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ここであなたは考えるかもしれない。世界を混乱させようとしているのは、グローバリストというより、アメリカという国ではないのか、と。
たしかに、ソロスもアメリカ人だし、ソロモン・ブラザーズやモルガン・スタンレーもアメリカの企業である。だが、彼らはアメリカの国益のために動いているのではない。アメリカをも動かす、大いなる勢力の手先として働いているのである。
これまで、グローバリストはアメリカを使って世界を動かしてきた。それは事実だ。しかし、それはあくまでもアメリカそのものが企んできたことではない。その背後にいるグローバリストたちが、アメリカを「道具」として使ってきたにすぎない。
だが、彼らの計画が進んだ今、アメリカはそろそろ邪魔になってきた。グローバリゼーション、つまり世界すべてを横並びにしようという最終目標を考えれば、アメリカという突出した超大国があっては困るのである。そして、アメリカ崩壊の序曲は、彼らによってすでに始められている。
●日米フィルム交渉での敗北
1998年1月の終わり、アメリカの転落の始まりを告げる事件が起った。
その事件とは、日米フィルム交渉における日本の勝利、アメリカの惨敗である。
日米フィルム交渉とは、アメリカと日本のあいだで、フィルムのシェアについて争ったものである。
そもそも、最初に文句をつけてきたのは、アメリカのコダック社だった。コダックは世界で70パーセントのシェアを誇っている。ところが、日本では富士フィルムなど日本企業がシェアの大半を占めている。これは、日本がコダックの参入を妨げているからではないのか、というアメリカ側のいいがかりだ。もちろん、それは日本企業が国内で努力しているだけのことであって、別にアメリカ製品を排斥しているわけではない。
しかし、これをアメリカ通商代表部があおりたてた。「関税と貿易に関する一般協定=GATT(ガット)に違反している」と主張したのだ。それだけではなく、世界貿易機関=WTOに訴えた。これが1996年6月のことである。
これまで、アメリカは30回以上WTOに訴えてきたが、負けたことがなかった。ところが、スイスにあるWTOの紛争処理委員会は、1998年1月30日、日本側の主張を全面的に採用した。すなわち、アメリカは史上はじめて全面敗訴したのである。
共同通信配信の二月一日の記事、「フィルム紛争、米側が全面敗訴」は、記者のクレジットが【ダボス(スイス)30日共同=植松憲一】となっている。
この歴史的判決が下されたのは、まさにダボス会議の開かれているさなかであったことに注目したい。この事件もやはり、彼らグローバリストによって仕組まれたことなのだ。
●イラク危機回避
そして、それに続いて、イラク危機がアメリカに不利に動いた。これは、アメリカの軍事力が世界に対して影響力を持たなくなってきたことを示す大事件である。
湾岸戦争の停戦の条件として、イラクが国内で大量破壊兵器を保有していないかどうか、国連の査察団がイラクを調査するというものがあった。その査察をめぐって、アメリカとイラクの関係がこじれ、そして98年にはいって緊張が高まり、戦争直前になっていた。
アメリカはイラク空爆に備えて、3万人の兵士、400機の戦闘機、30隻の軍艦、2隻の空母をペルシア湾に集め、圧倒的な軍事力を背景に、イラクへの強硬姿勢を示し続けた。最終的には、核兵器も使う可能性があるとまでほのめかしたのである。
しかし、91年の湾岸戦争のときとは状況が大きく違っていた。アメリカを支持するのはイギリスや日本ばかり。フランス、ロシア、中国という大国が強く抵抗した。特にロシアのエリツィン大統領は「これでは世界戦争になる」というほどの強い表現で批判。また、湾岸戦争ではアメリカに協力したサウジアラビアなどの周辺諸国も、今回はアメリカに冷淡だった。
そして2月23日、イラクとのあいだで査察に関する合意をしたのは、アメリカではなく国連だった。アメリカが完全に、国際政治での主導権を失った歴史的瞬間だった。
「クリントン大統領は、今回の危機にあたって、湾岸戦争同様、力によってイラクを屈服させ、その大量破壊兵器計画を挫折させようともくろんでいた。それが、フランス、ロシア、中国という常任理事国が強く抵抗、湾岸諸国さえ面従腹背に等しい態度をとるに及んで、その思惑(おもわく)はついえた」〔産経新聞2月24日夕刊〕
放送大学の高橋和夫助教授はこう述べている。
「湾岸戦争の時、米軍が主導し、同盟国や主要アラブ諸国も参加した多国籍軍が成立した状況が確実に変化した。今回の危機は、湾岸戦争がもたらした『パックス・アメリカーナ(米国による平和)』の『終わりの始まり』を印象づけた」〔朝日新聞2月24日朝刊〕
アメリカは、振り上げたこぶしを下ろしそびれた。そしてみじめにも、イラクと国連の合意を受け入れざるを得なかったのである。アメリカが軍事力によって支配する時代は終わったのだ。
では、なぜアメリカは弱体化させられなければならないのだろうか? それはそうである。統一世界政府を樹立するには、アメリカのように突出して強い国があっては困るからである。
アメリカが力を失うと同時に、これまで押さえつけられてきた国々が自己主張を始めた。
●インド・パキスタンの核実験
インドは、5月11日と14日、合計5回の地下核実験を行なった。実験名は「シャクティ」。これは、隣国パキスタンが、核弾頭も搭載できる中距離弾道ミサイル「ガウリ」を導入したことに対抗してのものである。
そして、インドは核兵器保有宣言を行なった。
これに対抗して、パキスタンも5月28日と30日、地下核実験を合計6回行なった。
これまで核兵器を持っていることを隠してきたアジアの2国が核兵器の所有を大っぴらに全世界に示したことで、核戦争の危険が現実味を帯びてきたのである。
これまで、核兵器保有を公表しているのはアメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシアの5か国だけだった。この5大国以外の国に核兵器を広めない、【「包括的核実験禁止条約(CTBT)」】が結ばれる直前に、インドとパキスタンは駆け込み的に実験をしたのである。これは、核を持つ大国の権威がそれだけ弱まっているということを意味する。特に、アメリカの力が弱まったことを示している。
これは、アジアの安全保障問題にとどまるものではない。というのは、パキスタンはイスラム教国である。そこで、中東のイスラム諸国、たとえばイラン、イラク、シリアといった国々が核兵器を持とうと考える可能性が出てきたからだ。実際、イラクはパキスタンの核実験を認める発言をしている。
中東のイスラム諸国が核兵器を持とうとすればどうなるか。対抗して、イスラエルも今まで隠し持っていた核兵器を公表する可能性が出てくる。
現在、イスラエルとアラブ諸国のあいだの関係は、ひじょうに危うくなっている。一度は和平に合意したこともあるイスラエルとアラブだが、ここにきてまたも和平が進展せず、むしろ険悪な関係となりつつある。
●中東和平進展せず
イスラエル国内でパレスチナ人の自治が暫定的に行なわれているが、この期限が1999年5月。パレスチナ自治政府議長のアラファトは「自治期間が終了すれば、国家樹立を宣言する」と表明した。一方、イスラエルのネタニヤフ政権は、「自治政府が国家樹立を一方的に宣言すれば、自治区を再占領することもありうる」と威嚇している。
このため、イスラエル軍情報部がまとめた「国家安全保障」情勢分析では、1999年5月以降、中東戦争が勃発する可能性が非常に高いと見ている。
●中国による圧力
6月には、アメリカが中国に屈するという事態が発生した。そのきっかけは、6月の円高・株価急落である。
98年に入って、円がどんどん安くなり、株価も大きく下がり続けていた。これを抑えるためには、日本とアメリカが市場に対して協調介入を行なう以外に方法がないというのが常識となっていた。だが、アメリカ政府はあくまでも日本の努力だけを求めてきた。金融機関の不良債権処理や景気浮揚、減税などを行なうように押しつけ、協調介入をしようとしなかったのである。
だが、そのアメリカが一転して、日本との協調介入を決断した。6月18日のことである。
アメリカが円安をくい止めるために協調介入を行なったのは、人民元を切り下げるという中国からの圧力があったためだった。人民元が切り下げられると、アジアから一斉に投資資金が引き上げられて、世界経済が大混乱に陥るおそれがある。
アメリカのサマーズ財務副長官は、「中国・人民元の切り下げへの懸念があった」と認めた。さらに、「円安を放置している」として日本・アメリカへの批判を強めていた中国への配慮があったと述べたのである。
アメリカは中国の脅しに屈したかたちとなった。つまり、これまで強気の外交政策をとってきたアメリカが、中国のご機嫌をうかがわなくてはならなくなったのだ。これも98年以前には考えられなかったことだ。6月末にはクリントン大統領が中国を訪れ、江沢民国家主席と首脳会談を行なった。そして、全体的にアメリカが中国の顔を立てる内容となったのである。
こうして唯一の大国・アメリカが没落を始めた。その反面で、国籍を超えたグローバリストたちの発言力が、ますます大きくなっているのである。
「すべては仕組まれていた」1998年10月執筆