二人称しか存在しないことです。
すなわち「踏絵」をはさんで、お互いに『お前』と呼び合う関係しか成り立たな
いことです。日本が「二人称」しかない社会であることは、パリ大学教授森有正
氏[当時]が別の立場から詳細に論じております。
安保教授が「認めない者は撲る」というは「私」が存在せず、「お前」と「お
前のお前」(お前が「お前」という者)が「私」のかわりに存在しているため
で、「お前」が「お前」と認めてくれない限り、「お前が『お前』という者」す
なわち「私」が存在しなくなるからです。従って「お前」と「お前のお前」とい
う関係でないなら(すなわち「認めない」なら)「お前」は存在してはならない
ことになります。これは日本教の教義に基づく普遍的な思想で、このことを日本
人は「すべては相手の出方次第」といいます。すなわち踏絵を契機として、それ
への「お前」の反応によって「お前のお前」(すなわち「私」)が律されるわけ
で、これは、西欧の自律的・他律的とは全く別のことです。
以上のべたことを一つの図式にまとめますと、次のようになります。[中略]
氏[安保教授]は、日本教の規定する「人間」なのです。踏絵すなわち彼のいう
「思想」は空体語で天秤皿の一方に載って分銅となっており、従ってこれの支点
である「人間」に影響を与えている点では「理」があり「応」もあります。そし
て「撲る」という言葉は「実体語」であって、もう一つの皿にあり、分銅と平衡
の関係にあります。しかし、支点「人間」は、双方から一定の距離にありますの
で、安保教授はどちらの言葉にも規定されていない(ということは、どちらの言
葉も氏の思想でない)ということになります。分銅の刻印の変化を「認められ
て」いればこれで平衡を保っていられるのですが、「理」ある批判を受けます
と、それには「応」がありますので、天秤皿の空体語=分銅は次々に消去されざ
るを得なくなります。するとそれに応じて天秤の支点は徐々に実体語の方に寄せ
ないと平衡が保てなくなり、これが極点に達したとき、ついに支点と実体語が重
なり、ここで「人間」は実体語に規定されます。ここまで達した状態を日本では
「言わせておいて、片づける」状態といい、その時に「天秤」はほぼ「実体語」
を支点として一回転するわけです。そしてこれが、大小を問わず、日本における
あらゆる問題の処理方法なのです。
ここで非常に面白いことは「言わせる」から「片づける」まで一定の時間があ
ることです。[中略]「あれだけ言われれば、撲るのもあたりまえ」と暴力が許
される一つの状態が現出して、はじめて「撲ること」が公認されるわけで、[中
略]結局これは、「あれだけ言われて(批判され)、そのため空体語が消去さ
れ、平衡を保つため支点を移動させたのだから、支点が実体語と重なるのは当然
だ」と思われる時間でしょう。
もちろんこの場合、批判の「空体語」は、[中略]純粋な人間が純粋に口にし
たものでなければならないのであって、そうでなければ「空体語」としての
「理」がなく、従って「応」もありませんから、「空体語」に対して作用できま
せん。しかしこれが的確に作用しますと、批判されるほうは前述のように支点を
次第に実体語の方に寄せざるを得なくなります。しかし実体語はそういう議論で
は口にできない言葉ですから、実体語に近づくに従って、批判される方は、次第
に沈黙していかざるを得なくなります。
いわゆる大学問題は、世界の多くの国で起りましたが、この処理の仕方が、日
本では[中略]文字通りに「言わせておいて片づける」方式をとりました。当時
の新聞を参照しますと、批判されている大学当局や教授は、[中略]ほぼ沈黙し
てしまいました。それが一定の段階に達しますと、大学の総長が何か合図らしき
ことをする。するとたちまち[中略]警視庁の機動隊があらわれて、あっという
間にすべてを「片づけて」しまうのです。これが問題の「処理」「解決」であ
り、それですべては「完結」します。
この図式は、形態はさまざまに変化しますが、ほぼ共通した、解決の基本図式
です。考えてみれば、「天秤の世界」にこれ以外に解決の方法があろうはずはあ
りません。
実をいいますと、この方[直接手を下さず自発的にやめるようにもっていくや
り方]が、日本における基本的な「片づける」方式なのです。警察官の導入など
という過激な方法はむしろ例外であって、通常はこの方法がとられます。いわば
「本人の意志」で「自分自身を片づけさせる」わけです。これは、いわば間接的
な方法による自殺強要に似ていますがこの方法は昔から非常に広く行なわれてい
たようで、「つめばら」というはっきりした用語があります。[中略]切腹はあ
くまで自殺ですから、その死に対してだれも責任を負う必要はないが、実質的に
は「片づけられた」という状態です。
この元委員長の抗議の手紙[東京神学大学の学園紛争が警察官によって片づけ
られたことに対する、元東神大自治会委員長からキリスト教団総会議長に宛てた
質問状]は、何の効果もないのでしょうか。何かこの手紙によって事態が変わる
でしょうか。もちろんそういうことは起りません。彼の言葉がいかに「理」があ
ろうと、天秤皿の空体語はもう消え去っているのですから、影響の仕様がありま
せん。空体語は、人間を支点として、実体語とバランスをとってはじめて実体語
に作用しうるものですから、そうでなくなれば何物への「応」もないのです。
では、この元委員長はどうすれば良いのでしょう。天秤皿に新しい空体語が
載ってから、「思想的に成長した」新しい空体語でこれに応すればよいのです。
このゆえに安保教授は、次々と新しい「思想」をとりあげて「成長」し、「お前
のお前」になって、すなわち「認められ」、それによって「存在」しつづけて来
たのですから。このため日本人は、時としては「ジキル博士とハイド氏」のよう
に見えます。すなわち、空体語を口にしつつ、実体語で行動し、さらにこの空体
語が、実体語とバランスをとるため常に「思想的に成長する」ので、二重にそう
見えるわけです。「偽善者」「嘘つき」「うす気味悪い」といった批評[中略]
をはっきりと口にした人[外国人]は少なくありません。
前述の行き方が、日本人の[思想」で、日本人は少しの「変節」も「成長」も
なく、従って、「偽善」もなく、この思想に基づいて、昔も今も、事件の大小に
関係なく行動し続けてきたことは、明らかな事実です。
日本の驚異的な発展の原因の一つは、この「片づける」という方式によりま
す。従って、こういう体制すなわち、「天秤体制」を巧みに運営するのが政治家
の主要な任務になるわけですから、政治家は常に空体語と実体語とのバランスに
のみ注意が向きます。
◆◇ 「お前のお前」の責任 ◇◆
[日支事変後の]実情を知りかつ見通しは全くつかないが故に、国民の全員が
この事変に着いて非常に強い不安感心をもっており、従ってこの早期解決を、い
らだたしいまでの焦燥感をもって待望しておりました。それでいてだれひとりそ
の「実情」を[中略]口にできないのです。口にしたら最後、「そういう弱気な
やつがいるから今日の事態を招いたのだ」という反論(?)に会い、その「弱気
を口にした人間」が今日の事態の帰結ですが全責任を負う結果になるからです。
日本人が太平洋戦争を自分の方から開始したのは、この論理の帰結ですが、非常
に不思議なのは、この場合の「責任」とは何か、いや、日本人が「責任」という
場合、それがどういう事柄を指しているかという点です。この論理(論理といい
うるならば)がなぜ通るのか、そして、なぜ有識者・学者・言論機関がほぼ一致
してこの論理に同調するのか、という問題です。
これは応答できない論理ですから、議論は不可能です。従って日本人には議論
はありえません。従って議論のかわりに、日本独特の「対話」という不思議な方
法で事態を収拾することになります。すなわち言葉を、二人称だけの世界に入る
ための手段として使う一定の方式です。これはもちろん「空体語」と「実体語」
の天秤の論理に基礎づけられています[略]。
「二人称のみの世界の対話方式」は国内問題に関する限り、まさに絶対的とも
いいうる方式で[略]す。
[恩田木工(徳川時代にある小藩の財政建て直しをやった人)は]対話をはじ
める前に、彼はまず自分が、「純粋人間」であることを立証しようとします。そ
のために必要とあれば妻を離別し、子を勘当し、使用人を一切やめさせ、衣服そ
の他はすべて新調せず、最低の食事・最低の生活も辞しません。ついて自分の行
為も言葉もすべて「純粋に領民のことのみを考えていること」を立証しようとし
ます。さて、この立証が終ると、次に領民との「対話集会」を開きます。
ところで、この「対話集会」ですが、これが実に不思議な集会なのです。恩田
木工は、この集会の人びとと徹底的に議論して、その多数決に従って、何かを決
定しようとしたわけではないのです。といって前期の方針を命令のように一方的
に布告したのでないのです。そんなことをしたら、たちまち収拾のつかない一揆
になります。[中略]何はともあれ、これは「話し合い」なのです。
この一種独特な「話し合い」はどうしても必要なものであって、[中略]たと
え実際には、自分の方針を一方的に強行した結果になることがはじめから明確で
あっても、この「話し合い」は必要なのです。なぜか? 簡単にいえば、日本語
には「二人称」しかないからです。すなわちこの対話集会で「お前」と「お前の
お前」(お前がお前と呼ぶ者)という関係に入り、それが確認されてはじめて、
無視されていない者、すなわち認められた状態になるのですから、そこで初めて
「お前のお前(私)」が存在しうるわけです。従ってそれをしないと[中略]
「農民を無視した」ということになります。[中略]「撲ってやる」ことになる
わけです。
天皇制とはまさにこの「二人称」の世界の制度なのです。[中略]日本の宮廷
のスポークスマンは言うに及ばず、日本の言論人も、天皇が「純粋」であること
に、異論を差しはさむ者はおりません。おそらく天皇が「純粋」であることは、
何びとにも否定できぬ事実なのでしょう。
第二に、天皇の行動は常に純粋であり、一点の私心もなく、常に国民のことの
みを考えていることも絶えず強調されます。これもおそらく事実でしょう。そし
てここに「天皇」と「国民」の間に「二人称」の関係が成立しているのです。す
なわち天皇はただ一心に国民のためをのみ思い、国民はただ一心に天皇をための
みを思う、という一つの相互関係、すなわち「お前のお前」という関係は、戦争
中の「国民はただただ天皇のため」「天皇はただただ国民のため」という関係に
よく現れております。そしてこの関係(お互いに「お前のお前」といい合う関
係)には、この関係を律する第三者としての「法」が入る余地がありません。
恩田木工も[中略]、「純粋人」であることを立証した後、ついで自分の行な
うすべてが、「純粋行動」すなわち「純粋に領民のため」のみであることを立証
しました。[略]ここで[彼は]小天皇となり、天皇制の原則に基づいて、領民
との間で、対話集会を開いて、二人称の関係に入ります。面白いことに日本人
は、この関係に入ることを「民主的」といいます。従って戦後には、「天皇制」
そのものが「民主主義または民主的」といわれているわけです。二人称の関係に
は「私」は存在しませんから、恩田木工は対話集会でまず「自分の立つも倒れる
もお前たちの意向次第」と宣言します。これは多数決による支持を求めるという
のではなく(これは当然で、対話集会には議決権も任免権もありませんから)、
「お前のお前」という関係である間は「お前のお前」(すなわち私)は存在す
る、という意味です。ついで恩田木工は、貢税の徴収に関して、それまでに行わ
れてきた違法を一つ一つ指摘し非難していきますが、その最後に必ず「かく申す
もそれは理屈なり」とつけ加えます。
この「理屈」とは、「理論(セオリー)」と「言い逃れ(プレテクスト)」の
両方の意味をもった言葉なのです。従って違法の指摘は逆に、日本教の教義に従
わないための言い逃れになると言ったわけで、それにつづいて彼は必ず、この違
法が行なわれたのも「ただただ主君を思うが故である」とつけ加えます。すなわ
ち「ただ主君のため」「ただ領民のため」という二人称の関係をその度ごとに強
調し、その関係が法に優先することを確認してゆきます。
恩田木工はこの方式で、自分の行なおうとすることはすべて「純粋」に領民の
ためのみであることを、一歩一歩と立証して行きます。そして[中略]、実に考
えられないような再建案[第一に債務(藩が二、三年先まで先取りしている租税
の返納義務)は一切帳消し。第二に武士の俸給の未払分(二分の一)は帳消し。
第三に町民への借入金返済は無期限延期。そのうえで、当年分の租税は月割りに
して完納すべし]を、全員が喜んで承諾するに至らしめるのです。しかし彼の行
なったことは、当時の法律からみても法律違反であり契約の一方的破棄です。し
かし二人称だけの世界には、この対話をする両者を共に律する第三者としての法
は、はじめから入る余地がありませんから、これは問題になりません。したがっ
て法に違反し、契約を破棄したものは称揚され、法の通りに行なったものは逆に
非難されるわけです。
日本人はこの「お前、お前のお前」という二人称の世界を「われと汝」という
西欧の対話と混同している----というより、この二つが全く別のものであること
を、全く理解していないように思います。
さてここで、日本人にとって「責任」とは何かという[略]問題に入るところ
まできました。二人称の関係に入らなかったことが、その者の責任として糾弾さ
るべきだという日本教独特の考え方を一つの疑問として最初に取り上げたのは、
私の知る限りでは有名な作家夏目漱石です。
[小説『坊ちゃん』の中で、]坊ちゃんが赴任して間もなく、宿直の夜、寄宿
舎の生徒たちが集団で、彼をからかって騒動を起すのですが、この生徒への処罰
を合議する職員会の会議で、[中略]校長の「狸」が言っていること[に対して
坊ちゃんがいだいた感想は、日本教では誤りで]「自分は(寡徳で)純粋度が足
りなく、生徒との『対話が不完全で『二人称の関係』に入りえなかったことは、
自分の責任だ」[といい、]そして「それは私の責任だ」ということによって、
逆に自分の純粋性を証明すると共に「二人称」の関係に入ろうとしているのです
から----これは、西欧の「責任」という言葉とは全く無関係です。「責任」とい
う日本語には「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は
全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」の
です。従って、もしこれに対して責任を追及すれば(応答の義務の履行を要求す
れば)、逆に「相手は自分の責任を認めているのだから追及するな」といわれ、
追及するほうが逆に非難されます。
これは考えてみれば二人称の世界では当然のことで、「私の責任」とはつまる
ところ「お前のお前の責任」ですから、この場合、応答の義務を負うのは「お
前」の方になります。従って「相手が私の責任といっているのだから(すなわち
『純粋人として対話の関係に入ろうとしているのだから』)お前も何とかいった
らどうだ(それに応答すべきだ)」ということになります。
この関係が全日本的な規模で非常に明確に出ているのが「天皇の戦争責任」と
いう問題です。[中略]天皇は自分の「責任」を認め、ついで全日本を巡業して
各地で「対話集会」を開き、国民はこれに対して「一億総ざんげ」で応答し、
「天皇は国民のため」「国民は天皇のため」という「お前のお前」すなわち二人
称の世界は、再びここで確立しました。当時の日本は恩田木工が登場したとき以
上にあらゆる面で破産状態でしたから、これこそ実にみごとな「対話方式」によ
る再建でした。もちろん、あらゆる意味の「債務」はこれで帳消しですが、「だ
れひとりお上をうらむ者なく」と木工が言ったのと同じ状態が現出したわけで
す。
ここで前述の問題の一部に入ります。二人称の世界に神が住みうるか、否、そ
の前に法がありうるか、法に基づく「責任=応答の義務」がありうるかという問
題です。