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(回答先: Re: 天皇の政治利用(通りすがりの一言氏、Silent Tears氏、すみちゃん氏等へ) 投稿者 通りすがりの一言 日時 2003 年 7 月 05 日 01:34:03)
戦争責任に限らず、「責任」を追求する意味は、処罰や損害賠償などによって被害を事後的に回復できる場合もありますが、より大きな問題は、戦争などに至る意思決定のプロセス、これを可能にした政治システムを分析することによって、同種の誤った選択を繰り返さないことです。
天皇免責論は、戦争直後からあります。当初は、「天皇捺印機論」です。仮に天皇の意思が完全に制圧されていたなら、その責任は問題になりません。この場合、問題は、天皇の意思を制圧して戦争を実行した者の責任に移るだけで、戦争そのものを免責しませんから、「天皇捺印機論」は、歴史の虚偽ですが、まだ罪が軽い免責論ですね。最近にいたって、「大東亜戦争」を「自衛戦争」で「やむを得なかった」とする免責論も出ています。「裕仁平和主義者論」もこの一環です。これを認めるか否かは、今後の戦争を抑止すべきか否かとの現実の政治論です。
なお、「広島と長崎に対する米国指導者の責任は特筆もの」は当然です。他にも、東京などの大都市人口密集地への空爆も、北ベトナムへの「北爆」やバグダッド空襲と同質の犯罪と考えております。そして、この責任追及は、核兵器抑止のファクターになります。
「日本国民全員が負う」も、戦争に反対することなく国内で生活した者、応召で積極的に戦闘行為を行った者、職業軍人など、関与の程度を考慮するなら否定はしません。しかし、これを忘れて(見ないフリをして)、「一億総懺悔」に帰着させるなら、仮に政治的意味を与えるとすれば、「日本国民全員抹殺論」にしかなりません(アジアの一部では本気だったかも知れませんが、もちろん国際的にも国内的にも現実性がありません)。