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(回答先: 小泉首相告発の可能性は国際法ではどうなのか? 投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 4 月 08 日 11:02:44)
告発状を受理しないという制度はありません。箸棒の告発状は、「お持ち帰り」の強引な説得が実務でしょう。(もっとも、本件で起訴の可能性があるとは、決して申しておりません。告訴状や告発状を振りかざした記者会見で足ります。)
属地主義の問題もありますから、慎重に文面を作らないと笑いものにはなりますが、たとえば、保険金殺人で海外旅行中の被害者を外国人に教唆して殺害させても不可罰と考えるのは、実質的に考えると常識に反します。犯罪地などについて共犯の従属性を弱めるか、間接正犯類似の考え方で共犯を正犯化するか(教唆犯の場合)などの方法しかありません。政治的に考えると、属地主義の問題のほか、国務大臣の訴追に関する総理大臣の同意権(憲75)などが問題になります。不起訴処分の前に、これを理由に放置されると、検察審査会も使えませんから、政治パフォーマンスとしては弱くなります。
国際法レベルで考えると、「侵略戦争を共同謀議し、実行」は犯罪となり得ますが、「安保理説得」を犯罪とするのは無理でしょう。内容の当否に問題があっても、それを判定すべきは安保理です。説得の内容も、それ自体が人道に反するとまでは言えません(内政干渉ですが)。
「負ければ戦犯、勝てば免責」は、国家指導者レベルでは、その通りですね(それ以下のレベルでは、継戦中に通常の戦争犯罪で裁判と処罰の例はあります)。過去には、戦勝国を除いて、国家指導者を裁くべき権力がありません。もっと古い時代、第一次世界大戦以前では、一般に「国家元首の不可侵」が原則で(国内法の問題ではなく外交使節の不可侵と同様の国際法の原則)、そもそも処罰は考えられませんから、少なくとも戦争によって敗戦国指導者の身柄を確保した戦勝国が、戦犯を処罰し得ることだけでも、「進歩」です。(これは、もちろん、東京裁判が実質的内容において公正という意味ではありません。)
国際法強化の流れは、国家主権を相対化してきました。国家の当然の権利と考えられた戦争が違法なものとされ、国家元首もその不可侵性を奪われました。今まで、当然の国家主権の一部であった刑事裁判権なども、国際社会に委ねる動きもあります(国際刑事裁判所など)。比喩的に言うと、国家主権が縮小し、その「すきま」を別のものが埋める状態です。「内政不干渉」の原則より「人道」の方が重視されつつありますが、これは、各主権国家が対等の関係で接するだけではなく、「人道」という一定の価値観で統制されることを前提としています。
アメリカの主張も、実はこの流れに沿っていますが、彼らは、国際社会ではなく、超大国である自国がこれを実現することを当然としています。「勝てば免責」は、より正確には「(唯一の)超大国は常に免責」です。彼らの主張では、自国こそが「国際社会」であり、「公正」の実現者なのでしょう。
「国際社会(ここでは諸国家の総意という程度の意味で使います)」の公正さに必ずしも全幅の信頼を置くこともできないでしょうが、とりあえずは、「超大国」対「国際社会」の対立構図が明確になったということでしょう。