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(回答先: 「戦争責任」(Silent Tears氏へ) 投稿者 たこ 日時 2003 年 7 月 07 日 18:24:59)
この場をお借りしてたこ氏のコメントに対し反論させていただきます。まずは「特攻隊」と「連帯意識」の箇所です。
たこ氏は「私は、このような「連帯意識」を増幅し、これを利用しようとする論には、厳しく対処すべき」とコメントされています。
しかし、これを持ち出したのは、安直な天皇制批判論(たこ氏のことではありません)が、当時の若者が「天皇の神性」を拠り所として死をも厭わず命を散らしていったという類の論調に対して、そんな単純なものではなかったと言いたかっただけです。国内の空襲が激しさを増す中、物資は底を尽き、あげくに「爆弾を抱えて自爆して来い」という命令を受ければ、それまで叩き込まれていた神権的国体観念に疑問をもつのは当然です。まさにアノミーの状態の中、出撃して行ったのかもしれません。「お国のため」「天皇陛下のため」でもなく、パレスチナ人のように直接的な憎悪もなく、それでも自爆を潔く引き受けた人達が拠り所としたのが日本人独特の「連帯意識」ではなかったかということです。弾薬も食料も尽きても逃げ出さず、飢えとマラリアで死んで行った南方戦線の人達にも同じことが言えます。「個の意識」よりも「連帯意識」が優越する日本人の精神構造が、戦争被害を倍加させたと思います。
次に、たこ氏は「「天皇の存在は何らかの精神的支え」とありますが、その前段で「神権的国体観念にも疑問を持っていた」などとしながら、これを「精神的支え」とするのは恣意的説明」と断じ、さらに「疑問を持っていた人は、精神的支えとしなかったことが多いと考えるべき」とコメントされています。
「精神的支え」というのは、直接的なものではなく、一般に言われている戦後混乱期のなかで復興に向けての一体感を醸成したことなども含みます。世論調査でもしない限り、今となっては何とも言えませんが、マッカーサーもこのことを期待して天皇制を存続させたこと、戦後体制の中で、天皇制も昭和天皇自身も国民からそれなりに受け入れられてきてことは、その傍証となるでしょう。
また「疑問をもった」とは、天皇を利用した体制に対してであり、天皇個人にではなかったのではないかと思います。
最後に、私には「天皇の責任に触れたくないという願望」はないです。逆にたこ氏の一連の投稿を見ていて、「天皇の戦争責任」という歴史の検証というよりも、天皇を持ち出して「民族論」を唱えている人達の本丸を攻撃しようとする政治論的な意図があるのではないかと思えるのです。象徴的であった天皇(たこ氏は実体的な政治家とみられていますが)の責任追及は場合によっては、「象徴天皇」を政治的に逆方向から利用する行為になり得るのではないかと思うのです。これは、あくまで昭和天皇が実態的な勢力に利用された象徴的な役割しか果たさなかったとみる者からの感想です。
私は、いずれの方向からの利用も微妙なバランスの上にある「象徴天皇制」にとりマイナスであるという考えです。