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(回答先: 天皇の政治利用(通りすがりの一言氏、Silent Tears氏、すみちゃん氏等へ) 投稿者 たこ 日時 2003 年 7 月 04 日 15:23:56)
天皇が旧憲法体制下で国家統治の中心に位置した以上、たこ氏の言われる通り「実権を有した政治家」としての側面をもつことは否定できません。そこから天皇の「政治的責任」「戦争責任」へと帰結して行くことも理論上可能でしょうが、そのことにどれ程の意義があるのか、私レベルの人間には理解できないのです。
そもそも「戦争責任」とは何か、とくに天皇が負うべき責任とは、誰に対してどのような内容で負うのか判然としません。端的にいえば、当時も今も戦争責任とは、戦勝国の側に戦後統治を容易にするために使われる都合のよい道具です。戦争自体が非人道的行為である以上、参加者すべてに何らかの責任があるはずです。広島と長崎に対する米国指導者の責任は特筆ものです。「勝てば官軍」ということで敗戦国の側のみに「責任」という言葉が過剰に突きつけられるということはあると思います。
確かに昭和天皇は、法律上、明治憲法体制の中心でした。しかし明治憲法自体、伊藤らにより急造されたものです。その憲法規範としての出来の良し悪しよりも、とうてい国民レベルで憲法意識というものが醸成されていない、いわば形だけの立憲体制であったことが問題です。実質的な権力構造が憲法外に存在し、二重権力構造のまま大正、昭和へと変遷して行ったわけです。
ヒトラーのように権力構造を自ら作りあげたのであればともかく、生まれながらにして、この不安定な体制の中心に据えられた天皇に、明治維新以後、急ぎ過ぎた近代化のもたらす軋轢をうまく回避してくれと期待するのは無理です。たこ氏は場面場面での天皇の発言の重みを取り上げておられますが、私にはそれは、このせっかく形作った憲法体制、天皇の権威を誇張するための政治ショーであったように思えます。
仮に、戦争責任を誰かが負えというのであれば、日本国民全員が負うべで、それを最も強調すべきと考えています。また、前にも述べたように天皇の政治責任を追及すればすねほど天皇が政治の渦中に引き込まれます。賢明とは思えません。
「象徴」という文言を現憲法が用いたのは、歴史の中でも異常と思える程神格化された天皇のイメージを払拭し、元に戻す趣旨だったと考えています。
たこ氏に対して意味不明な反論を書いてしまいましたが、今後もたこ氏の投稿から多くを学ばせて頂きたいと考えています。