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(回答先: さらにリアルな認識(裕仁の「聖断」など) 投稿者 たこ 日時 2003 年 7 月 01 日 18:12:18)
「天皇の政治利用」ですが、「天皇に政治的権能を与える」などと主張しているのはごく一部の右翼に過ぎません。戦後保守の主流は、そんな稚拙で現実性のない主張ではなく、皇室を「日本文化」との関係で語り、日本民族の特殊性を強調する道具に利用しているだけです(戦前の言葉で表現するなら国粋主義)。旧憲法下(あるいはそれ以前)の伝統との連続性を主張しつつ、「個人の尊厳」、「国際協調主義」などの新しい価値観を否定する動きです(戦前への回帰を主張する復古主義)。
この種の論者は、「共通の価値観」を意見の多様性に対置し、「中国・朝鮮」への敵意や「国家の危機(国民の危機ではない)」を「国際協調主義」や「平和憲法」に対置します。ほとんど常に「占領憲法」を敵視し、「国旗・国歌」のほか、教育勅語の復活などの復古的政策を主張しています。(今は、天皇が、その表面的な非政治性にかかわらず、このような復古的政策の道具となっていることを確認するにとどめ、個々の政策の是非は詳論しません。)
すみちゃん氏のご意見ですが、私は天皇制について「明確な否定的立場」とは申しておりません。この種の天皇の政治利用に際して行われているトリック、たとえば「裕仁に戦争責任がない」、「天皇家は古代から連続している」などに反応しているだけです。「日本国憲法の象徴天皇制は、ここ数百年来の天皇の有り様を素直に表現したにすぎない」とする通りすがりの一言氏のようなご意見も、天皇制の伝統を強調する政治的フィクションと考えております。念のために申し上げますが、私は、裕仁を実権を有した政治家としております。通りすがりの一言氏の言葉で表現すれば、戦争責任を負うべき「時の実質的権力者」です。
現憲法については、これが規定する「象徴性」について厳しく検討すべきと思っております。「象徴」は、言葉の意味としては、抽象的な概念を実体化する媒介物に過ぎませんが、これにどのような価値を置くかは、法的な問題であると同時に政治的な問題です。たとえば、現憲法の「国民統合の象徴」は、天皇に対する礼拝を(法的あるいは道徳的な)義務とする趣旨なのかは、この観点から検討されるべきです。