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(回答先: アマテラスとスサノヲ 投稿者 如往 日時 2003 年 7 月 10 日 21:06:14)
往如さん、はじめまして!
貴重な情報をありがとうございました、松本氏のこのような解説は初めて知りました。私自身は王権というヒエラルキーが発生し制度化されていくにつれて、父権原理が発生・確定していったと見ています。縄文から弥生にかけて、王権が発生、縄文の母系原理が父権原理によって駆逐されていったものと考えています。両者には連続性がない、まったく異なる文化・異なる発生源だと考えています。母系原理は日本土着の文化ですが、王権は西方文化・外国から上陸した文化です。出自が決定的に異なります。従いまして、松本氏の視点は非常に興味深いのですが、これは無理に接合したものではないかという印象を持ちます。ご承知のとおり、天理教と天皇教は神聖さの権威をめぐり正面衝突したあります。敗北後の天理教側が、自分たちを優越的立場におきながらも天皇教と和解するためのロジックの構築という政治的な思惑を感じないわけではありません。
今日天皇制を通じてわれわれは母系制の原理を感じることはまったくありません。天皇制そのものは制度的にはあまりに純粋に父権制・男権制制度です。その意味でも松本氏の見方はかなり、無理なレトリックという感じをうけています。
ただ、女性原理が男性原理にスイッチしたその瞬間について、詳しく研究したいと考えていますし、また松本氏の仮説を完全に排除するつもりもありません。もし彼の説が本当なら、神話の原理と政(まつりごと)の原理が合成された経緯をしりたいですね。