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「戦争責任」という意味の「責任」は、戦争に関する政策決定、その政策の遂行、そしてそこで行われた個々の行為への個人の関与を問題とするものです。
この意味の責任は、法的責任と政治的責任に分けられますが、これは責任追求の方法による分類です。裕仁の戦争責任に関しては、現在のところ前者は問題とならず、もっぱら後者の問題です。「現在のところ」と断ったのは、占領下のある時期には処罰という法的責任の追及も可能性があったという趣旨です(現実に行われた戦犯裁判の正否と無関係です)。政治的責任は、もちろん根拠となる法律などなく(それゆえに「政治的」です)、問題となる個人の行為に対する否定的な政治評価です。なお、「退位」などは責任追及の結果ではあっても、責任追及そのものではありませんから、「政治責任」とは区別されるべきです。
当然ですが、戦争を正当と考える立場からは、政治的な戦争責任は考えられません。ある行為を正当とする価値判断は、否定的評価と両立しないからです。政治的な戦争責任は、その行為を正当と評価しない価値判断に由来します。なお、責任は、個々の関与者について問題としますから、たとえば、「歴史的な必然」という論は、責任の存否と関係ありません。
「誰に対する責任」かは、しばしば「人類に対する責任」などという表現で表されるように、戦争責任にとって、重要な問題ではないと考えております。もっとも、政治責任は、上述のように、その戦争に対する否定的評価を前提としますから、当然ながら、その戦争で被害を受けた者からの責任追及が多いでしょう。対米英戦争なら、アジア各国、双方の軍の兵士、殺傷された国民です。