「武富士」弘前支店の強盗放火殺人事件(2001年5月8日)の犯人として小林光弘容疑者(43)が3月4日に逮捕されてから、2週間が経過しようとしている。
ご存じのように、小林容疑者は犯行を認めているという。
しかし、これまでの冤罪事件は、そのほとんどが自白調書までとられうえでの出来事である。
「死刑廃止議員連盟」の会長を勤めている自民党前政調会長の亀井静香代議士も、死刑廃止運動をする理由を問われ、警察官僚出身者として「警察の捜査にも誤りがあるからだ」と語っている。
疑り深い性格から、逮捕以降、各メディアの報道を見聞きしてきたが、先週日曜日(3・10)の二つの報道から、小林容疑者が真犯人なのかどうか疑問を抱くようになった。
その内容は、
● 日本テレビ午後3時前のニュースで、「小林容疑者は殺意がなかったと主張しているが、捜査員が山林から発見したオイル缶に穴が開けてあり、これは中に残ったガソリンを揮発させるための処置で、小林容疑者はガソリンの危険性を知っていたことを示すものであり、計画的で殺意があったことを裏付けるものである」(趣旨)と報道された。
エエッと思ったのは、その数日前のNHK衛星1「BSニュース」で「武富士弘前支店に撒かれたガソリンが入っていたと思われる缶の蓋が見つかっている」という報道を聞いていたからである。蓋がない缶にわざわざ穴を開けるって???
● TBS午前の関口氏がやっている番組で、犯人とおぼしき人物が青森テレビの通用口に置いてあったという手紙の内容を一部公開した。そのなかに、「犯人の似顔絵が出たときに愕然とした。私は目だけ出るスキー帽をかぶって行ったのだから、顔や髪の特徴がわかるはずがない。似顔絵は私に似ていない。水色のつなぎを着ていたという報道もあるが、確かに水色の洋服を着ていたが、それはつなぎではない」という内容があった。
じゃあ、どうしてあのような指名手配の顔が作られたのだろう?さらには、特徴的なヘアースタイルはどこから出てきたんだ?
(サラ金強盗を素顔でやる大胆な人がいないとは言わないが、一般的には顔を隠してやるものだろう)
このような疑念をもったことで、事件以後の記事が時系列で保存されている『東奥日報』のサイトから記事を引っ張ってきて検討を始めた。
青森テレビに置かれた手紙について『東奥日報』は、「<前略>同社や関係者によると、手紙は事件発生からほぼ一カ月後の六月十日ごろ、青森市松森一丁目の青森テレビ本社通用口に直接置かれていたという。黒ペンの自筆で、便せん七枚にわたって「私が事件の犯人です」などと犯行を告白する内容が書かれていた。一方で、「自分は似顔絵に似ていない」「犯行時は帽子、マスク、手袋だった」「私は四十代ではない」「犯行に車は使っていない」「公の場で弘前市警(=弘前警察署)は捜査ミスを認めるべきだ」など、捜査本部が公表した武富士支店従業員らの目撃情報を否定したり、捜査を批判したりする内容もあった。また、「犠牲者と遺族の方々に心から謝罪します」「出頭することはできない。重罪を背負って生きていくつもり」などの文言も書かれていた。」と報じている。
同じ記事のなかで、青森テレビの『報道部は「手紙のコピーや全文については、公表は控えたい」としている』そうだ。
以下は、『東奥日報』の記事と上の二つの報道内容から指摘した問題点である。
■ 小林容疑者逮捕の決め手は青森テレビに置いた手紙と同じ便箋が自宅にあったこと
2002年3月8日(金)の『東奥日報』の記事には、「捜査本部はこれまで、小林容疑者が身に着けていた水色のつなぎ服、自家用軽自動車「サンバー・ディアス」のほか、青森テレビに届けた手紙を書いた際に下敷きとした便せんなどを押収した」とある。
2002年3月12日(火)の『東奥日報』は、「《小林容疑者、手紙示され犯行自供》三日朝の任意同行後、約十八時間にわたって犯行を否認していた小林容疑者が四日に入り犯行を認め、自供を始めたのは、青森テレビに犯人を名乗り匿名で出した手紙と、その際に使用し、自宅から押収された便せんを示されたため、観念したから−と接見した三人の弁護士に話していることが分かった。同容疑者は任意同行から自供までの経緯について、三日午前十時半ごろから、金木署で取り調べを受け、取り調べの間、休みはなく、食事は出されたが昼食も夕食も食べなかった。また黙秘権は伝えられたが「話さない限り自宅には帰さない」と言われた−などと語っているという」と報じている。
【疑問】
青森テレビに置いた手紙は小林容疑者の手によるものであるということが、自供→逮捕の決め手であれば、「目だけ出していて顔や髪型は見えなかったはずだ」という手紙の内容に信憑性があるということだ。
なぜなら、事件には生存者=目撃者がおり、それも、直接やり取りした武富士弘前支店支店長が生き延びていることが報道済みでそれを知っているはずだからである。
青森テレビに置いた手紙にある「目だけ出していて顔や髪型は見えなかったはずだ」が実際と違っているのなら、その手紙は犯人ではない別人がイタズラで置いたと結論づけられるはずである。
別の視点から言えば、犯人が手紙を書いていたのなら、目撃者がいてすぐにばれてしまう犯行時の“首から上の状態”に関してウソをつくだろうか?
(青森テレビは、報道機関として、死刑適用がありえる事件の犯人逮捕の決め手となった手紙の全文を公表する義務があるだろう)
■ 犯行時に犯人は顔を晒していたのか、晒していたとしても似顔絵は犯人に似ているのか?
犯行直後の報道記事は犯人の服装については書かれているが、犯人が、素顔だったのか、それとも、何らかの方法で顔を隠していたのかについては報道していない。
(警察からの発表やリークがなかったからだろう)
2001年5月14日(月)になってから、『東奥日報』が、「《武富士事件、発生から1週間経過》素 顔 四十−四十五歳くらいとみられる犯人の男は帽子やサングラス、マスクなどを着用せず、武富士店員たちに素顔をさらした。また、手袋もしていなかった可能性が高い。」と報じている。
そして、犯人と最も長く接したという支店長は、2001年6月13日(水)の『東奥日報』によれば、「《支店長が犯人顔「思い出せない」》 <前略>>捜査員は公開されているコンピューターグラフィックス(CG)の似顔絵を初めて示したが、鳥居支店長は「(犯人の顔は)よく思い出せない」と答えたという。捜査本部は「まだ本格的な聴取はできない状態」と話し、容体の回復を待ってあらためて詳しい状況を聴きたい−としている。鳥居支店長は事件当時、犯人と間近で約四分間と一番長く応対。犯人の特徴や犯行状況をよく知っているとみられる。<後略>」と報じている。
それが、2001年7月8日(日)の『東奥日報』になると、「<前略>捜査員から、二種類の似顔絵を示された鳥居支店長ははっきりした意識で「両方とも全体的に似ている。特にあごや、髪の立ち上がりが似ている」と答えた。「どちらの似顔絵がより似ているか」については、回答は得られなかったという。同支店長への聴取は六月十三日にも行われたが、この時CG似顔絵を見せられた支店長は体調が必ずしも十分な様子ではなかったとされ「よく思い出せない」と答えていた。」となっている。
2002年3月12日(火)の『東奥日報』によれば、「犯行時、野球帽をかぶっていたとも話しているという。三人の接見弁護士が同日午前、弘前市役所内で行った二回目の会見で明らかにした」と、逮捕された小林容疑者は、野球帽をかぶって犯行に及んだことを示唆している。
それが本当だとしたら、似顔絵に特徴的なあのヘアースタイルは、どこから出てきたのだろう?
■ 犯行で撒かれたオイルは、ガソリンだったのか、混合油だったのか
2001年5月9日(水)の『東奥日報』は、「<前略>弘前署の捜査本部は九日までに、犯人がまいて火をつけた油類を分析し、ガソリンと断定した。」と報じている。
さらに、2001年5月15日(火)の『東奥日報』は、「《武富士事件油はガソリンと特定》捜査本部は十四日までに、犯人が犯行の際に「武富士弘前支店」内にまいた油の成分を、ガソリンと特定した。<後略>」と報じている。
しかし、小林容疑者が逮捕された後の2002年3月12日(火)の『東奥日報』は、「《犯行に使用した「ガソリン」は混合油》 小林光弘容疑者が犯行前日に購入し、犯行に使用したガソリンは、オイルとの混合油であることが、十一日までに分かった。弘前署と県警の捜査本部は、成分の割合などさらに詳しく調べる。これまでの調べで、小林容疑者が犯行時に店内にまき散らしたガソリンは、犯行前日の昨年五月七日、あらかじめ黒石市内のガソリンスタンドで、草刈り機用として購入したことが分かっている。同容疑者の供述などから、犯行に使ったのは農業機械に使用されるオイルとの混合油だったことが新たに判明した。混合油は全体の95%以上がガソリン成分とされている。」と報じている。
ガソリン成分が95%以上であれ、混合油とガソリン100%は別のものである。
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最後に、『東奥日報』が2002年3月10日(日)の記事で提示している疑念を紹介する。
『《目撃情報や犯行状況、現実と微妙な差》
頭髪は「白髪交じりで立った感じ」ではなく「黒くて緩くパーマのかかったオールバック」、逃走車両は「サンバー・ディアス・クラシック」ではなく「サンバー・ディアスの亜種」−。武富士弘前支店強盗殺人・放火事件で逮捕された小林光弘容疑者(43)の風ぼうや供述内容から、捜査当局が事件発生直後につかんでいた目撃情報や犯行状況、逃走手段などとの微妙な差異が次第に明らかになっている。捜査当局は起訴後の公判維持のため、物証・状況証拠を固める裏付け作業を急いでいる。
<人相>
手書きとコンピュータグラフィックス(CG)の二種類の似顔絵で、最も特徴が表れていると思われた頭髪が、似顔絵では白髪交じりで立っているが、実際は黒髪で緩くパーマがかかりオールバック。大きな目や横一文字に結んだ唇の感じは良く似ている。
<着衣>
従業員の証言から立ち襟で、水色のつなぎ様のもの、あるいは紺色のウインドブレーカー様のものを着ていたとみていた。逮捕後、容疑者の自宅から水色のつなぎ服を押収した。紺色のウインドブレーカーについては、小林容疑者が勤めていた青森市のタクシー会社で八年前に仲間とともに作ったジャンパーが似ている。同容疑者が事件の数日前にこのジャンパーを着ていたことが同僚に確認されている。つなぎの上にジャンパーを着ていたのか、逃走時に着込んだのかなどは判然としない。
<逃走車両>
犯行直後の複数の目撃情報からスバル製の軽ワンボックスで、旧タイプの「サンバー・ディアス・クラシック」を割り出した。前部のグリルに特徴を持ち、車体色は深緑色とみて車当たり捜査を展開したが、逮捕後に押収した車は現行型の「サンバー・ディアス」。上部が深緑色、下部がグレーのツートンカラーで、同容疑者は犯行前の昨年一月に新車で購入していることが、関係者の話で判明している。
<逃走経路>
国道や幹線を中心に行われた検問では同車が通った記録はなく、裏道や農道を通って浪岡町の自宅まで逃走したものとみられる。また小林容疑者は犯行当日の午後四時ごろ、浪岡町の道の駅で買い物していたことが店員の証言から判明、大胆であり不可解な部分だ。』